ずっと読みきれていなかったガンディーの真理も二冊目に行き、ようやく、ガンディーが生涯で17回の断食の最初であるアーメダバードでの断食のところを読み終わった。
この最初の断食で彼は心理的に物凄く揺れる、にもかかわらず、だんだんと確信、真実とへ近づいていく。
しかし、そのすぐあとのイギリスへの兵士募集を募ることに無我夢中なる。
一ヶ月前にビハールでは貧しい農民たちにサティヤーグラハを説いていたにもかかわらず、彼は今度その間逆である兵士募集を説いた。
それも当時のインド総督、またその秘書官にかなりのおべっかの手紙を書いたりしていた。
どうしてガンディーがそのような行動に出たかと言えば、それは父親との関係からの克服、やり直しであった。
目上の上のもの、絶対なる力のあるもの、イコール、それは父親であり、同一視し、彼にとっては絶対なる奉仕を神経症的にしてしまうのであった。
しかし、ガンディーの呼びかけには農民の誰一人賛同しなかったばかりでなく、彼を反対に見下したりするものもいた。
これは当たり前でもあった。
敵を愛せと説いたものが一ヶ月も経たないうちに今度はある意味人殺しに行きなさいと言ってきたのであるから。
ガンディーはここで激しい赤痢になり、重体になり、数ヶ月間散歩もできなくなった。
その間神経衰弱なりながらも、ガンディーがここで自分の誤りに気付く、この真理を見出すガンディーだからこそ、彼はマハトマ{偉大なる魂}になっていく。
こうしたところを読んでいくと、人の一生とは幼年期に培った親との関係を否応なしにずっと持ち続ける恐怖すら感じる。
だが、それと同時に、誤りを認め、そこと対話するものは、親の呪縛から解かれ、自分らしい自分になり、ほんとうの意味での自分になりえる。
病気により、彼は自分を整え、心理へと統合していった。
そこを神が見守ったことは確かのように思える。
ガンディーの真理はとても深く重い本であり、難しいところもあり、読みきれていない感は拭えないが、それでも、素晴らしい。
無意識に培った親への恨みやその罪悪感は、人の神経症的行動や怒りに出やすい、いつまでも親の声を聞き続け、それを形を変え、従わざるを得ない生き方を選んでしまう。
そこに幸せはあるのか。
自分を苦しめているだけではないのか。
また周りにもその苦しみを与えているだけではないのか。
問う必要があるように思えてならない。
苦悩に耐え、またその苦悩が自己を成長させる。
あなたがそうさせるのである。
この瞬間もである。
祈りの必然を感じずにはいられないだろう。
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