前回(→こちら)の続き。
ティム・バートンの映画『エド・ウッド』では、
「史上最低の映画監督」
と呼ばれた彼の、そのフリーダムすぎる現場がユーモアたっぷりに描かれている。
ショボイ特撮、どんなミスがあっても一発OKの気合撮影など、そのハチャメチャぶりを発揮する彼だが、他にも、人手が足りないので、一人の役者を二役も三役も使い回す。
だが、これが役者の個性が強すぎて(そらその役者が元プロレスラーだもんなあ)、すべて同じ人なのがバレバレだったりする。
たしかに、アニメなんかで人が大勢出てくるシーンなどでは声優さんが足りなくて、達者な人がひとりで三役四役をこなすというのはよくあること。
とはいえ、普通はメインキャラの人を使っても、一応はわからないように声や口調を変えたり(といってもベテランさんなどは個性が強いためどうしても見破ってしまうものだが)努力はするものだ。
そこをエドの場合は、だれがどう見ても使い回しというのがわかる撮り方をする。
アニメでいえば、『新世紀エヴァンゲリオン』においてシンジ君と綾波とアスカとミサトさんと碇指令とペンペンが同じ声のようなもので、
「エド、それはいくらなんでも、やりすぎや!」
豪快につっこみたくなるのである。
金がないもんだから、スポンサー探しの勢いで「映画に出して」という素人を主演にする。
足りないカットは、ありもののフィルムをつないで水増し。
ところが、これが全然つながっておらず、そのあまりのシュールな編集に試写した偉いさんをして
「素晴らしいギャグだ!」
間違った感動を呼び起こさしめる。
怪物の着ぐるみやミニチュアを作る予算がないから、勝手に倉庫から盗み出して使う。
しかもそれが壊れていて、役者に
「その動かないタコと戦う演技をしてくれ」
などという、シビれるようなムチャぶりを言い放つ。
やりきれなさにウィスキーをあおり、
「ヘルプ! オー、ヘルプ!」
気合の名演技を披露するヴェラの姿は、ティムのセンス爆発で、この映画の最大の見せ場です。
とにかく、どの作品もどの作品も、スタートからラストまで、
「これが本当にプロの仕事か?」
頭の中にハテナがかけめぐる怪作ぞろい。
なんというのか、「創作読本」みたいなテキストの
「映画監督、これだけはやっちゃダメ」
の章に載ってそうなことを、すべてやるのがエドという男。
後年、水野晴郎先生(マイク水野)の『シベリア超特急』を見たときに、
「あー、この映画の現場はきっと、『エド・ウッド』そのままだったんだろうなあ」
と感じたものであった。笑っていいんだか悪いんだか。
それを、いかにも全編愛情たっぷりに作りあげたティム・バートン、いい仕事をしてます。
結論からいうと、これは愛の映画なんですね。
エドの映画への愛、ヴェラへの愛、ティムのエドへの愛、B級作品への愛。
そしてなにより、そんな彼らを生温かい目でもって見てあげる、我々酔狂な映画ファンのひねくれつつも素直な愛。
物語のラストで映画は完成し、恋人を連れてあたかもハッピーエンドのように描かれているが、実際は『プラン9』は大コケし、それ以降エドは制作費にも事欠き、酒におぼれ若くして死ぬ。
だからこそ、ティムはきらびやかなラストを演出した。
それは、目一杯幸福感を高めておくからこそ、その後の「見せない」アンハッピーエンドがより際立つという演出であり、同時におそらく乾坤一擲の「ギャグ」でもあった。
いや、すごいことするよ、ティム・バートン。
映画史にくわしい人なら、まさに泣き笑いの明るく哀しいラスト。
A級もB級も、映画を愛する人は必見の名作です。素晴らしいの一言。
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