ダニエルはもう今頃イタリアの実家にいて、久しぶりに会う家族や友達たちと喜びの会話をしているだろう。
そして、彼は新しい神さまからの召し出し、MCに入会することを伝えているだろうか、家族に伝えていられるだろうか。
ダニエルは帰る前にこのことはとても大切なことなので会って直接言わなくてはならないと話していた。
余計な心配を掛けたくないと彼も少しナーバスに話していた。
私はどうか彼が家族に喜びを持って、MCブラザーの会への入会を受け入れられるように祈っている。
ぼんやりと見上げた肌寒い曇った空を見上げ、この空の繋がりを感じ、思いの限り祈った、私の視界には電線に三匹の小鳥が何かを囁き合っている、「心配はない、大丈夫だよ」とでも言っているのか、遠く離れたダニエルのところにもきっと愛らしい小鳥が祝福するように囁き合っていることだろうと、私は思った。
土曜日のダニエルの二度目のお別れのミサはとても素敵なものだった。
これで私たちとはほんとうに当分会えなくと言う最後のミサ、ダニエルも言葉を慎重に選び、心を込めて一語一語を丁寧に発していたことが分かった、その緊張も良く分かった。
ミサのなかでの彼の話しは彼の子供の時、冷たい雨降る日、父親が自分の大きなコートに兄とダニエルとを包み込んで、教会までの長い道のりを歩いていたことから語りだされた。
彼の視界はでこぼこの地面だけだったが、優しく守られていると言う安心感こそ、イエスの愛だと彼は疑わなかった。
ほんとうに愛情深い父親に育てられ、ほんとうに愛情深いダニエルが育ったことを思った。
このミサの間、多くの人たちが彼との別れを惜しみ男女問わず涙を流していた。
愛情深い父親のイエスの愛は明らかに伝染していることを目の当たりにした。
私はこんな素敵なミサは初めてかもしれない、私は胸を熱くした。
ダニエルに会わなければ、私は洗礼を受けたいとも、もしかすると思わなかったかもしれないと、そう思うが、しかし、これはすべて神さまの計らいであるだろう。
そう感じ、そう思わずには居られないのである。
ダニエル、今日マザーハウスのシスタープリマにあなたの手紙と私の手紙を送った。
マザーハウスで私が洗礼を受けれると言うことは未だに夢のような心持ちになってしまう、そこには複雑に数々の思いが行きかっている、だから、喜びと緊張が胸から溢れ出そうになったんだ。
すると、主の祈りが自然と私の口からこぼれだしていた。
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