いとおしき日々

花と歌とあなたと

いつの日か再び〜白浜に (ポンポロ島)

2012年01月22日 | 旅の思い出

 
雪の色に  おなじ白良(しらら)の 浜千鳥 こゑさへさゆる あけぼのの空
                                  寂念法師

 
雪ように白い白良の浜で
千鳥が鳴く その声さえ
冷え冷えと響く 曙の空よ
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お部屋から

朝6時半 しらしらと夜が明けはじめた。

朝陽に照らされた砂は ますます白かった。

朝食をすませ チェックアウトまで 一人で散歩した

 

 

 

風莫(かぜなし)の

浜の白波 

いたづらに 

ここに寄せ来る
 
見る人なしに
            巻9-1673

 

 

波よする 

しらゝの濱の 

からす貝 

拾ひやすくも 

おもほゆるかな 
         西行
 

 

 

 

 

 

 

ホテルの部屋からみえる 石の堤防が気になって 歩いていった

 

内にはポンポロ島と書いてある
ホンポロ・・てどういう意味??

 

白い砂浜が 波の浸食作用によって
やせていくのを防ぐために作られた
石の島・・・だそうだ

 

 

砂が真っ白くて まぶしい

 

 

 

 

 ここも別惑星にたどり着いたような感じ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も晴天
 空も海も真っ青で気持がいい



このあたりには たくさんの無料の足湯があり
かわいい二枚貝から 湯が絶え間なく流れ出ていた。

むかし昔、真白良姫というたいそう美しい娘がいた。
真白良姫は海辺に出ては潮騒を聞くのが大好きだった。
ある日、いつものように潮騒を聞いていると
ひとりの若ものが通りかかった。
二人はひと目で恋におちた。
いっしょに潮騒に耳を傾けたり
貝がらを拾ったり しあわせなひとときを過ごしたが
若者はやがて都へ帰らなければならなかった。

若者は一対の白い貝がらを手にし
「この貝をお互いだと思い大切にしよう。必ずまた、もどって来る。その日まで・・・・」
そう言って一つずつ貝を持ちあった。
しかし若者は二度ともどってくることはなかった。

それから後 白浜の海に珍しい白い貝が一対で発見された。
人々は 二人が貝になって結ばれ
いっしょに潮騒を聞いていたのだと噂したそうな・・・


       この若者こそ 有間皇子だった と書かれているけれど・・・



遠くに白浜バプテスト基督教会が見えた。
白浜レスキューネットワークの活動はここでされていそうだ・・・
近くまで行ったが迷ってしまって 時間がなくなりホテルに戻った。

白浜の旅は 晴天と素敵な方々にであって すばらしい旅になった
感謝

 

      18日9時 ポンポロ島 白良浜にて

 

陽の塊が海に溶け落ちていく〜 白良浜にて

2012年01月21日 | 旅の思い出


あかね雲の中に光を放って陽が沈む
その数分をここで静かに眺める時がしあわせな時間・・・

西村さんはそのようなことを話された。

 



この美しい夕日を見ながら 海に身を投げる人の思いを
どんな気持で受け止めてこられたのだろうか

ゆっくりと沈んでゆく夕日が 全てのものを紅く染めてゆく

 今日出会った人の やさしい思いやりが 
雲の中に溶けていく



まばゆい残照は
まるで自分の心中の良心を照らし出しているかのように思えた

世間のすべなきものは 年月は流るるごとし

ふと憶良の”人間として生きることの哀しみ”を歌った長歌を思い出した
 
http://manyo.hix05.com/okura/okura.sarisi.html

か黒き髪にいつの間か霜の降りけむ  紅の面の上に いづくゆか 皺が来りし

ハイヒール姿はパンツとスニーカーに ババシャツまで着る日が来ようとは思わなかった。
それは母とて同じ。不恰好に歩く姿など人前にさらす事は さぞ苦痛だろう
それでも 生きていかなければいけない

混沌としたカオスのような黒い雲から

垂れ落ちるように 陽の塊が海に溶け落ちていく。

 空と海と 光と闇 すべてのものが溶けあって 天空は暗闇になった
すると美しい月が顔を見せ やがてチチッ々と鳴く千鳥の声が聞えた。

闇があるからうすい月の光がみえるように 老いていくのもそう悪いことではないかもしれない。
少しは人のやさしさが分かるようになったもの・・・

なお 水平線からでる残照が 雲を紅く染め続けていた


 17日 白良浜突堤、権現崎より


青い海と雪のような白砂〜白良浜

2012年01月20日 | 旅の思い出


千畳敷を後して 神島や水族館など観光しながら白浜をドライブしていただいた。

海底観光船、グラスボートはお休みだったが
水族館で充分、海の底は見せていただいた。



見る方向によって かたちの変わる円月島

照葉樹林に神が住むと信じられ
神の島として崇められている神島も遠くからだが見ることができた



いよいよホテルに・・・ 白良浜の側にたつ白良荘グランドホテル

みなさんのおすすめでこのホテルにしたが
 足の不自由な母には勿体にほど丁寧にしていただいた。
従業員のみなさん、親切な方々ばかりで お食事も美味しく
何よりプライベートビーチのように 母でも歩いて行ける距離に 白い砂浜が広がている。 

風もない小春日和、のんびり浜辺に座って過ごした。

遠見ゆる白良の浜の砂白しうしろに迫る丘の上まで 
                      日比野道男

鏡のように静かな青い海は ささやかな白波さえ立たず
 
雪のように白く明るい白砂は 座っても服に砂もつかないほど細かい

 昔、瀬戸村に彦左という力の強い男がいた。
ある年の夏、田の草取りの帰り 白良浜で河童と命がけの角力を取り、勝った。
それまで河童はたびたび陸へ上がって来ては 村人に悪事を働いていたので
もう二度と陸へは上がらぬという約束で 命を助けてやった。

 彦左は「いつか もし白良浜の白砂が黒く深まったり 
沖の四双島に松が生えるようなことがあったら 陸に上がらせてやろう」と言った。
 河童はなんとか陸へ上がろうと 白良浜へ墨を塗ったり 四双島に松を植えたりしつづけたが
いつも波に洗われて願いを果たせず とうとう陸へ上がって来られなかったという・・・

それ以来 とうとう河童は白良へ来なくなった。
「この頃少し白良浜は黒くなってきたようじゃなア」と言いながら 
今でも人気のない夜の浜辺を 河童はこっそりと歩いているかもしれない・・・
                                          ( 民話 彦三と甲羅法師より)

 

白良浜を一望できる露天風呂にはいり お食事を前に私一人で夕日を見にでかけた。

ホテルから歩いてすぐ 権現崎?だろうか
円月島に沈む夕日が パンフレットに載っていた^^

冬の夜の寒さも知らす白銀のはまの眞砂に千鳥啼くなり

多くの人がそれぞれの場所で それぞれの思いで夕日を眺めていた。

母はお部屋から 手に取るように沈んでゆく夕日を見たと
子供のように感激して話してくれた


 

別の惑星にたどり着いた♪ 千畳敷〜 (白浜3)

2012年01月20日 | 旅の思い出

海にも時々の表情がある
怒涛渦巻く、勇壮雄大な太平洋を見ようと 満潮時を選んだが
今日の三段壁はおだやかな母なる海だった。

三段壁からも見えた 千畳敷へと向かう

太平洋に向けて突きだしている大岩盤
その向こうに はるか広がる青い海
地球の丸さを実感する 魅力的な水平線

波濤が岩盤を洗う・・・そんな光景を今日は見ることはできないが 
何層もの階段状のスロープ状になって広がっているので
岩畳をゆっくり歩いて 波打ち際までゆくことができた。

岩盤の表面はまるで年輪のように 不思議な模様が描かれている。

まさに自然がつくり出した繊細な芸術品

 形も色もさまざまな 見上げるような岩の間を歩いていると
まるで別の惑星にたどり着いたような感じすらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母を残して 不思議な空間をずいぶんゆっくり歩いたが 思った以上に広かった。

「ここは朝陽、夕陽とも百選にも選ばれている」とタクシーの運転手さん。
海も岩肌も すべてが茜色に染まるのだろうか・・・

あかねさす 日の暮れゆけば すべをなみ 千たび嘆きて 恋ひつつぞ居る
                                  巻12−2901


やはり夕ぐれは寂しくていけない・・・

朝陽にそまって 空も海も岩盤もとけあった朝の光景を見たい

 

 

青い海に散ったいのち〜 三段壁 (白浜2)

2012年01月19日 | 旅の思い出

白浜駅からタクシーに乗る
平草原(へいそうげん)で白浜の町を一望して三段壁
展望台は ”見壇(みだん)”と呼ばれ漁師さんが船の動きや 魚の群れを見る場所だそうで
雄大な太平洋と 絶壁の三段壁を眺めることができる。

運転手さんが 歩けない母のため岸壁まで車をつけてくださった。
今回の旅は欲張らず母がいける場所を歩こうと決めていたので 柵のある歩道しか歩かなかったが
風光明媚な歴史遺産であると同時に 身投げをする人が後を絶たない所だそうだ。

「今日はめずらしく海で凪いでいる」と運転手さんが言われて
私は ドキッとした・・・

22歳と18歳の若い命が この青い海に散った。

異母兄弟だった二人は 叶わない恋を苦に心中したのだ。

この断崖絶壁のどこかに”白浜の海は今日も荒れてゐる” と掘り込まれた石碑がある。

死を前にして 紅い口紅で石に”白浜の海は今日も荒れている”
と書かれた字が そのまま掘り込まれたそうだ。



生命をかけて貫かれた恋、
そのはかなさと一途さが美しく語り継がれたとしても 何になるだろう。

”まことの花”とは そんな花ではない
いのちを絶ってしまっては もう二度と愛は語れない・・・

潮に洗われ 波に食いちぎられた岩のむこうには
おだやかな海原が はてしなく続いていた。



しかし真下には洞窟が 人を沈めた口をぽっかりと開けいた。

穏やかな日だと言われたが 洞窟はゴウゴウと音が響き
差し込んだ陽に海がきらめいていた。



はらはらと 落つる涙ぞ 哀れなる たまらずものの かなしかるべし 
                                         西行

はらはらと落ちる涙の あわれなことよ
たまらないほどの悲しみが なにかあるに違いない

その日の夕ぐれ ”白浜レスキューネットワーク”の西村さんに出会った。

西村さんお気に入りの場所で しばらく一緒に夕日を眺めながら
”いのち”について話をした。
いのちの電話の設置だけでなく 社会復帰のできる活動を行っている。。。と言われていた


しだいに風が強くなってきて 身体が海に投げ出されそうになって恐かった。

西行は 西方浄土への新しい旅出のため”西行”と名のったという。
三段壁でこの夕日を見たら 西方浄土に行きたいと思うかもしれない

いやいや・・

風に吹かれ死に触れ 波に過去を洗い流し また新しく生きようとしてほしい

寒さも忘れ しばらく真っ紅に染まる海を眺めた

                                       1月17日 三段壁、白良浜突堤にて

 

雪のいろにおなじ〜 白浜1

2012年01月19日 | 旅の思い出


雪のいろにおなじしららの〜♪ 

潔白で雪のように白い砂
紺碧の海に鳴く千鳥



年末から母が神経痛で歩行困難な日が続いていた。 私も気分が重く晴れない・・・
めったに温泉に行きたいとは思わないのだが 
駅で南紀白浜のパンフレットを見て以来 一度は行ってみたいと思っていた。
夫が 突然に ”行ってくれば・・・”と言ってくれたので
あまりに急だが 思い切って白浜で母と温泉につかってくることにした。

親切な白浜の方々のおかげで おすすめのホテルもとれた。

前日の暗天が嘘のように 空は晴れ渡り、真っ青い空が広がり
風もなく穏やかで 上着が要らないほどの陽気になった


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが恋の 数にしとらば 白妙の 浜の真砂も 尽きぬべらなり
                                   後撰集644 

わたしの恋を 数えながら取ると
浜の真っ白い砂も尽きてしまうことでしょう

白浜のお歌かどうかは知らないが 人の悩みや病も砂の数ほど・・・・

こんな美しい風景のなかで
あの世に旅立とうとする人が後を立たないらしい



 
日々いろんな苦労や悩みはあるけれど 死にたいと思うほどのものではない
自分は何てしあわせなのだろうと思った。

帰宅して お肌もこころもつるつるになっていた^^*

                        1月17日 平草原展望台にて

 

 

 

...なお 足るを知らず

2012年01月14日 | 季節の歌かるた

 
年末、何のために誰のために あくせく働いているのだろうと思ったとき
新聞に”止足の戒め”という記事が載っていた。

経済界も”止足の戒め”を見直す頃・・・だというようなことが書かれていたが
私は何度読んでも ちんぷんかんぷんだった。
止足の戒めとは
足るを知れば辱められず 止まるを知れば殆うからず”という老子の教え
つまり己だけ利益だけを追い求めていたら いい結果は得られない…ということだろう。

金融界のエリートはどうか知らないが 我々が40にも50にもなって
自分の利益のためだけにがむしゃらに働く人もどうかと思うし 
またそんな人はあまりいないような気がする。

そもそも 自分のためだけに頑張るには限度がある。



そんな折、NHKの「風の果て、尚足るを知らず」の再放送を知った。

原作は藤沢周平の「風の果て」だが文中に...尚、足るを知らず…
なんて言葉がでて来ただろうか?と不思議に思い 録画してみた。

男同士の 暗く厳しい政権争いの物語のように思っていたが
ドラマと原作とはテーマが違うようで見終えて後、さわやかだった。

そもそも「足るを知る」とは何なのか・・・
どうも富や名誉のことだけではないらしい

脚本家、竹山洋さんは 主人公が
足るを知れば、こんなに苦労することはなかったろう
人間の骨の奥にある 誠のようなもの、
信義のような、大きな愛のようなものを書いてみた 
と書かれている


主人公は 己の正義を疑うことなく
風のように一目散に走ってきた。
ふと立ち止まり、自分に何が残ったのか問うてみる。

友だちとの青春時代を哀惜し 
成し遂げてきた仕事の感慨にふけるが
心にぽっかり穴が開いたような空しさが残る。

何かに怒り 澄んだ目をしていた若い頃の自分を思い起こす。

そして老いて 自分の未熟さも 
人生のはかなさも知ったうえで
なお気持を引き締め
また明日からも精一杯生きようとする。


老いて”尚、足るを知らず”・・・


 

私はしみじみと心にしみた。

人は 時に振り返り 思い起こし 
生きている限り感謝しながら 精進していかなければいけない。
そんな姿勢で生活していかなければいけない・・・

年配の方々が”日々たいせつに生きよ”と言葉をかけてくださるのは
きっとこう言うことなんだろうな…と思った。

そうそう 最後に主人公が”をはじめようとする。

ふっ^^ やっぱり私もこれからは書かな?
とりあえず PC以外に静かに座る時間をつくらないといけない・・・^^;


 

雪舟が涙でねずみを描いたと言う〜宝福寺

2012年01月11日 |  倉敷


雪舟が幼いころ修行し涙でねずみを描いたと言う伝説で有名な寺

  岡山県総社市井山  宝福寺

山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵など重厚な
七堂伽藍を完備した巨刹で 境内は雄大で静寂 清浄
風雅なおもむきのあるお寺だった。

山門は不安定ながら 力つよく迫ってくるを感じの門で


          

軒を支える尾垂木や木鼻にひそむ 龍や獅子がかわいい

参道を進めば 後水尾天皇の筆による「祈祷」の額
          豪壮極まりない仏殿に導かれる

円窓で 花頭窓ではないのがちょっと残念かな。。。

紅葉の頃なら さぞ美しいだろうと思いながらお参りした。

たった一日のことを また長く書きすぎました。
詳しいことは↓ にバトンタッチ!

http://iyama-hofukuji.jp/

                            1月4日 宝福寺にて

 

 

雲は龍に従い

2012年01月11日 |  倉敷

 

宝福寺の仏殿の天井描かれた“水呑みの龍

禅寺の仏殿の天井にはよく龍が描かれているが
宝福寺の龍は
”夜な夜な池の水を飲む。龍を恐れた里人が龍の目に釘を打ち封じた”
と伝えられているそうだ。



三本爪の雲龍図で 尻尾に鈎はない
龍は天にのぼるものだと思ったが 目に釘を打たれては上れない

こうして写真に撮ってみると釘は見えないが
暗い天井でから見下ろす龍の赤い目が 
私には泣いているように見えて哀れだった

 

今年は辰年ということもあってか 
龍のイラストの年賀状をたくさんいただいた。


その中に”雲従龍”(雲は龍に従い)と 
書かれてものがあった。

身をくねらせた龍が 冬空に爪をたて 
大空をつかみながら昇天していく 
すがすがしい情景が浮かんできた。

昔の人は 虹を龍が天にのぼる姿だと思ったそうだ

この地は一年を通して降水量が少ない

龍が天空を飛翔すると 
雲が湧き上がり  雨を降らせる。
やがて出た虹を見て
雨を降らせ 天に昇っていく龍に感謝したのではないのだろうか?・・・


 


souuさんのブログに”三人一龍”という言葉が載っている
”共に学びあい 研鑽しあって立派な人物になることを言った言葉”だそうで
souuさんは赤い紙に濃い墨で 力強く書かれる”そうだ・・・

いいなあ〜最近 遊書という言葉を聞くが
 わたしも今年は書を習って 隆々とした龍を描きたいものだ

 

                                               1月4日 宝福寺にて

 

蚊屋(かや)采女〜総社平野

2012年01月09日 |  倉敷


壮大な規模を誇る山城”鬼ノ城”(きのじょう)

標高400mの山頂付近にきずかれた城は 
高さ6〜7mの堅固な石垣と土塁をめぐらせた周囲3キロちかい城壁を備え
4か所の城門、5か所の水門、面積は30万平方キロにも及ぶ。

もともとは7世紀に対外防衛のために築かれた朝鮮式山城だそうだ。

鬼ノ城を北に望む 総社(そうじゃ)平野も豊かな水田が広がっていた。

古豪 賀陽(かや)氏の地盤で 
そこに住む美しい娘 蚊屋(かや)采女

 

秋の田の 
穂田ほだの刈りばか 
か寄り合はば 
そこもか人の 
吾を言なさむ
        巻4-512


刈り時の稲穂のように 
お互いに近寄っていったら
人は噂するでしょうね
そのくらいのことで…

 

采女に差し出され 
舒明天皇の寵愛を受けて皇子を産んだそうだ。
中大兄皇子の異母兄弟になるのだろうか?

采女すべてが不幸になったわけではないらしい。

 

 

 

総社市には雪舟生誕地の石碑もあり

山すそには幼い頃雪舟が修行したといわれる井山宝福寺がある。


 

 

桃太郎の伝説が蘇る〜 吉備津神社

2012年01月08日 |  倉敷


一品聖霊(いっぽんしょうりょう)吉備津宮、
新宮、本宮、内の宮、隼人崎、北の南の神客人(かみまろうど)、
丑寅(うしとら)みさきは恐ろしや

かつて都人は ここには鬼が棲むと畏れていた。
たしかに本殿の東北の隅(鬼門)には温羅(うら)が祀られている。

昔話 桃太郎の発祥となった温羅(うら)伝説
吉備津彦=桃太郎  温羅=鬼とみなされた。

その昔、温羅という百済の王子が吉備の国で悪事をはたらき人々に恐れられていた。
そこで温羅退治に大和から派遣されたのが 武勇の誉れ高い吉備津彦命。
吉備路を舞台に双方が熱い戦いを繰り広げる
と いうお話と・・・


                                    
また一方では
戦いに破れて吉備の国にやってきた百済の王子 温羅は
快く受け入れてくれた吉備の人々に感謝して 
お礼に百済のすぐれた造船、製鉄技術を授し 吉備の国は繁栄する。
温羅を中心に勢力を増す吉備の国を恐れた大和朝廷は 吉備津彦命を派遣して撃退。

温羅は捕らえられて首をはねられ首は串刺しにされて曝される。
しかし首は唸り続けて止まない。
首を犬に喰わせるが 髑髏となってもなお吠え止まず
釜殿の地下八尺に埋めてもなお、十三年間唸り止まなかったという。
温羅は死してなお、吉備の人々を思い 世に吉凶を告げる・・・というお話


これが
鳴釜神事だろうか?
私はあまりに知らないことが多く 調べれば調べるほど面白く わくわくする。


温羅がこもったとされる鬼ノ城(きのじょう)、鬼ノ釜

温羅の目に矢が命中して 真っ赤に染まったという血吸川
温羅伝説にまつわる地名や旧跡が多く残っている

大和朝廷にとって 吉備の国の豊かな経済力と勢力がよほど怖い存在だったのだろう。

あまり不当な温羅征伐や すさまじい吉備民衆への苛斂誅求
批判をこめたお話だろうかと思った。

やがて吉備は大和王権に組みこまれ
備前 備中 備後国の3つ分けられ さらに備前国からは美作国が分割される。
こうして吉備王国は完全に封じられ崩壊する。



ともあれ・・・美しい松並木の参道の先には美しい社殿が建っている。

屋根は本瓦葺、木は丹塗りで壁は白く塗られ
長さ390mの曲線を描く美しい回廊

周りに植えられた四季折々の花を愛でながら降りると 北門に出る。


 

  

 

朝露のごとし〜吉備の采女

2012年01月08日 |  倉敷

 
やがてこんもりとした森の中に 仁徳天皇の時代に創建されたといわれる
吉備国の総鎮守”吉備津神社”が見えてきた。

優美で雄大な比翼入母屋造り(ひよくいりもやつくり)の本殿は
八坂神社につぐ規模をもつ。

吉備津神社のある吉備都宇(つう)群出身の采女がいた。

 

妃に迎えられた黒媛の頃から 何年が経つのだろうか?
”容姿端麗の子女を奉れ”
吉備国は服従の証として舎人(とりね) 采女(うねめ)を差し出すようになっていた

結婚することも恋をすることも許されない
悲しい宿命を背負った采女

采女は後宮で天皇の身の回りの世話が仕事ということだが
行動は厳しく規制され、監視され 天皇の私物として扱われた。
一切の自由を奪われ 後宮の中で炊事、洗濯、掃除などの
雑役のみに明け暮れる日々を過ごさねばならなかった。

天皇以外の何人も指一本触れることはできず 
誰をも恋することは許されなかった。
その禁を犯すことは王権の侵犯であり 
大罪とされ死罪や遠流に処せられたそうだ。

ここに柿本人麿の”恋しい人と一夜をともにしたため 琵琶湖に身を投げた”
吉備の采女を弔う挽歌がある


秋山の したえる妹 なよ竹の とをよる児らは いかさまに 思い居れか        
    
      秋山の色づいたように優雅で美しい娘  なよ竹のようなしなやかな娘は
                      どんな風に考えていたのか
栲縄(たくなわ)の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕には消ゆといへ    
          たく縄のような長い命であるものを
                      露だったら 朝おりて夕べには消えるというし
霧こそば 夕に立ちて 朝には 失すといへ   
                   
霧だったら夕べに立ちこめ 朝には無くなってしまうというのに
梓弓 音聞く我も おほに見しこと悔しきを    
                    美しい評判を聞いてはいたが ぼんやりとしか見たことがないのが悔やまれる
しきたへの 手枕まきて 剣太刀身に副へ寝けむ  
                    枕のように手を交し合って 剣や太刀のように体を寄せ合って寝た
若草の その夫(つま)の子はさぶしみか 思ひて寝らむ 
                   若草のような夫は 今は寂しく寝ているだろうか
悔しみか 思い恋ふらむ                  
                   
死を悔やんで 恋慕っているのだろうか
時ならず 過ぎにし児らが朝露のごと 夕霧のごと  
                 
寿命を待たずに死んでいった娘が 朝霧のように夕霧にように思われてならない

奴隷のように朝廷に差し出された娘は 故郷に逃げ帰ることもできなかった。

国にも親にも迷惑をかける・・
湖に身を投げることしかできなかった。

ふるさとに居れば 豊かな家の美しい姫として幸せな一生に過ごせただろうに
采女とは なんと悲しい制度だろうか・・・

 

 

                             1月4日 吉備津神社にて

 

備中国、国分寺〜黒媛の恋物語

2012年01月07日 |  倉敷


年末の疲れがなかなか抜けず 鬱々と気が重いので 
小雪の舞う寒い朝、思い切って伝説や神話を求める吉備路(きびじ)へとドライブに連れていってもらうことにした。

周辺には 古代王国の権威を物語る古墳群や 史跡 名所がいたる所に点在している。

郷愁あふれのどかな田園風景
できれば春、菜の花やレンゲ畑の吉備路を走りたかった。

かな4つの川が瀬戸内海に注ぎ なだらかな丘陵と水田地帯が広がっている
この地がいち早く水田稲作が始まった 先進地であったのも頷ける。

かつてはこの麓まで海がせまり 吉備の中心の港として栄えていたそうだ。

海岸地帯では製塩、
花崗岩地帯の高原では タタラ製鉄による砂鉄生産と
瀬戸内海の東西交通の中心地だった吉備は 
人と物の交流の中から膨大な富を蓄積していた。

 

5世紀に入ると吉備王国と呼ばれる強大な政治勢力が興り 
大和に匹敵する力を誇示するようになった。
しかし大和との覇権争いに敗れてからは 吉備王国は分割され完全に崩壊してしまう。
その分割された西側、備後に私は住んでいる。
            *
     倉敷から総社へと走ると やがて優美な五重塔が見えてくる。

             備中国、国分寺

古代の繁栄を象徴する巨大な石室と
副葬品をおさめた多くの古墳が発見されている。
特にこの地では 全長100m、
巨大な横穴式石室を有するこうもり塚古墳黒媛の墓と信じ 仁徳天皇との恋の物語に思いをはせてきたそうだ。
         
            *
仁徳天皇は 宮中に仕える吉備の海部直(あまべのあたひ)の娘 黒媛を愛し 妃の一人にする。
しかし仁徳天皇には評判の あの妻がいる
皇后の激しい嫉妬にあい 吉備へと追われてしまう。

黒媛を忘れることができない天皇は 
淡路島に行くと嘘をついて 吉備の国へと向った。

 
山縣に 蒔ける青菜も 吉備人と 
       共にし摘めば 楽しくもあるか

歓迎の宴の青菜を採むため 野にでた黒媛にやっと会うことができた

やがて天皇との別れに 黒媛はその胸の内を歌に込めた

大和方へに 西風吹き上げて 雲離れ 退(そ)き居りとも われ忘れめや

大和へと西風が吹き雲が離れていくように
たとえ私たちが離れ離れになろうとも
私はあなたことを忘れることはありません。

大和方に 往くは誰が夫 子守鶴の 雛よ這えつつ  往くは誰が父

 さらに子供が宿った事を告げた。
 
やがて黒媛はかわいい姫を生んだという

天皇家と吉備一族の女性との親密な関係は 多く語られているが
吉備の女性の生んだ皇子は 一人として天皇になってないそうだ。

またユーモラスなほど逃げ帰る妃を 天皇が追いかけていく姿は
鉄や海産物など 豊かな資源をもつ吉備との友好を願う 
天皇の寓意だったのかもしれない・・・

やがて大和との覇権争いに敗れた吉備国は
大和からの過酷な誅求に甘んじざるを得なくなっていく

妃、黒媛から悲しい吉備の采女へと女性の生き方も変わっていった




                       1月4日 国分寺にて

 

風吹きて 明日と言はば 

2012年01月06日 |  鞆の浦


風吹きて 海は荒(あ)るとも 明日と言はば 久しくあるべし 君がまにまに 
                                     巻7-1309

風が吹いて海が荒れていているわね
明日にしましょ、と言ましたが 待ち遠しい...
だからあなたの思うようになさって


・・・なんて言われて 風もなんのその、男は女のもとに急いだろうか・・・

北西の風が冷たい日だったが 北に山を背負ったこの地は
春のような陽気で 冬の風すらここち良い。

”静”という字は”青が争うことだ”とも
青が美しい意味だとも聞いたことがあるが

ときおり聞えてくる ぼぅ〜となる汽笛の音が 静けさを破るだで
青い空と海の争いは シ〜ンと静まったままだった。

海のふくよかな胸に
いつくしむように 風が吹き

空の大きな背中に
いたわるように風が吹き

光と影とのやわらかな境界線に 風が吹き
あとからあとから とどまることなく風が吹く

 

 



動き続ける川や海が淀むことがないように
風の吹かない日など 考えられないように

一瞬たりとも 動きをとめる時などない。。。

青が争う= 静か

青い宇宙はゆっくり動いている。
わたしも時間をかけて少しずつ 少しずつ 
ゆっくりと静かに次の時へと動けばいい・・・

そんなことを考えながら 足元の危うい断崖で
しばらく ぼ〜っと海を眺めた。

 

         2011年1月8日 おはようを贈ります 阿伏兎観音さまにて 

 http://blog.goo.ne.jp/tukikusa_may/e/c54b2da1b01d28e6a316349bc3e9c1

2010年1月10日 あぶとの観音さま

http://blog.goo.ne.jp/tukikusa_may/e/69dd166aa2fe0a44e2a63abe6a6f4e7d
http://blog.goo.ne.jp/tukikusa_may/e/5a990442dcc90dc19c675cdaabdd02f6 

 

 

海ゆかば・・・

2012年01月06日 | 万葉集 こころ

 
海行かば 

水漬(みづ)く屍(かばね) 

海を行けば 水に漬かった屍となり

山行かば 

草生(む)す屍(かばね)

山を行けば 草の生す屍となって

大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ

かへりみはせじと・・・

大君のお足元にこそ死のう 
後ろを振り返ることはしない

この歌は 家持が天皇に忠誠を誓った長歌の一節で
歌を作り天皇の期待に応えようとした。

一族の忠誠を高らかに歌い上げた 勇壮な趣がある。

今回 ブログを書くために調べていて
戦争中、戦意高揚のために歌謡になって利用された事をはじめて知った。

短歌のリズムと言葉が音楽性をおびて 挽歌にはならなったのだろうか・・・?

万葉集では 挽歌は鎮魂の役目を担い

魂鎮めの役割を担っていたというのに・・・

家持の嘆きが聞えてきそうな気がした。

 

今回の震災で 自然は文明やそれを生んだ人間に牙をむき
自然まで破壊してしまった。

水漬(みづ)く 屍(かばね) 

海に流され行方不明のままという方々の
あまりに哀しい現実を 人々はどうやって受け止められたのだろうか・・・
わたしだったら・・・と思っただけでも厳しい。

いまは穏やかに見えるこの地も 万葉の頃には多くの屍が流れ着いていたという・・・
あの頃は 魂は身体から浮遊し 山から天にのぼり神になると信じれらていた。
しかし今は、魂の存在を信じることができず 戸惑うばかり・・・



わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし
                            福島泰樹