送り梅雨の候 各地で大雨による被害が出ています。気温もぐんと下がり、七月下旬の気候と思えない肌寒い日がつづいています。みなさま、お気をつけておすごしくださいますよう。
このころ、「蓮葉(はちすば)のにごりに染(し)まぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」(『古今集』 遍照)と詠まれた蓮の花が咲き始めます。白亜紀からすでにこの世に存在していた太古の植物は、一億数千万年という気のとおくなるような時間を秘めて、早暁にお釈迦さまの蓮華座のような美しい花を咲かせ、わずか四日間の花のいのちをわたしたちの記憶に留めて散ってゆきます。
水走る散華つと見え蓮嵐 (皆吉 爽雨)
一日目。朝まだき薄明の中で、かたく閉じられていたつぼみがわずかに開き、午後にはまた閉じてしまいます。
二日目。早暁に香るような萌黄色の花芯をのぞかせて発(ほっ)と開花し、夕刻にはまたつぼみにかえります。
三日目。微風にも崩れそうなほど開ききり、つぼみにもどる余力もなく、そのまま夜をすごします。
そして、四日目の午後。花弁は、ひとひらひとひら、散ってゆきます‥
精根尽きた蓮が花弁を傾けて夕陽を浴びている様子を見ていると、
そのまま人の一生もこの四期に尽きるのではないかと思われる。
幼年、青年、壮年、老年と、花の開閉は人の生涯を連想させずには
おかない。
(志村ふくみ著 『語りかける花』 二千年と四日の命 より)
京都は洛西双が岡(ならびがおか)のふもと、花園にある待賢門院璋子(※)の私寺・法金剛院は、七十を越える品種の蓮が苑地を彩ります。風のまだ涼しい早朝に雪色の花弁を広げた蓮に出合うと、ほんとうに清々しい気持ちになります。白蓮が、妄執を解脱し雲上の仙境でこころしづかに玄宗皇帝との連れ舞いをなぞらう玉三郎さんの「楊貴妃」の舞姿なら、紅蓮は西行の憧れの君、待賢門院のお姿でしょうか。艶麗でふくよか、気品にみちています。
蓮にまつわる美しいお話があります。
清時代の中国に『浮生六記(ふせいろっき)』という本を著した沈復(シェン・フ)という貧しい学者がいました。いつもお金に困っていて、毎日の食べものにもこと欠くような生活をしていたのですが、芸(ユン)というこころやさしい妻がいました。夕刻、芸は蓮の花びらが閉じる前に、お茶の葉を布にくるんで花の中にいれ、翌朝、花がふたたび開くと、そこから茶葉を取り出して花の香のするお茶をいれて、夫婦で詩を朗読したりしながら幸せに暮らしたそうです。
すてきなお話でしょう? 花のふくいくとした清香を楽しむお茶を、ためしてみたいものですね。ゆたかなお茶の文化と自然にとけこんだ清貧な暮らし。日本にも、同じようなお話がどこかにありそうな気がしませんか。
泥中に生まれながらも、泥に染まらず。
清い水に洗われて咲く 聖なる天上の花。
蕾にも花にも、葉も枯れた花托にも。
どんな姿にも 心揺さぶられる。
いけてみてわかる神秘的な蓮の輝き。
まっすぐな茎、艶やかな葉の表情にも、
太古からの生命の不思議を思う。
自分にとって、蓮は至上の花。終生のテーマです。
(川瀬敏郎 『四季の花手帖 1』 春から夏へ より)
※ 待賢門院璋子(1101-1145年)
平安時代後期、第74代鳥羽天皇の中宮で、第75代崇徳、第77代後白河両天皇の母。
女院は晩年を法金剛院ですごし、いまも法金剛院の北、花園西陵に眠っています。
絶代の美貌を謳われ、信仰心も深かった女院。
当時の歌僧・西行は、女院への思慕を断ち切るために出家したという説もあります。
西行は女院を月にたとえて、こんな歌を詠んでいます。
弓張りの月にはづれて見し影の 優しかりしはいつか忘れん
面影の忘らるまじきわかれかな 名残を人の月にとどめて
蓮の花で印象に残るのは、学生時代に観た黒澤明監督の処女作「姿三四郎」の場面です。桧垣の門弟との乱闘で勝った三四郎(藤田進)が師匠の矢野正五郎(大河内伝次郎)に叱責され、「先生の命令とあれば、いまでも私は死ねます!」と叫んで池へ飛び込む。しかし、死ねるはずもない彼が杭に縋り付いたまま夜が明ける。いつか眠っている三四郎。池の面を朝靄が這う様に流れる。突如として鏘然と鳴るものがある。ハッと目覚めた彼の眼前に、純白(白黒映画でした)の蓮の花が咲いて静に揺れている。それを凝視する三四郎の両眼に溢れ出る涙。しかし、それは悲しさではなくて何か胸に染みて感じる喜びの涙。三四郎の邪心や征服欲や顕示欲は、無心に咲く蓮の花の命の美しさの前に霧消する。花の無心は、無私の境地のイメージ。最後の桧垣源之助(月形龍之介)との対決で、三四郎が逆十地固めで首を絞められた絶体絶命の時に、揺れる蓮の花が脳裏に浮かび三四郎は微笑む。それを見て逆上した相手の一瞬の隙を突いて、彼は必殺の山嵐で宿敵を倒す。昭和十七年の製作ですが、何年経ってからも美しい映像が印象的でした。
それといつでしたか、(永井)荷風は蓮の香りを乗せた夏の風で、「荷」は蓮の葉を言うとか聞いたことがあります。当の作家はその名に相応しい人柄だったかどうかは、存じませんが。
「日下江の入り江の蓮(はちす)花蓮身の盛り人(びと)羨(とも)しきろかも(古事記)」。雄略天皇と引田部の赤猪子(あかいこ)の物語。天皇は若い赤猪子を見初めて「嫁に行くな」と告げ、信じた彼女は八十歳まで待ったが使者は来ない。天皇の前に進み出る赤猪子。詫びる天皇。しかし、時は既に遅過く彼女は還らぬ若き日を歎くのみ。何時の世も権力者はイヤですねぇ。しかし、この逸話は眉唾ものです。女性が八十歳なら天皇は何歳になっていたのか・・・。
二千年前の古代の蓮を咲かせた大賀蓮などと呼ぶのもあってそれもロマンがありますが、蓮の花に茶葉を封じ込めて翌朝に戴くなどと、かくの如く典雅な心根を養いたいものです。
「白鷺」 北原白秋
白鷺は、その一羽
水連の花を食(は)み、
水を食み、
かうかうとありくなり。
白鷺は貴くて、
身のほそり煙るなり、
冠毛(かむりげ)の払子(ほつす)曳く白、
へうとして、空にあるなり。
白鷺はまじろがず、
日をあさり、おのれ啼くなり、
幽かなり、脚のひとつに
蓮の実を超えて立つなり。
清貧な暮らし・・・
泥中に生まれながらも 泥に染まらず。
清い水に洗われて咲く 聖なる天上の花。
苗にも花にも葉にも枯れた花托にも
どんな姿にも こころ揺さぶられる。
わずか四日間の花の命という・・
そんな思いで今まで「蓮の花」を私はみていなかった。
ただ綺麗にさいている花たちを観賞していた私・・・
「苛」は「蓮の葉をいう」とか、「苛葉釜」
をお茶席にもつかいます。
蓮の葉は、葉蓋のお点前にも使います。
今日「葉蓋」のお稽古をしたところです。
各地で大雨の被害がでていますね。被災なさった方本当にお気の毒です。予知が進んでいるこのごろですが、天災の怖さがひしひしと
伝わってきます。くれぐれもご自愛くださいませ。
蕾は愛らしい合掌の形、開いた花は清浄で品格があり、はちすになれば、重厚な仏様を思う。
我が家の近くにも、古代蓮の咲く古寺があります。今年はまだ、観にいくことができないでいます。梅雨明けには是非行ってみたいとおもっています。
雪月花さんの記事拝見して、蓮のお寺早く行きたくなりました^^
雪月花さんが蓮の花の美しい文章を記されましたので反面、美しさ故に羨望し、されたのでしょうか、?
美し過ぎて、かわいげのない花で上手な絵描きの天女の顔のようだ。何と無く仏様めいていてなじむ気になれない。完璧でいささかの欠点も破調の無いのが気にかかる。
蓮の花ゆらりとゆれて散りにけり (村上鬼城)
牡丹散ってうちかさなりぬ二三片 (蕪村)
牡丹も正に完璧な花であり。前者も、崩れる瞬間に、作品にする間を見たのであろう。蓮の散華を詠んだ句に。
白蓮やはじけのこりて一二片 (飯田蛇笏)
蓮といえば蓮根。酢蓮、煮付け、天ぷら、と切ることばっかり考えるのは何故だろう。すりおろす発想が加わると、料理が多様になる。蓮根蒸し、団子で具にする味噌汁もおつな味。 高橋治著(くさぐさの花)
大賀博士のことば
「千古を通じてあやまりなき 世界最古の生命の発露である」
今回ご紹介した染織家・志村ふくみさんの著書から引用しました「二千年と四日の命」と副題された文章の一節は、この大賀ハスを書いたものです。
いまの住まいのある町にも大賀ハスが咲きます。観蓮会は八月上旬の早朝に予定されており、例年より開花が遅れているのではないでしょうか。当日は「荷葉酒」がふるまわれるそうです。
温暖化がすすむと梅雨明けが遅れるそうです。この大雨はいつまでつづくのでしょうか。これ以上雨の被害が拡大しなければよいのですが‥
> 道草さん、
花から学び、無心を知る者のほうが勝るという黒澤明監督の映画のお話もすてきですね。絶体絶命の三四郎は蓮華座におわしますお釈迦さまに導かれたのでしょうか。黒澤監督は風鈴なども効果的に映画に使ったそうですが、日本の美とこころをみごとに映像化して、わたしたちに強烈な印象を残して世を去った巨匠だったのですね。雄略天皇と引田部の赤猪子の物語は、世阿弥の物狂いの能「花筐」に、どこか通じるものがあるように感じられます。
わたしは白鷺が好きで、今回の京の旅では鴨川や修学院離宮の浴龍池に遊ぶ白鷺の姿を楽しみました。「白鷺は貴くて 身のほそり煙るなり 冠毛の払子曳く白 へうとして 空にあるなり」。こんな姿を、水墨画でさらりと描いてみたいものです。有難うございました。
> uragojpさん、
泥中からうまれる浄土の花‥ という印象を蓮にいだくようになったのは、大賀ハスに出合ってからのことでした。その蓮田には「清月蓮」や八重咲きの「盧山白蓮(ろさんはくれん)」というめずらしい花も咲いておりました。花だけでなく、朝露をのせてゆらぐ表情ゆたかな蓮葉の緑もよいものですね。
「苛葉釜」とは蓮の葉のことなのですね、知りませんでした。「葉蓋」のお点前のお稽古もされたとか、桔梗のときも今回も、uragojpさんと折々の季節の花をこのようなかたちで共有できて、とてもうれしく思っております。
> みいさん、
朝の光の中に見る蓮華の美しさは格別ですね。花びらの一枚一枚が薄絹のよう‥ ほんとうに、あのすき通るような花弁をあつめて夏の羅衣を作れたらすてきですね。
白蓮は、『平家物語』で平清盛の寵愛を受けた白拍子たちの哀しい舞いをも想像させてくれます。
仏も昔は凡夫なり 我等も終には仏なり
いずれも仏性具せる身を へだつるのみこそ悲しけれ
> 紫草さま、
寺田寅彦とうかがいまして、氏の随筆をお好きだった裏千家お家元の実弟、故・伊住先生のことを思い出しました。以前同じころに京都を訪れました折、貴船神社水祭の献茶式にて、伊住先生のみごとなお点前を拝見いたしました。貴船の清流にユキノシタの可憐な白花が涼をさそう京の奥座敷の思い出です。
ご指摘のとおり、蓮華を水彩画に写そうと試みましたが、この透明感と美しさがどうしても表現できず、今回は写真に添えて、日々花仕事をされている志村ふくみさんと川瀬敏郎さんに語っていただくことにしました。わたしのような凡夫にとってはあまりに遠い存在のようです。にもかかわらず、年を重ねて蓮や牡丹、芍薬の花などにこころひかれるようになりました。
散華の句をもうひとつ‥
葩(はなびら)を葉に置く風の蓮(はちす)かな (加藤 暁台)
高橋治の作品をお好きですか? 『くさぐさの花』はまだ読んでおりませんけれども、高橋氏もまた日本美の求道者のひとりですね。
蓮の花、蓮の浮き葉、蓮池、を見たり思ったりしているときに、生死について何も考えていないはずは無い。漱石の目と心に蓮の花はどの様にうったのだろう。
蓮切に行つたげな椽(たるき)に僧を待つ
生死大事大蓮は開いて仕舞いけり
ほのぼのと舟押し出すや蓮の中
夕蓮に居士渡りけり石欄干
白蓮に仏眠れり磐落ちて
もう一人の尼が85歳の生涯を閉じた。尼は歌人、作陶家、書の名人でもあった。辞世の歌に。
願はくばのちの蓮(はちす)のはなのうえに
くもらぬ月を見るよしもがな
尼は太田垣蓮月といった。京都に生まれて生母から引き離されて、人に養われた。夫に二度先立たれ、子にも全て先立たれ、知恩院で剃髪、尼となる。
杉本秀太郎著(花ごよみ)より
仏教の世界で「蓮」は「泥中の蓮華」と言われ、仏教思想の象徴的存在ですね。
蓮は決してキレイとは言えない環境、すなわち泥地に生育します。
蓮の花は実に清浄無垢な姿をしています。そう雪月花さんのいうように
蓮は夏に花を咲かせ、蓮の一生は蕾(つぼみ)の開花から散華まで、僅かに四日間。
開閉を三度繰り返し、四日目には散っていきます。
いかなる環境においても正しい生き方を貫き通せばキレイな花が咲く、
たとえ、それが十分儚いものだとしても。
おそらく仏教の根底に流れる考えとはこの様なものなのでしょうね。
しかし、私は熱烈な仏教信者というワケではありませんし、
清純に生きろ!なんて他人様に言える立場にもありません。
ただし、この蓮の華を見ていると、宗教とは別の意味合い=メッセージを感じます。
それは、「蓮の華がこれ程まで美しい華を咲かせる事をどれだけの人間が知っているのか?」、
つまり、「泥=人の気付かない所」に実は「美しい華=真実」が埋もれているかもしれない、
ということです。・・・と書いてみたのですがどうでもいいことですね^^
ところで お話はかわりますが
雪月花さんは「室町椿」をご存知でしょうか?
宇治の平等院で発掘調査で出土した室町時代の種子から育てたツバキが開花したと聞きました。。
約600年前の植物の種子が発芽だけでなく開花までするのは珍しいことです。
出土した種子の開花は、先のコメントで雪月花さんが紹介しているように
約2000年前のハス(大賀ハス)の例がありますが、ツバキでは最古の例になるそうです。
発掘調査で池の底から室町時代の土器などとともに出土したもので、
池底の土と水で空気から遮断され、種子が腐らなかったことが幸いしたそうです。
このツバキは「室町椿」となずけられ、宇治市植物公園で観察をつづけているそうです。
「室町椿」は、600年 そして
「大賀蓮」は、2000年の空白がありましたが、
今咲く花々はいにしえよりいのちを受け継ぎ此処にあります。
花だけでなく私達ひとりひとりもいにしえよりいのちを受け継ぎ、
此処にいのちの花を刻一刻と咲かせているのでしょう。
昨日、雨の中烏丸半島の蓮の花を見てきました。
とても大きな蓮でびっくりしました。
あんなにたくさん咲いた蓮の花を見て
とても癒されました。
夏目漱石の蓮華を詠んだ句を拝見して、ある思いが浮かびました。漱石のいわゆる三部作といわれる『三四郎』『それから』『門』、そして『こころ』。わたしはつねづねこれらを合わせて四部作なのではないかと思っておりますけれども、これらの作品はすべて漱石が朝日新聞社に席を置くようになってから書かれております。ご存知のとおり、『門』は主人公が親友の妻を奪った苦悩の末に禅寺の門をくぐるという話。そして『こころ』は、『門』の主人公が“先生”となって現われ自ら死を選ぶという、孤独な明治の知識人の葛藤が描かれています。『門』では禅寺ということになっておりますけれども、仏教では菩薩のような慈悲心に目覚めることを「発心、発願心、発菩提心」などというそうで、発(ほっ)と開く蓮の花びらは迷いを、散華の後に残る花床は開悟を表すのだとか。(松本章男 著 『京都 花の道を歩く』より) そうしますと、漱石の四つの作品を、蓮華のつぼみから散華までの四日間になぞらえるような気がするのです。蓮の花に執着した漱石の晩年に著された『門』『こころ』は、我執を捨てるため自らのこころの変遷をたどったものだったのでしょうか。
ほのぼのと舟押し出すや蓮の中
この句など、しづかなこころで三途の川を渡りたいと願う、作者の気持ちの表れのようではないですか。
また、太田垣蓮月が得度した知恩院といえば浄土宗ですが、法然上人がこのような歌を詠んでいます。
月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ
月とはもちろん阿弥陀仏のことで、月をながむる人とは「南無阿弥陀仏」を称える者のこと。太田垣蓮月の歌は、蓮華に坐す阿弥陀仏のご慈悲にすがりたいと言っているようです。
紫草さまの示唆に富むお話から、このようなことにまで考えが及んでしまいました。勝手なことをつらつらと書きまして、失礼いたしました。有難うございました。
> 雪椿さん、
今回もまた、雪椿さんの清みきったこころを見る思いのするコメントを頂戴して感激しています。「『泥=人の気づかない所』に実は『美しい華=真実』が埋もれているかもしれない」‥ なんということでしょう、わたしはそんなことにすこしも気づいてはいませんでした。お言葉を頂戴して、心底有難い気持ちでいっぱいになりました。禅語に「遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)」がありますけれども、まさにこのことでしょうか。自然は何もかも隠さずすべてを見せている、真実は身のまわりに現れている、それなのに、見えるか見えないかはその人次第だと‥。蓮華の真の姿に気づいていなかったわたしは、見る目、感じるこころを、もっと養わなくてはいけませんね。
六百年前の花を咲かせたという「室町椿」のこと、初めて知りました。この種子が、約千年前に建立された宇治平等院の浄土庭園から発掘されたということが、ますます興味深いです。この花もまた、かつて浄土に咲いていた花‥ 太古から引き継がれているいのちの不思議を思わずにはいられません。
雪椿さん、有難うございました。室町椿のこと、忘れません。いつかその花を拝みに出かけようと思います。
ようやく来週には梅雨明けでしょうか。ご自愛くださいね。
> かめひろふささま、はじめまして。
近江の膳所からようこそお越しくださいました。「亀屋廣房」のお店も拝見いたしました。季節のお菓子がたくさん‥、とっても美味しそう ^^ わたしが近江の地を歩いたのは四、五年前の夏の終わりのころのことです。京都の五山送り火を見た後に比叡山を越え、琵琶湖で一泊いたしました。残暑がきびしく、涼をもとめて甘味屋さんで冷茶をいただいた記憶があります。のちほど烏丸半島の蓮の花を見にうかがいます。これからもよろしくお願いいたします。
以前に、雪月花さんの真ん中の写真。あの露溜まりが、プクプク踊っているのをみました。蓮の気泡?。蓮は綺麗で静かで、そして、とても元気者です。葉も実も根もみんな役に立ちますし。
それに、何千年も前の蓮なんて聞くともう
堪らない悠久のロマンを感じますね。