4日の土曜日は山谷の炊き出しが休みだった。
久しぶりの土曜日が何の用事もなく、迎えられること、ゆっくりと眠れることを前夜から祝した訳ではないが金曜日は終電まで文化学院の友達とたっぷりと飲んでいた。
天気の良い朝を迎えると、私は何の用事もなかったはずではあったが、何の性がか、グズグズダラダラとはしていられず、この春の今を逃してはならぬとばかりに、朝食後、今年の緑のカーテンのためにゴーヤ二本、西洋朝顔を植えた。
それを相手が照れるくらい十分眺めては「元気良く育て」と祈り、満足しながら、今度はレモンやシークアーサー、まだ小さなオリーブの蕾や花を見て、「良し良し」と喜ぶのであった。
それから前夜たっぷりと飲んだ酒を身体から出すためにトレーニングした。
すっきりとした身体と心になり、次は愛犬あんと多摩川に散歩に行った。
心地良い風が吹き抜けるなか、私はぼんやりとあんの後を付いて行った、私があんに散歩させられているかのようだった。
私にしてみれば、それはそれでも良い、ただあんと一緒に春の気持ち良さを満喫出来れば、それが何よりであった。
多摩川では小学生が大きな声を出しながらノックを受けていた。
あんはそんなことは気にせず、目にも入れず、草の上を少し飛び跳ねるようにして歩き、止まり、クンクンし、また歩いていた。
多摩川の向こう側、調布の空に鈍色の雲が広がって来ていた。
ピカッと光ったと思ったら、ゴロゴロゴロとカミナリがなった。
すると、あんはクンクンしていたのを一瞬にして辞めて、身体を低くして、リードを強く引っ張り逃げるように家に帰ろうとし始めた。
あんの息はカミナリの恐怖で荒立っていた。
私はあんにはカミナリは当たらないと思うのだが、あんはただただカミナリの音がとても怖いようである。
もう少しゆっくりと多摩川に居ても良いと思っていたが、あんが頭を低くして帰ろうとしているので仕方なく帰った。
家に帰ってもまだ雨を降り始めていなかった。
あんの足を洗い、全身清拭をしても、まだ雨を降ってこなかった。
それではと思い、もう一仕事、冬に選定していた木が早く土になるように小さく切ることにした。
どんどん空を暗くなってきた。
大きな雨粒が落ち始めたので作業を辞め、家に入った。
するといきなり小太鼓でも激しく叩いているかのような音がし始めた。
ひょうが降って来ていた。
一センチぐらいもあるひょうだった。
緑のカーテンのゴーヤや西洋朝顔は軒下近くに植えてあるから心配はなかったがレモン、シークアーサー、オリーブの蕾や花は少し落ちてしまうかも知れないと心配しながら、防ぎようもなく耐えるのみと知り、久しぶりに見るひょうを「良くこんなものが降って来るのものだ」と思い眺めていた。
十分ぐらいしたらひょうは落ちてこなくなり、雨だけになっていた。
少しミニに乗って買い物に行こうとしていたが、それは辞め、私はギターの音を合わせた。
あんはあんの避難所テーブルの下に未だ避難したままだったようだ。
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