今日からバーニーが帰ってきた。
ずっと朝8時になると自分のために祈っていたと話して笑っていた。自分が一人で病院の訪問をしているその時間をちゃんと彼女と自分と一緒に訪問をしていたのだろう。祈りのなかで。
バーニーがいない間の病院での出来事を歩きながら話した。彼女に話しながら改めて思った。自分は今、病院での出来事をなかなか話せる相手がいない。もちろん、嬉しいことは話せるが、辛く悲しく厳しいことはなかなか言えないで居る。話した相手にどんな影響を与えてしまうかを恐れるし、自分が気を弱くなってしまうのも感じている。そうした思いをためてしまっていることも感じている。ただ祈ること、書くことによって心を整えている。しかし、自分が壊れてしまうほどまでためることは決してない。そのことにはかなり注意している。何よりも自分の心が壊れてしまったら、彼らの前に立つことが出来なくなるからだ。それは何よりも避けたいことである。
駅では今日一人死体があった。
昨日会った彼女が死体として運ばれていないかを確かめたくサウスステーションの死体安置所の前を通った。
死体は大柄な男性だった。事故によって亡くなったようだった。
彼女が今、生きているか、死んでいるかはほんとうに判らない。そのくらい生きていることが不思議なくらいの怪我を持って彼女はいた。脳まで蛆虫が入り込んでいた。その個所が進めば、彼女は身体を動かすことすら出来なくなることが簡単に予想された。
しかし、今朝、誰も彼女に会うことは出来なかった。誰も心配をしていた。また会えることを祈るだけだ。施設に運ぶことだけがすべてではない。彼女と少し楽しい話をすることも良いだろう。そばに少し座ることもいいだろう。笑顔を向けていくだけでもいいだろう。
頭のなかが何かで一杯になっているときにやはり自分は想像力に欠けるときがある。自分の思い通りにすべていかないと反射的にそうなってしまっていることが多いだろう。目一杯になっている自分に気が付くようにありたい。
今日も朝食はシュシュババンだった。
シスターカリーナがしょんぼりしていたので声をかけると、ジムからもらったお金の入った封筒をシュシュババンまで来る間に落としてしまったとのことだった。
ほんとうにがっかりして、自分を責めていた。その姿が申し訳ないがとても愛らしかった。
彼女はほんとうに素晴らしい人格の持ち主だと思う。誰にでも、朗らかで優しく、何より明るくあれる人間性は素晴らしい。マザーハウスはしっかりとそうした人格者をボランティア登録の仕事につける。ほんとうに良く考えていると感心している。世界中からほんとうにいろんな人が来るマザーハウスのボランティア登録がどれだけ大変な仕事であるかは誰もが想像付くだろう。
今日から半そでシャツで仕事を始めた。
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