某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

孫の快挙

2014-09-29 15:54:05 | 素晴らしい話
 先日孫娘が念願かなって、義肢義足製作者養成の学校の入学試験に合格した。美術大学で造形を学び、私(じいちゃん)の等身大の胸像を作り、それを下駄箱の上に置いて玄関番をさせているほどなのだが、卒業近くなって大変に悩みだした。油絵を描いたり、木片で大きな小屋を作ったり、裸婦像から原寸大の心臓まで造ったり、と高校生当時から大学まで目いっぱい「創作」しまくっていたが、「こんなもの皆何の役にも立たない」「ただの自己満足だ」と愕然としたらしい。幸い義肢義足を作る技術者を養成する学校がある事を知り、そこでなら自分の技術が生かせるかも、と気を取り直した。
 残念ながら入学試験がある。忘れていた英語や数学、一般教養。あわてて準備し始めたがそう甘くはない。特に、学校側はきちんとした心構えが出来ていない生徒には来てほしくない。学費もかかる。孫娘はそこで長期的方針をたてた。義肢義足の製作は「創作活動」と違って、其れを必要としている人の要望をきちんと受け止め、十分なコミュニケイションができ、信頼関係が生まれて初めて良いものが出来る。今までの学校での制作は一人でやっていて、人とのコミュニケイションは必要なかったから、そういう能力にはまったく欠けている、と彼女は気がついた。
 彼女が選んだのは、特別養護老人ホームでの介護の仕事だった。5月に資格を取り、幸い近くの施設に就職できた。以来3年間ヘルパーさんとしてご老人の世話に没頭した。同僚との交友連絡から、言葉の不自由なご老人との意思の疎通まで、少しずつ学んできた。貯金はまだ学費全額に届かないが、或る程度は出来た。いつの間にか3年がたち、「学費が全額貯まるまで」などと先に伸ばし過ぎると、「手」が今まで培ってきた技術を忘れてしまいそう。そこで9月から始まった来年度入学の試験をうけた。介護の仕事はきつい。特に、いつも人手不足だから時間外は多く、疲労がたまる。それでもコツコツと受験勉強を長い時間かけて少しずつ続けてきた。面接対策には、想定問答を作り、答えを、自分の言いたい事が十分相手に伝わるよう、何度も書き直した。私が試験官になり、模擬面接を繰り返した。本番では、予想した質問は3分の1も出されなかったが、言いたい事はいえたようだ。
 つい先日合格通知が速達で来た。いやいや、立派。トンビが鷹を生んだ、というのは子供が出来過ぎということだが、孫の出来過ぎは何と言うのだろう。そっちは分からないが、「爺馬鹿」というのはある。馬鹿で良いよな。泣けるほど嬉しいんだから。
 今願っているのは、学校が孫を裏切らない事。せっかく希望に満ちて入学するのに、実は3年間たいしたことなかった、では孫がかわいそう過ぎる。伝統のある立派な学校だから万が一にもそのようなことはないと信じている。
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カレーライスを食べるぞ!

2014-09-26 15:55:24 | 素晴らしい話
 今朝のアイリッシュ・タイムズに楽しい話が載っていた。カレーの香辛料の主成分ターメリック(うこん)には脳細胞の成長を促し、「傷」を修復する効能があるらしいと。ネズミの実験で確認された。人間の脳にもきくかどうかはこれからの実験に待つらしいが。上手くいくと、うこんは肝臓や腎臓の修復に効くだけではなく、アルツハイマーで傷ついた脳細胞を修復し、心臓の脈拍異常も修復するかもしれない。ドイツの研究所の成果発表だから、日本の発表よりは信ぴょう性が高いだろう。印度人は理屈屋で、理数系の天才が多いのは、カレーを毎日食べているからかもしれない。何しろゼロを発見するという神様みたいな事をやった人々だから。ドイツ人も、こうした印度人の「論理的な」頭の良さの原因を探ろうとして研究を始めたのかもしれない。
 日本の新聞にもすぐ出るだろう。スーパーのカレーがすぐ売り切れになるだろう。スーパーにおけるカレー・ゼロの発見。これなら私でも出来る。
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スコットランド住民投票の余韻

2014-09-23 02:11:02 | 余波
 スコットランドの住民投票は他の国々に色々な影響を与えている。中でもニュージーランドでは、前からある国旗変更問題にまた火がついた。あの国の国旗では左上1/4の面積をユニオン・ジャックが占めている。あとはブルーの地に星4っつ。南十字星だそうだ。お隣のオーストラリアの国旗もほとんど同じ。違うのは星の数が7個で大小がある事だけ。だからこの二つは大変紛らわしい。英連邦の一員で、国の元首はエリザベスⅡ世だからユニオン・ジャックがあってもおかしくはないが、英連邦を構成している国でもユニオン・ジャックを付けていない国は多い。早い話がインドもカナダも。インドには大統領がいるからイギリスの国旗は付けないのだろうが、カナダはまだエリザベスⅡ世が国王なのに、カエデの葉だけ真中に付けている。つまりユニオン・ジャックを付けなければならないというわけではないらしい。
 ニュージーランドはまだ国旗変更くらいらしいが、オーストラリアでは前から共和国への移行が問題になっている。其れを主張した元首相にイギリスの新聞記者が「共和国への移行を主張するのは、貴方がアイランド系だからか?」と質問したら「カトリックだからだ」と答えた話は有名だ(俺が覚えているだけか?)スコットランドが住民投票をやったおかげで、共和国移行への動きがまた強くなりそうだ。ウエールズにも前から独立運動がある。オモチャの兵隊のような軍服を作ってキオスクなどを爆破し「独立軍事行動」をデモしたりしている。もし独立したらイギリス王室の皇太子は呼び名を変えることになろう。Prince of Walesではなくなるから。もともと「ウエールズで生まれ、英語を話さない人を次の王にする」というイギリス国王の約束にだまされた(イギリス国王の息子がウエールスの城で生まれた)という話だから、たわいないものだ(この話も嘘だろうが。)住民は「誇りだけでは国はやってゆけない」という現実に妥協することになるのだろう。運動からロマンが消えた。

 
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奇妙な数字の符合。203と418.

2014-09-21 03:21:12 | ちょっと気になる話
 ひと頃問題になった『坂の上の雲』のテレビ・ドラマがケーブルテレビで再放送された。今回はかなりの部分を見る事が出来た。NHKが作ると発表した時危惧されたような軍国主義鼓吹には見えなかったが、司馬流の「隠れた」英雄談が秋山兄弟と広瀬武夫を格好良い軍人にしすぎていた。まるで時代劇のヒーロー。
 知っている話ばかりだと思いながら見ていたが、途中で、おや?と思った。信濃丸がバルチック艦隊を発見した地点(海域?)が203と呼ばれるところだったこと。昔読んだ時は気がつかなかった(忘れたのか?)言うまでもなく、日露戦争で203と言えば、旅順要塞の高地「203高地」を思い出す。陥してから有名になり、女性の髪型にも「203高地」というのが出来たほど。旅順要塞を攻撃した第三軍の司令官乃木大将は戦争が下手で(参謀も愚鈍だったらしい)兵隊を機関銃の標的にするばかり。異常なほど沢山戦死させた。結局総参謀長児玉源太郎が乃木さんの指揮権を一時奪って203高地攻撃の指揮をとり、一日で占領し確保し、そこから旅順港内を観測し、大砲に連絡して旅順艦隊を砲撃させた。艦隊は即座に全滅。バルチック艦隊が来る前に旅順艦隊を全滅させなければ、日本の海軍は必敗だった。乃木さんにも参謀にもその事があまりよく分わかっていなかったらしい。だから正面攻撃ばかりして203高地をなかなか攻めなかった。児玉源太郎は日本海海戦勝利の陰の功労者だ。児玉の功績については異論もあるらしいが。(戦争が下手で兵隊を沢山無駄死させた乃木さんは乃木神社に神としてまつられているのに、何故児玉(源太郎)の神社はないのかと思っていたら、大分前に江ノ島で児玉神社を見つけてほっとした。)
 203で旅順艦隊を全滅させ、203でバルチック艦隊を発見して全滅させた。奇妙な偶然。
 418は4月18日。私が国民学校六年生になったばかりの、昭和17年4月18日に東京初空襲があった。何も損害はなかったように言われていたが、かなり爆撃されたらしい。私ども児童は、アメリカ軍の空襲とは思わず、凄い演習をみていると思って、校庭で大喜びして跳ねまわっていた。翌年昭和18年の4月18日には早くも連合艦隊司令長官山本五十六大将が戦死している。既に敗色濃厚になり、南方各地に伸びきっている戦線を日本本土近くに縮小しなければ、どこももたなくなっていた。山本司令長官はそれを各前線司令部に説得するための視察に出掛け、行動予定の連絡暗号を米軍に解読されて撃ち落とされた。暗号を解読されている事は大体わかっていたのだから、山本さんは死ぬつもりで出かけたのではないかと私は疑っている。海軍さんが飛行機で死んだ。後の連合艦隊司令長官は慶應義塾大学日吉校舎の敷地に長い防空壕を作りその中で指揮をしていた。空の上から土の中へ。惨めだな。乗る軍艦がなかったのか、軍艦では命が危なかったのか。
 全く無関係だが、経済学者リカードは4月18日の生まれ、私の長女も4月18日の生まれだ(経済学はやってないが。)
 
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アイルランドは間違っていた?

2014-09-19 02:06:37 | 武力抗争の可否
 スコットランドの独立可否をめぐる住民投票が今行われている。明日には結果が出るだろう。多分僅差で独立反対派が勝つだろう。一時独立派が優勢になって大騒ぎしたが、最後には、スコットランドだけでは生きて行けないという常識派が多数を占めるだろうと私は思う。ポンドは使えない、EUには当分入れない、北海油田もいつまで持つかわからないでは、どうにもならないと考えるのではないか。イングランド乃至Great Britainに親近感を抱く人々も多かろう。「お前はスコットランド人の誇り高さを知らぬからそんなことを言う、独立達成まで何度でもやるんだよ」という人も多かろうが(住民投票は何度でも出来る。アイルランドでは同じ案件の国民投票を何度でもやる。その度に「民主主義の否定だ」と反対派は批判するが。)
 前にも書いたアイルランドの元首相ブル―トンは、「スコットランドの今回の投票が、1916年の復活祭蜂起とそれに続く独立戦争という流血の惨事が間違いだった事を示している」と講演した(アイルランド自治法成立100周年記念講演、ロイヤル・アイリッシュ・アカデミーで歴史修正派が主催。)何故なら、既に1914年9月18日にアイルランド自治法は成立し、第一次世界大戦終結後実施されることが決まっていたのだから、蜂起指導者たちがもう少し忍耐強ければ、若者たちの血をあれほど流さずとも、現在と同じ独立を達成出来ていた筈だというのだ。スコットランドはまず自治議会と自治政府を作り、やがて独立派がそこで多数を占め、今回の独立可否を問う住民投票を行うまでになった。アイルランドと違い、血を流さず、すべて平和的に進めてきた。第一次大戦後にアイルランドで自治法が実施されれば、90年前に同じ事が出来た筈だ、とブル―トンは言うのだ。
 Irish Timesのこの記事には沢山のコメントが寄せられている。そのほとんどがブル―トン批判。しかし難しい問題だ。私にはまだとてもどちらかに軍配を上げる力はない。
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