太宰治『走れメロス』のセリヌンティウスはサンタラの名曲『バニラ』くらい釈然としない

2016年07月24日 | 若気の至り
 『走れメロス』のセリヌンティウスは、ものすごく釈然としなかったのではないか。

 というのは子供のころからの大いなる疑問であった。

 メロスに限らず古典的名作に親しむきっかけは、たいていが読書感想文である。

 おおよそ通信簿に「かわいげがない」「ひねくれもの」「協調性がない」などと書かれるような生徒は、たいていがこの課題を苦手とするものだが、西の「残念な児童」代表ともいえる私もまた、御多分に漏れずそうであった。

 「課題図書ではなく、好きな本を選んでいいですよ」

 というリベラルな先生相手に、江戸川乱歩『影男』を選び、

 「『殺しアリ』の地下格闘技を覆面姿で観戦するというのは、ブルジョアあるあるなんですね。感動しました」

 などと書いて放課後書き直しを命じられたり、石川啄木については、

 「じっと手を見る前に、近所のマクドかコンビニでバイトしたほうがいいと思います」

 などと書いて放課後書き直しを命じられたり、森鴎外の『舞姫』では、

 「これはエリート日本人の、『白人の姉ちゃんコマしたった』自慢です。オレも昔は無茶やっちゃってようとかスカしてる広告代理店のゲスいオヤジみたいで、うらやましいと思いました」

 「この人は偏差値が高いのをいいことに、『ドイツ語をできないという人の気持ちがわからない。あんなものギリシャ語とラテン語ができれば簡単なのに』とか言う鼻持ちならない男です。だれかどついたったらいいのにと思いました」

 「息子が思うよりも出来が悪かったせいで『死なないかな』とかマジいうヒドイ人です。結論としては、森とは絶対に友達になりたくありませんと思いました」

 などと書いて、もうリライト無間ループにおちいる始末。町田町蔵さんではないが、「ほな、どないせえっちゅうねん!」と言いたくなるではないか。

 そんなトンマを尻目に、ほめられているのは

 「主人公の生き方に感動しました。僕もこのような立派な心を持つことが大事だと教わったと思います」

 みたいな、大人に迎合するような文章を書きたれる子供であった。

 読書感想文があれだけの不評にもかかわらず絶対になくならないのは、読解力をきたえるとか、本に親しむようにするとか、そういうことではなく、

 「自分より力のあるやつに意見表明するのとき大事なのは、正直より、媚びることだよ!」

 という、大人になって、とっても役に立つノウハウを教えてくれるからである。

 微分積分なんかより、よほど実戦的学習であるといえよう。これは斎藤美奈子さんの『文章読本さん江』でも記されている真理です。

 そんな「リアルな大人の世界」を学べる読書感想文だが、『走れメロス』でもやらかしてしまったことがあるから困ったものである。


 (続く→こちら




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