某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

落ちた偶像ーワシントンもジェファーソンもだめ!

2020-06-22 15:16:50 | 時代?
 人種差別反対の声が各国で渦巻いている。しかし、次のような動きがあることを私は最近まで知らなかった。奴隷所有者、人種差別論者などの名を冠した学校の名称変更である。例えばG・ワシントンー奴隷主、ジェファーソン(独立宣言起草者、第三代大統領)ー奴隷主、ウイルスン(第一次大戦時の大統領)人種差別論者・黒人蔑視者。いずれも学校の名称にふさわしくない、と。 
 アメリカ合衆国には歴史上有名な人の名を冠した学校が多い。名門中の名門カリフォルニア大学バークレイ校はアイルランドの生んだ大哲学者神学者バークレイにちなんだものだ。
 カリフォルニアには奴隷所有者、奴隷制推進論者、公然と人種差別をした者の名を冠した学校が数百あり、その内57校がG・ワシントン、43校がT.・ジェファソン、29校がウイルソン。教育委員会にはそれらの名称の変更を求める陳情がたくさん届いているという。私は、以前には、これら三人を立派な業績を上げた偉人としか思っていなかった。いつからか、ジェファーソンが奴隷の女性に子供を産ませていたり、ワシントンが奴隷主であったり、ウイルソンがちょっと困った人だったりとわかってきてだいぶ点数を下げてはいたが、これほど否定されるとは思ってもいなかった。大統領のメッキがはげたのか?これもトランプ効果かもしれない。
 バークレイも一頃奴隷を買い、バーミューダの自分の農園で働かせていた。ワシントンと同じ。さて、彼の名を図書館につけ、優等卒業生・優秀研究者にバークレイ賞を授けていた母校ダブリン大学トリニティ・カレッジはこれからどうするのだろう。アメリカのバークレイ校は名称変更を考えないのだろうか。学生は騒がないのだろうか。どこまで波及してゆくか、しっかり見ておこう。オックスフォード大学のセシル・ローズの銅像は大学の博物館?におさめるらしいし、議会のそばにあるチャーチルの像はフェンスで囲ったそうだが、これもどうなるか。日本の銅像はどうなのだろう。
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History とHerstory

2016-03-09 14:22:25 | 時代?
 3月8日は国際女性デ―だった。この日、奇妙な英単語をIrish Times で見た。Herstory.勿論意味は誰にでもわかる。HistoryをHis Storyと解し、歴史は男の物語、歴史は男によって作られた、とする「従来」の偏見を訂正すべく、3月8日にはわざとHer Storyと書いて問題提起をする。アイルランドの女性で世界的活躍をしている方々を紹介する記事がこの日には大きく載っていた。そしてそこに、男性(多分)のちょっとした抗議がコメントでついていた。わざわざHerstoryなどというでたらめな単語を作るな、と。語源が違うだろう、his と herじゃないだろう、と多分男性のいらいらコメント。そんなことに目くじら立てるな、という読者の声が聞こえそうだ。
 日本語でもちょっとそれに似た変化がある。前は「国際婦人デー」と言っていた。いつの間にか、「国際女性デー」になった。婦人参政権がいつの間にか女性参政権になったように。婦人と女性がどう違うのかわからない(婦人と言うのは差別語なのだろうか?) どうも基礎的な所から学び直さねばならぬようだ。

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紙の新聞は消えるのか?

2016-02-13 12:36:39 | 時代?
 今日のアイリッシュタイムズから。
 London Independent, Independent on Sunday という新聞がある。社主がオライリーさんというアイルランドの実業家だといつか知って、ロンドンではたまに買っていた。これが、紙の新聞としては廃刊になると言う。日刊紙は3月26日までで、日曜紙は3月20日まで。(最終号はマルクスと同じように全面赤インクで刷るのだろうか。)2010年にこの新聞は何と1ポンドで別の事業家に売られていた。以来5年間で6500万ポンドもの赤字だというからやりきれなかったのだろう。これからはデジタルだけを発刊するという。150人いる記者がどうなるか、という心配も書かれていた。デジタルにせよ記事を書いて載せるのだから、記者は必要だろう。紙の場合は、むしろその他の仕事がめちゃくちゃに多い。それらに携わる人々の大半が仕事を失う、つまりは失職する事にならないか?新聞はデジタルが主になってゆくだろう。これから、こうした失業問題が大きくなって行くだろう。
 紙に変わってデジタルになり、文書というものが紙では残らなくなった場合、資料保存の方法はどうなるのだろう。歴史的資料が一瞬にして消え、歴史は辿りようがない、といった事態にはならないのだろうか。それとも、探し方さえ良ければ、どんな物でも必ず残っているのだろうか。どうも、歴史を辿れなくなる(=歴史から学べなくなる)時代が目の前に来ているような気がする。
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