今日のしんぶん赤旗のスポーツ欄は、「監督が怒ってはいけない大会 勝利よりも子どもの将来」の見出しで、トップ記事となっている。
私の三鷹高校時代は、のちにメキシコ五輪で銀メダルに輝いた「女子バレーチーム」のセッターの生沼スミエ選手が同級生でした。そのとき、顧問をしていたのが、山田重雄監督です。私ら、部外者には、普通の体育教師でしたが、バレーボールの指導では、暴力監督でした。
私は、真壁高校へきて、顧問の成り手がなかったバスケットボール部の担当をすることになりました。審判もできない素人監督です。
あるとき、笠間高校へ練習試合に行きました。前半は、真壁高校がリードしていました。笠間のコーチは、ハーフタイムに、女子選手を体育館のステージ下につれていきました。
後半がはじまったら、笠間高校の選手の動きがまるで変ったのです。あという間に逆転され、負けてしまいました。笠間高校の監督は、ラグビーの専門家で、バスケットはよく知らなかったので、ステージ下で「気合をいれる」ことしかできなかったのです。
しんぶん赤旗の記事に戻ります。バレーボール元日本代表の益子直美さんが、「監督が怒ってはいけない大会」の主催者の一人です。
ネットで、「監督が怒ってはいけない大会」と書くと、いっぱい記事がでてきます。
記事(一部略)を紹介します。
勝利よりこどもの将来
監督が怒ってはいけない大会
「監督が怒っているチームはありますか~」バレーボール元日本代表の益子直美さんが、ニコニコとマイクで問いかけます。するとわいわいと回りを見ながら、約350人の半数ほどの子が手を上げました。
福岡県宗像市での小学生のバレーボール、「監督が怒ってはいけない大会」。9年目の今回は8,9日に開催されました。
上がった手の数をどう見るのか。
益子さんは「起こる監督は着実に減っているし、大会の風景も着実に変わっています。以前はみんな怒っていましたから」と説明してくれました。
第1回は2015年。益子さんは監督会議で「監督は怒ってはいけないルールにします」と宣言。
「えー、そんなことできないよ~」。指導者から声があがった」といいます。
苦い経験から
3人(益子さん、運営担当の北側さん夫婦)がこのユニークで貴重な大会を立ち上げたのは、苦い経験があったから。
「一度もバレーが楽しいと思えなかった。いつも怒られないよう、殴られないようにと。褒められないから自身も持てず自己を否定し、自分が大嫌いになていた」。円形脱毛症になり、片頭痛や下痢が続く日々、実業団引退後、それがピタリと止まったといいます。
~ 略 ~
よさを取り戻す
子ども自身が楽しみ、主体的にかかわり、スポーツマンシップを身に着ける。スポーツのよさを取り戻そう。大会に込められた思いです。
回数を重ねると、「怒らずにどう教えたらいい?」との声も聞かれ始めます。保護者の存在が重荷になっている姿も見えてきました。3年前から大会で監督、保護者に講習会を始めました。
益子さん自身が講師資格を取り、怒りを制御する「アンガーマネジメント」、短いことばでやる気を引き出す「ペップトーク」、スポーツの本質も学び直し語りかけます。
「指導者が学び、目先の勝利より子どもの将来を見つめてほしい」と呼びかけます。
部活動での暴力的指導の報道を目にし、「もっと急がなくては」と、2年前に一般社団法人を立ち上げました。「大会を開いて」の要望も増え、6都市で開催。他の競技からも声がかかります。
昨年末、日本財団から表彰を受けました。社会、地域、子どもの未来のため、スポーツマンシップを競技場外で発揮する人らをたたえる賞です。
「3人で手探りだったので認められて本当にうれしい。もっと担い手が広がることが願いです。これはスポーツ界の問題だけでなく、日本社会の問題であると思うから」。益子さんは言います。
大会で怒った監督は、✖マーク入りのマスクを着用します。今大会は一人だけ。体育館には、怒声はなく、選手たちの明るく元気な声が響きわたりました。「子供たちの笑顔がエネルギーです」。3人の挑戦のゴールは、その視線のずっと先にありそうです。
(和泉民朗)
私の三鷹高校時代は、のちにメキシコ五輪で銀メダルに輝いた「女子バレーチーム」のセッターの生沼スミエ選手が同級生でした。そのとき、顧問をしていたのが、山田重雄監督です。私ら、部外者には、普通の体育教師でしたが、バレーボールの指導では、暴力監督でした。
私は、真壁高校へきて、顧問の成り手がなかったバスケットボール部の担当をすることになりました。審判もできない素人監督です。
あるとき、笠間高校へ練習試合に行きました。前半は、真壁高校がリードしていました。笠間のコーチは、ハーフタイムに、女子選手を体育館のステージ下につれていきました。
後半がはじまったら、笠間高校の選手の動きがまるで変ったのです。あという間に逆転され、負けてしまいました。笠間高校の監督は、ラグビーの専門家で、バスケットはよく知らなかったので、ステージ下で「気合をいれる」ことしかできなかったのです。
しんぶん赤旗の記事に戻ります。バレーボール元日本代表の益子直美さんが、「監督が怒ってはいけない大会」の主催者の一人です。
ネットで、「監督が怒ってはいけない大会」と書くと、いっぱい記事がでてきます。
記事(一部略)を紹介します。
勝利よりこどもの将来
監督が怒ってはいけない大会
「監督が怒っているチームはありますか~」バレーボール元日本代表の益子直美さんが、ニコニコとマイクで問いかけます。するとわいわいと回りを見ながら、約350人の半数ほどの子が手を上げました。
福岡県宗像市での小学生のバレーボール、「監督が怒ってはいけない大会」。9年目の今回は8,9日に開催されました。
上がった手の数をどう見るのか。
益子さんは「起こる監督は着実に減っているし、大会の風景も着実に変わっています。以前はみんな怒っていましたから」と説明してくれました。
第1回は2015年。益子さんは監督会議で「監督は怒ってはいけないルールにします」と宣言。
「えー、そんなことできないよ~」。指導者から声があがった」といいます。
苦い経験から
3人(益子さん、運営担当の北側さん夫婦)がこのユニークで貴重な大会を立ち上げたのは、苦い経験があったから。
「一度もバレーが楽しいと思えなかった。いつも怒られないよう、殴られないようにと。褒められないから自身も持てず自己を否定し、自分が大嫌いになていた」。円形脱毛症になり、片頭痛や下痢が続く日々、実業団引退後、それがピタリと止まったといいます。
~ 略 ~
よさを取り戻す
子ども自身が楽しみ、主体的にかかわり、スポーツマンシップを身に着ける。スポーツのよさを取り戻そう。大会に込められた思いです。
回数を重ねると、「怒らずにどう教えたらいい?」との声も聞かれ始めます。保護者の存在が重荷になっている姿も見えてきました。3年前から大会で監督、保護者に講習会を始めました。
益子さん自身が講師資格を取り、怒りを制御する「アンガーマネジメント」、短いことばでやる気を引き出す「ペップトーク」、スポーツの本質も学び直し語りかけます。
「指導者が学び、目先の勝利より子どもの将来を見つめてほしい」と呼びかけます。
部活動での暴力的指導の報道を目にし、「もっと急がなくては」と、2年前に一般社団法人を立ち上げました。「大会を開いて」の要望も増え、6都市で開催。他の競技からも声がかかります。
昨年末、日本財団から表彰を受けました。社会、地域、子どもの未来のため、スポーツマンシップを競技場外で発揮する人らをたたえる賞です。
「3人で手探りだったので認められて本当にうれしい。もっと担い手が広がることが願いです。これはスポーツ界の問題だけでなく、日本社会の問題であると思うから」。益子さんは言います。
大会で怒った監督は、✖マーク入りのマスクを着用します。今大会は一人だけ。体育館には、怒声はなく、選手たちの明るく元気な声が響きわたりました。「子供たちの笑顔がエネルギーです」。3人の挑戦のゴールは、その視線のずっと先にありそうです。
(和泉民朗)