九州および四国地方が梅雨明けしました。暑中お見舞い申し上げます。関東の梅雨明けは月末か八月初めまでずれこみそうですが、昨日は久しぶりに夏の青空となり、湿気のないさわやかな風が吹きました。当ブログも背景を夏用に替えました ^^
さて今回は、うつわと料理の関係についてのお話です。
わたしが敬愛する琳派(※-1)。展示会に出かけたり、図録をながめたり、関連の書籍を開いたりと、これまで何度も琳派のことをここに書く機会はあったのに、あまりにも「琳派が好き」という気持ちがつよすぎて、どうしても書けませんでした。ところが、六月のある日の朝刊の片すみに、「乾山の器に折々の料理」という見出しを発見。料理本のアカデミー賞といわれるグルマン世界料理本大賞2005年の写真部門に、江戸時代の名陶・尾形乾山(おがたけんざん、1663~1743年、尾形光琳の実弟です)のうつわに四季折々の料理を盛った写真集『美し(うまし・うるはし) 乾山四季彩菜』(MIHO MUSEUM出版)が最優秀賞を受賞した、とあるのを読んで、書かずにはいられなくなりました。
これまで、魯山人のうつわに料理、という企画なら、図録やテレビの特集などで見てきたけれど、乾山のうつわに料理を盛ったものは初めて。記事には乾山の「色絵短冊皿」に手まり鮨を盛った写真が添えられていて、細長い四方皿に盛られた手まり鮨はまるで花のようで、皿の手描き文様がちょうど葉の役割を果たすように見えるのです。この美しさは、いったい何なのでしょう‥
滋賀県のMIHO MUSEUMに問い合わせましたら、書店には置いていないというので、すぐに郵送してもらいました。写真家の越田氏が、乾山のうつわと料理で四季を表現するため、およそ一年をかけて撮影した写真集です。春は焼筍、山菜の天ぷら、夏は茹でトマト、鮎の塩焼き、秋は栗の渋皮煮、田楽、冬はふろふき大根、野菜の炊き合わせ‥ こんな料理の数々が、乾山ならではの飄逸な線で銹絵(さびえ)や色絵をつけた皿に美しく盛られています。乾山ファンのひとりとしましては、もう、たまりません。
新聞の記事には「器は独特の、変化に富んだ意匠で人目を引くが、不思議と料理を引き立てたたたずまいに、関係者も驚いた」とありますが、わたしはいままでがまちがっていたのだと思えてなりません。美術館のガラスケースを通してしか実物を見ることのできない“美術品”だった乾山のうつわが、料理を盛ることによりついによみがえった、というほうが正しいでしょう。こんなにうれしいことはありません。それに、乾山のうつわは彼の生前から公家大名から庶民の間にまで知られていたし、当時の茶会記にも乾山の名は記録されていて、うつわは向付(むこうづけ ※-2)として活躍していたのですから。
届いた写真集の中から、乾山の「色絵阿蘭陀写市松文猪口(いろえおらんだうつしいちまつもんちょこ)」を、恋文をしたためるような気持ちで水彩画に描きました。市松文様は、深くて味わいのある藍色。なんてモダンな意匠なのでしょう。乾山は、破天荒で天才肌の兄・光琳とはちがって、温和で几帳面なひとだったのだろうな、と思う。線に迷いはないけれど、ひとつひとつが計算しつくされていて、その計算どおりに丁寧に描かれていることが、絵筆をとおしてじかに伝わってくるのです。
この市松文は、京都の桂離宮の松琴亭の襖の意匠にも使われています。「阿蘭陀写(おらんだうつし)」とあるのは、長崎の出島を通じてもたらされたオランダのデルフト焼き(※-3)がモデルだからだそうです。
江戸時代、琳派は、その絵もうつわも人々の暮らしを美しくする道具でした。宗達が下絵を描き、光悦が流麗な書をしたためる。乾山がつくる皿に兄の光琳が自由闊達に絵付けをする。そんな、「和して同ぜず」という、凡人にはとうてい達することのできない至福を、心底うらやましく思うのです。
食器には、料理を盛りつけてみて初めて、その美の真価を目の当たりに
する凄さがひそんでいます。それは視覚的な美しさからだけでは
わからない、食の美との協働によって湧きいづる「用」の美しさです。
乾山のやきものの本領、そして奥深さは、まさにそこにあるといえます。
(『美し 乾山四季彩菜』より)
ちなみに、今回のグルマン世界料理本大賞には世界各国から実に6,000冊の応募があったそうですが、この乾山の賞のほかにも他部門で日本勢の料理本が最も多く受賞したそうです。世界に誇る日本の食文化は、まだ健在なのですね。うれしいニュースでした。
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※-1 琳派
本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一など、江戸時代に
同じ表現方法で装飾的な絵画や陶芸の作品を数多く生んだ美術家・
工芸家たちをさす名称。おもな作品は、「楽茶碗 銘『不二山』」(光悦)、
「風神雷神図」(宗達)、「紅梅白梅図」「燕子花図」(光琳)、
「色絵絵替土器皿」「花籠図」(乾山)、「夏秋草図」(抱一)など。
※-2 向付は、懐石料理で、膳部の向こう側に置く刺身・酢の物などの料理を入れるうつわ。
またはその料理のこと。
※-3 オランダの陶都デルフトのデルフト焼きは、17世紀の中国陶器、ペルシア、
日本の伊万里焼きなど東方貿易の影響を色濃く受け、模倣と試行錯誤の末、
完成されたそうです。品のあるデルフト・ブルーが特徴。
暑中お見舞い申し上げます。こちらこそご無沙汰しておりました。落ちこんでいらっしゃるって‥、いったいどうなされたのでしょう。のちほどうかがいますね。
今夜は月下美人を撮らせてもらいました.観ていただけたら嬉しいです。
皆さんにも観ていただけたら嬉しいです。
7月30日、中国~関東甲信越地方にかけて梅雨明けしたそうです。いよいよ夏本番です! 蒸し暑いのは苦手ですけれども、工夫をして短い夏を存分に楽しみたいです。お子さまが夏休み、という方もたくさんいらっしゃるでしょう。宿題をできるだけ早く済ませて、楽しい夏の思い出を作ってくださいね。
> みいさん、
昨夕と今朝、ちょっと気の早い(?)ヒグラシが鳴きました。ヒグラシって不思議‥夕も朝も、ほとんど同じ時間に鳴き始めるんです。それも、ほんのわずかな間だけ。彼らはすばらしく精密な体内時計をもっているようです。
雪佳の金魚は、正面の顔を描いてユーモアたっぷりですよね。ゆらゆら水中にゆれる動きもみごとに捉えています。わが家のメダカたちも、正面から見ますと実に滑稽でユカイで、愛らしい表情をしています ^^ この視線が、雪佳の面白いところかもしれません。彼の図案集などは、そのまま絵本にもなりそうです。
> 四季や店主さま、
暑中お見舞い申し上げます。こちらですこしでも涼を感じていただけたのでしたらうれしいです。明日の疫神社の夏越祭で今年の祇園祭も終わりですけれども、暑さはこれからが本番ですし、地蔵盆、送り火と、まだまだ京の夏の風物を楽しませていただきます。神のご加護があるとはいえ、くれぐれもお身体おいといくださいませ。
夏らしいブログの背景ですね。
乾山の器も涼しげです。
恋文をしたためるような気持ちで…
描くことでそういう気持ちをもてるなんて
絵心のない私にはうらやましい限りです。
ここに来て、凉しげなうちわ、風鈴、そして雪月花さんのステキな絵に出合って、こころまで涼しくなった気がしています^^
琳派のことお勉強させてもらいました。ありがとうございます。うつわも、それにふさわしい料理との出会いがあって一段と輝きを増すのでしょうね。一期一会の・・・。
琳派といえば、私の頭に浮かぶのは、上坂雪佳の「金魚玉図」です^^あのユーモアたっぷりの顔をした金魚です。こういうの好きです^^
夏の宵の端居の風鈴、うちわ、乾山に、気持ち良く酔っていただけてうれしいです ^^ 有難うございます。
わたしは佐野乾山といわれる一連の作品を見たことはなく、乾山が佐野に下向していたことも、昨年読んだ乾山関連の本から知りました。200~300点ほどあり、工房説もあるようですから、何を真作とし、何を贋作とするのかを論じるのは至難の業のように思われます。それに、たとえ「真作」としたことろで、トクをするのは誰かということを考えますと、明確にならないほうがよいのかもしれない、と思ったりもいたします。いずれにしても、乾山にはいまだ世の中を騒がせるほどの魅力がある、ということですね。当代一の目利きの眼力を「贋作では」と狂わせるほどの真作さえありそうな気がします。太宰治も惚れていたなんて、知りませんでした。まずは、機会があれば「佐野乾山」を見てみたいです。
朝顔は蓮華よりもはかないいのち。二日月と一輪の朝顔が出合うように、早朝の花との語らいがまさに一期一会ですね。
葦簾を通して、朝顔の花影が見え隠れする。緩やかな風に、風鈴が鳴るや鳴らずや。藍色の市松猪口には、丹波は羽田酒造の「初日の出」の大吟醸。注げは器が凛と鳴りそう。その音色は風鈴よりなお清涼・・・。
「朝顔」 山村暮鳥
瞬間とは
かうもたふといものであらうか
一りんの朝顔よ
二日頃の月がでてゐる
MIHO MUSEUM では、この九月から、骨董の目利きとして白洲正子や小林秀雄の師でもあった青山二郎をとりあげる特別展が予定されています。信楽というやきものの里ならではの企画です。ご興味のある方はぜひお出かけください。
> uragojpさん、
この写真集をひらいている間は、まさに眼福至福の時間です ^^ 乾山のうつわとデルフト、そして長崎出島との結びつきも実に興味深いですよね。気のきいたうつわのお店をのぞけば、乾山写のものはいくらもありますけれども、やはり本歌に料理を盛ったものにはとうてい及ばないでしょう。とはいえ、本歌など手にする身分ではないですから、わが家では乾山写の豆皿五枚揃に薬味をのせたり箸置きとして使用しながら気持ちをなぐさめております。最近知ったのですが、京都の縄手通にあります板前割烹「千花」では、料理とともに乾山のほんものを味わえるそうです。いつか行ってみたい!
ご愛用の琳派デザインの帯とは、すてきですね。尾形家は東福門院御用達の呉服商、雁金屋でした。さぞかしみやびな、洗練された意匠なのでしょう。いろいろと想像をふくらませております。
> むろぴいさん、
むろぴいさんの朝顔のうちわも拝見しましたよ。京うちわですね。紅という色にかかわらず、繊細な透かしがほんとうに涼しげです。友常先生おすすめの京都の「阿以波」は、憧れのうちわです。
食器は好みのものばかり集めてもうまくゆきません。日々の食卓に季節感や取合せに統一感をもたせようとしますと、ほんとうに難しいです。佳いものを見たり、実際に使ってみたりと、それなりの訓練が必要だな‥ と痛感しております。
> boa!さま、
蓮華の記事へリンクをしていただきまして有難うございました。
乾山のうつわのことは、もっと早くに記事にするつもりでいましたのに、いつもののんびり癖ですっかりのびのびになりました。boa!さまに読んでいただけただけでもうれしいのですが、銘まで頂戴して感激しています。あわせて箱書きもお願いしたいです! これはお猪口ですから、そのまま日本酒でいかがでしょう。boa!さまは、この本の中のどの取合せがいちばんお好きかな‥、などと勝手に思ったりしています ^^ 魯山人のうつわとどうちがうのか、並べて見てみると何か面白い発見があるかもしれませんね。手もちの魯山人の本をひらいてさっそく試してみます。
実は、boa!さまにはもうひとつ、ぜひ見ていただきたい光琳の蒔絵の佳品があります。小説の題材にもなったもので、東京の青梅市にありますちいさな美術館の所蔵品です。記事にしましたら、また見ていただけますでしょうか。わたしはこの光琳にずっと取り憑かれているのです。
MIHO MUSEUMU の秋の展示、ほんとうに楽しみですね。青山二郎がboa!さまの眼にどのように斬られるのでしょうか、いまから楽しみです。わたしもなんとかして、信楽に出かけたいです。
> 紫草さま、
わたしは、こうして乾山に料理を盛ったものを見て、初めて乾山の真価を知るのですけれども、紫草さまはこれまでのお茶事の経験からお向こうのあるべき姿をご存知ですから、たとえ美術館のガラスケースごしに見る乾山でも十分に味わうことができるのではないでしょうか。
わたしは、琳派はやはり町衆のものであったことが肝要で、時代が下って江戸琳派の抱一や其一になりますと、もう宗達や光琳の画境からだいぶ離れてしまうように感じます。“お殿さま”暮らしを捨てて江戸に遊んだ抱一も好きなのですけれども‥
辞世は、早くから隠棲の志をもっていた深省乾山らしいものですね。けれども、彼ののこしたものは、これからもこの世に愛され生きつづけてゆくことでしょう。
琳派は徳川の時代になってから文芸復興(ルネッサンス)の旗幟と成り世を風靡いたし、日本文化の美術・工芸・文学を形成し独自の美的感覚を作り上げて云ったのではないのでしょうか。その中でも、本阿弥光悦・光琳・乾山・は血筋もつながり、経済力もあり京清水焼を広めるに至った。
乾山については沢山の書物があり、ここに述べる暇は
御座いませんが、芸術三昧の生涯を放逸無慙と言い放って、ついにこの世を去った81歳。東京巣鴨の善養寺にある墓石には、辞世の歌が刻まれている。
うきこともうれしき折も過ぎぬればたたあけくれの夢計なる
あれは、W杯のさなか、グルマン世界料理本大賞の写真部門で乾山の器にもりつけた料理を写した本が最優秀賞を受賞したと記事が出ていると、コメントしてくださいました。(6月11日)
MIHO MUSIEUMにもとんでみました。乾山に肩入れする私としては、垂涎の一冊です。秋に出かける折には一緒に帰ることにします。
日本料理は、器半分といわれます。
魯山人は自分の料理をよそうためにヤキモノづくりをやっています。本来、「用」を果してこそのヤキモノでしょう。飾られたひからびた器は半分いのちを失っているような気がします。そして、使われることで育ってゆくのがヤキモノと思っています。
強い共感と、「あくがれ」の目で記事を拝見しました。
「青山二郎の眼」がはじまる秋が、山懐のMIHOが待ち遠しいことです。必ずご報告しますね。
勝手にこの猪口に「松琴亭」と自分だけの銘をつけて記憶することにします。
よく雰囲気が出た描画で、思い入れの深さが偲ばれます。
涼しげな夏の風物、団扇も、風鈴も自作ですね。
わたしの「蓮の花」とは、天と地の差がありますので、トラックバックはご遠慮して、「天上の花」にリンクを貼らせていただきました。ご諒承くださいませ。
ブログのデザイン変えられたのですね。
朝顔の「うちは」、つりしのぶにつった「風鈴」がとても涼しげでいい感じです。
高級な器、道具として使ってあげることが大切なようですね。同じ料理でも、その料理にあった良い器で盛りつけられていると、全く味がかわりますよね(^^)
懐石膳に映えますね・・・想像しただけで
ワクワクいたします。
私」も以前叔母から、ふるい帯(乾山、光琳の絵が染めてあります)ですが頂き、すみれの花が描いてありますので、春がくると愛用しています・・・
この「市松文」の器、なんとすっきりとしていて、お料理も映えますね。オランダ写し、
長崎の出島を通してもたらされたデルフト焼
との関連・・・
現在、長崎の出島、ここ数年かけて再現に力を入れています。お茶会などにもお借りします。日本の食文化もなかなかいいものえすね。懐石料理の一汁三菜なかにも、ぎょうしゅくされた趣があります。
琳派のこと、いろいろ教わりました。
梅雨明けとともに、厳しい夏がやってきました。くれぐれもお大事にお過ごしください。