私は彼に何が出来るのだろうか、私は何をすべきなのか、私が出来る最良のことは何か。
私は私に問い続けた。
簡単な答えが出た。
彼に時計をあげよう。
だが、時計をあげて、彼が嫌な思いをするのではないだろうか、いかにも「これ必要だろ」と言う上からの目線にならないだろうか、また彼にそう取られはしないだろうか、次から次へと問題が生まれてくる。
しかし、それは最良のことへの階段でもある。
結局、私は彼の重荷にならないように100円ショップの腕時計を買うことにした。
そこでまた最良のことへの階段が生まれた。
私があげるよりも、他の誰かがあげた方が良いのではないか、彼にもっと私以外の人のとの関わりを持ってもらう方が良いのでないか、うつむき加減の姿勢からの景色をもっともっと新鮮にするにはどうしたら良いのだろうか、彼にどうしたら喜んでもらえるのだろうか、問い続けた。
私はボランティアのEさん{女性}にこう話しかけた。
「彼に時計を買ってあげてくれませんか?100円ので良いですから。もう公園の時計をわざわざ見に行くことも必要なくなるように」
Eさんも彼が公園の時計を見て、炊き出しに来ることを知っていた。
Eさんはおじさんたちとの会話を大切するボランティアなので、私はEさんにお願いした。
Eさんは快く承諾してくれた。
これで彼は週に一度女性とお話をする機会が持てるだろう。
時計を見ては、Eさんの優しさを思い出すことが出来るだろう。
「私は愛されている」とまでは言わないまでも、誰かから思われている、心配されていると思ってくれるのではないだろうかと、私は願った。
マザー・テレサが何を一番に大切にしていたかと言えば、それは目の前の人に「あなたは愛されている」と言うことを伝えることである。
それが私たちが行う最良のことである。
{つづく}
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