私は四旬節の間、誓っていたことはビールを飲まない、人の悪口を言わない、思わないことをしてきた他にもう一つあった。
それはイースターを過ぎた今でも継続している、仕事の途中で借りたコンビニのトイレの掃除である。
別に大したことはない、自分が用を足した後、アルコールがあれば、アルコールをトイレットペーパーにつけ、床と便座などを拭くことをしている。
その時に私がいつも思うのは私のトイレの神さま、ガンディーとマザーテレサのことである。
ガンディーはどうしてもトイレ掃除が出来なかった奥さんのカストゥルバを泣かすほどのケンカをしたほど、トイレ掃除を大切にしていた。
マザーはマザーハウスのあるトイレ掃除を自らの特権としていた。
私がこの二人の神さまを思うと、自然と微笑みながらトイレ掃除が出来るのである。
だが、やはり困難な時もある、先日仕事で精神障害者の家の掃除に行った。
そこのトイレは私の想像以上に便で汚れていた、便座までならまだしも、便座の下の便器の横から床まで大胆な芸術作品のように描いた便が激しく付き、床には便の付いたトイレットペーパーがこびりついてあり、それはすでに黒くなり、乾ききっていた。
どうしてこんなことになるのだろうと、絶句とともに見て見ないふりもしたくなったが、私はガンディーとマザーのことを思いだすことで、もう一人の私に勇気を与えた。
黒く乾いた便を割りばしでこすり、時間を掛けて取っていると心がなえても来たが、終いには何だが可笑しくなり笑みも出て来た。
「喜んでやりなさい」とマザーの声が私に笑みを与えていたことを悪臭のなか、肌身で感じた。
やはりトイレが綺麗になると私の心もすっきりとした。
汚いことを書いてしまったが、この二人のトイレの神さまがどのような思い、心でトイレ掃除をしていたかを想像する価値はあるのではないだろうか。
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