某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

俺もモデルか?童謡「たき火」

2016-03-24 02:36:23 | 良い話
 いつか中央線で豊田駅を通ったら、童謡「たき火」が駅のご当地ソングで流されていてびっくりした。あの歌は私が小学生だった頃住んでいた中野区の上高田で作られた歌詞だから、中野駅か、出来れば西武新宿線の新井薬師駅で放送して欲しい曲だと思っていたから。作詞者の巽聖歌が上高田から日野市に引っ越したとは後で知った。
 何故そんなことが気になったかというと、あの童謡を生んだ大きな農家のケヤキの木とたき火はどう考えても私達が小学生だった頃のものだからだ。冬になると、ケヤキの枯れ葉を集めてたき火をしていた。私たちは学校の帰りなどそこに寄っては暖まった。「あたろうか、あたろうよ、しもやけお手手がもうかゆい」と言うのは僕らの手の事だ。遊び呆けてもう帰らないと叱られる、という頃でも寄って暖まった。炎がさかっているのではなく、おきになっていて優しく暖かだった。たき火というとあれを思い出す。発表が昭和16年だから、作詞のモデルになったのはどう見ても僕等小学生だと勝手に決めている。
 昭和16年12月にラジオで放送する予定だったそうだ。12月9,10,11日が放送予定日。8日に開戦。放送は半分にカットされたという。しかも、「たき火は敵機の目標になるからいかん、落ち葉は風呂の燃料になるから、たき火などで無駄にしてはいかん」と大変厳しく抑え込まれたという。軍の意地悪かね。
 戦後も小学校の音楽教科書に入っていたが、「たき火は火事の元」というので消防庁から厳しいお達しがあって、それにこたえるべく、歌の挿絵には水を入れたバケツを書き加えたという。皆さん職務に忠実すぎるんじゃない?もっと気楽に行こうよ。「日本の歌百選」にも入っている程皆知っている名歌なんだから。
 
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父の日

2015-06-21 02:36:30 | 良い話
(また途中で飛んで、入ってしまった。こまったものだ)
 父の日とついでに母の日をしらべたら、面白い事に気がついた。どちらもアメリカでは南北戦争に由来していた。母の日は、1870年のジュリア・ウォード・ハウという女性参政権運動家のMother's Day Proclamation「母の日宣言」にはじまるという。これは南北戦争の悲惨を二度と繰り返すまい、子供や父親を戦場に送りだす事は拒否するというものであった。これを受けてアン・ジャービスという女性がMother's Work Day「母の仕事の日」を始め、南北を問わず負傷兵の手当、衛生状態改善の活動を行った。アンは日曜学校の教師をしていた。亡くなってから(1907年)娘のアンナがその教会で母を偲んで白いカーネーションを捧げた。翌年母の日として多くの人が白いカーネーションを持つようになり、1914年から5月の第2日曜日と定められたという。
 父の日は、南北戦争に父親が従軍している間6人の子供を抱えて苦労した母親が、過労で亡くなり、戦後復員した父親が6人の子供を男手一本で育てあげた、という一家の娘ソノラ・スマート・トッドの提唱による。1909年父の死後、父の苦労に感謝し、母の日にならって父の誕生月6月の第3日曜日を父の日として教会で礼拝を行うようになったという。
 どちらも南北戦争に直接「参加」し経験した人々が亡くなってから、その方々を偲んで記念の日が定められている。今は、お父さんへの贈り物、おかあさんへの贈り物、と商売繁盛の手段にしかこれらの日は利用されないが、由来も一筆書いてくれる店があったら、私も何か買う気になるだろう。もっとも、父も母もとっくにいないから、何を買ったらいいのだろう。ローソクと線香か。
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父の日

2015-06-21 00:35:42 | 良い話
今年の父の日は6月21日だという。6月の第3日曜日ときまっているそうだ。母の日は5月の第2日曜日。両方とも今調べて知った。分かった事をついでに書くと、母の日も父の日もアメリカでは国の記念日。だから役所は大体お休み、企業も多くがお休み。国n補記念日もっとも日曜とダブっている記念日が多いから仕事にはそんなに差し支えないのだろう(国の記念日というのがアメリカにはやたらとある)
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