雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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琳派への恋文

2006年09月21日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 秋彼岸となり、日の出の時刻もだいぶ遅くなりました。曼珠沙華の花はきちんとこの季節に咲きますね。そろそろ衣更えをしなくてはいけません。
 子どものころは母の手づくりのおはぎが楽しみでした。おはぎは、萩の花の大きさに合わせて、春彼岸の牡丹餅(ぼたもち)よりも小さめにつくるのだそうです。すこし手間をかけて、今年は餡をつくってみましょうか ^^

 
 毎年「秋は琳派」と決めこんで、展示会に出かけたり、関連の書を読んでいます。いま話題の東京・出光美術館の「国宝 風神雷神図屏風 宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造」展(10月1日まで)にも、さっそく行ってまいりました。琳派を代表する三者の「風神雷神図」を同時に観る機会に、この世に在るうちに恵まれたことはほんとうに幸せなことです。

温故知新の奇蹟
 せっかく66年ぶりに宗達、光琳、抱一という琳派のビッグスリーがそろったのですから、三つの「風神雷神図」の比較に終始してはつまらないことです。企画展の意図が三者の比較にないことは、図録の巻末、内藤正人・出光美術館主任学芸員による論文にも記されています。
 光琳も抱一も、「風神雷神図」においてはそれぞれの師(光琳にとっては宗達、抱一にとっては光琳)を越えていません。オリジナルの宗達がいちばんであることは当然だし、「風神雷神図」が宗達にとって到達点であっても、光琳と抱一にとっては出発点にすぎませんでした。むしろ、光琳が縁ある寺で偶然に落款も印もない宗達の「風神雷神図」を見出したこと、そして、抱一にいたっては宗達の「風神雷神図」の存在すら知らず、光琳のものこそオリジナルだと思いこんでいたことのほうが重要で、かれらの先達の画境への煮えたぎるような情熱と思慕が、同じ「風神雷神図」でつながったことの奇蹟(!)を思うべきでしょう。今回の企画展は、世阿弥の『花伝書』の教えを地でいったようなかれらの作画態度を目の当たりにする機会にもなりました。

 個性なんてものは、最初からあるものではありません。師に学び、無心に肉薄しようとする気概をもちつづけ、ついに独自の画境に至ったかれらの結論は、「紅白梅図」(光琳)と「夏秋草図」(抱一)でした。今回の出光美術館の会場に、このふたつの絵が無いことが残念でなりません。後世「琳派」といわれた絵師たちの中に、これほどの思いを抱いて私淑し、研鑚を積み、やがて師を越えた人物があったでしょうか。自ら「保守的な立場」とおっしゃる内藤氏と同様に、わたしも「琳派」の拡大解釈には慎重にならざるをえません。

 先達への傾倒と元禄文化の華やかさが光琳なら、抱一にとっては文化文政期のデカダンス(頽廃)が大きく影響したことでしょう。また、「自然を主(あるじ)とし、人間を客とせる」姿勢、さらにかれらが古典文学、古典芸能に通暁していたことも忘れてはなりません。そしてもうひとつ、宗達も光琳も抱一も、権力におもねる絵を描いたことはありませんでした。それが琳派です。


琳派の物語
 おかげさまで、雪月花のWeb書店からぽつぽつ本が売れています。琳派関連の書を購入してくださる方もあり、店長冥利につきます。

 ひとつは『嵯峨野明月記』(辻邦生著、中公文庫)です。本阿弥光悦と俵屋宗達ぬきに語れない琳派ですが、幕府から京都鷹ヶ峰の所領をもらい受け、そこで芸術村を営んだ光悦と宗達は、幕府の庇護下にありながら、いっさい権力にへつらうことなく互いに切磋琢磨して技を鍛えました。当時の幕府の御用絵師だった土佐派や狩野派とちがい、かれらはつねに自然とともにあり、ついに自然と同化した稀にみる芸術家集団だったのです。琳派の源泉は、この小説に凝縮されています。
 昨年の歴史文学賞を受賞した『乾山晩愁』(葉室麟著、新人物往来社)は、天才兄・光琳没後の乾山の苦悩が、やがて晩年の「花籠図」へと昇華されるまでの過程を描いた「乾山晩愁」のほかに、狩野派に直接的・間接的に関わった絵師たち(狩野永徳、長谷川等伯、久隅守景、清原雪信、英一蝶ら)の物語が四編収められています。五編をとおして読めば、琳派と御用絵師たちの生きた世界のちがいは明白で、琳派の純粋芸術に対して、「狩野派」という派閥を背負い、時代の権力と生死をともにせざるをえなかった絵師たちの艱苦をうかがい知る好著になっています。読後はかれらの絵を見る眼も変わるでしょう。また、史実かどうかはともかく、歴史小説ならではのロマンが織りこまれていて存分に楽しめます。光琳が赤穂浪士の討入りを演出したこと、一蝶が「朝廷 対 幕府」という大奥の陰謀に加担していたことなど、歴史の空白への興味はつきません。


 * * * * * * *

 晩年、江戸から下野(現在の栃木県)の佐野に下向した乾山は、亡き兄・光琳への追慕を、自分のやきものにこめてゆきました。
 京都・鳴滝窯でたくさんの職人たちを抱えて絶頂期にあった弟・乾山に宛てた光琳の手紙に、こんな言葉があります。

‥およそ工人として心がけるべき大切なことは、筆の走りが良いかどうかを批評の対象にするのは間違いで、絵を描く人のこころがいちばん大切なのです。描く人のこころがしっかりしていないと、筆は走るものではない。ただ見た目が美しいというだけでは駄目で、絵は生きていない。それはちょうど女の衣装が美しいと言っているようなものです。工人は色をさまざまに使っているのを綺麗だといって褒められることは本当は恥かしいことと思わねばなりません。‥‥自分のこころで美しいと思ったものを絵付してください。‥‥念のため、一言注意いたします
(『光琳乾山兄弟秘話』より 住友慎一著、里文出版)

 大胆にデフォルメされた装飾的な絵画イコール琳派ではありません。かれらの作品には、古典の世界と自然への畏敬の念、そして、「たましひ」が宿っているのです。
 

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35 コメント

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国宝「伴大納言絵巻」 (雪月花)
2006-10-09 06:33:15
> 鼎さん、

貴重な情報を有難うございました。たいへん参考になりました。絵巻の科学的分析結果が見られると話題になっていますね。ぜひ全巻を実物で観たいので、今週の平日の朝いちばんに行ってまいります~ ^^
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Unknown ()
2006-10-08 21:30:45
初日(10/7)に、「伴大納言絵巻展」に行って来ました。

科学的分析が、人物の解釈の決め手になりそうです。

見てのお楽しみと言う事で、内緒にしておきましょう。

このあたりは、来週の新日曜美術館で取り上げられるようです。と、言う事は、来週以降は、激混みかもしれません。



エレベーターの操作をしてくれていた警備の人と、ちょと話しました。人が並んでいなかったので、「空いていますね」と、言ったところ、風神雷神も最初の頃は空いていたそうです。今回も、「今のところは」と、言った感じのようです。でも、絵巻の前は、混んでいるとの事。



中に入って、理由がわかりました。絵巻の前は、テープを張って、一列に誘導しています。二重三重になって見る事は出来ません。急ぐ人は、張ったテープの外側から見る事になります。テープの内側には行って、隙間に入り込むんで見る事は出来ません。

いいのか、悪いのか、ゆっくり見る事が出来ますが、中にはストッパーになってしまう人も居て(人によって、見る速度も、興味のある点も違うわけで、当たり前と言えば当たり前です)、ストッパーになった人も、その後ろの人も、いらつくかも知れません。

「激混みになったら、どうするのかなぁ」と、思ってしまいます。

展示も、週により、実物と複製がありますので、サイトで確認してから行かれた方が良いと思います。今週と最終週は、実物です。解説はなかなか凝っています。

お急ぎ下さい。
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RE: 良かった! (雪月花)
2006-10-02 20:48:58
> こはるさん、

まぁ、雨の最終日に駆けこんだとは‥ がんばりましたね! でも、出かけた甲斐があったでしょう? すぐれた芸術は余計な知識などもたずに、まずじっくりと見ることがいちばんと思います。こはるさんはしなやかな感性をお持ちですし、これからも見たもの感じたものをこはるさんの言葉で記事に表現してくださいね ^^
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良かった!! (こはる)
2006-10-02 19:56:09
 66年ぶりの貴重な展示と聞いて、「逃すまい」と最終日ぎりぎりに観ることができました。この日は最終日とあって、雨の日ながら建物の外までずらりと列をなすほどの大盛況でした。

 足を運んでよかったです!!

 同じモチーフで三者が描いていたことすら知らなかった私ですが、自分自身で見る、感じる力を少しずつ醸成させていけたら・・・・と思います。
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頼迅さんへ (雪月花)
2006-09-29 15:24:30
> 頼迅さん、

ご訪問、有難うございました。

頼迅さんのおっしゃる「自分の目で見て、感じたことを、自分の言葉で表現する」ことって、すごくむつかしい‥と日々実感しています。白洲正子さんが指摘するように、ついほかのものの力(本や資料、他人の批評など)を借りて、自分の考えを正当化するような記事を書いてしまいがちで、反省しきりです。お互いに、ブログをとおして成長してゆけるようがんばりましょう。

こちらこそ、今後もよろしくお願いします。
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TBありがとうございました! (頼迅一郎)
2006-09-28 23:48:33
 絵画は好きなのですが、しばらくご無沙汰していました。最近、思うところがあって、たまに美術館等に出かけるようにしています。

 自分の目で見て、感じたことを自分の言葉で表現するように心がけています。雪月花さんのようにしっかりした文章はまだまだですが、少しづつ成長していければと思っています。

 これからもよろしくお願いします。
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RE: 自然の力 (雪月花)
2006-09-28 20:43:40
> 野の花さん、

いつもゆたかなコメントを残してくださり、有難うございます。わたしたちは、つい自然を弱々しくうつろいやすいものと見てしまいがちですけれども、もっと生命力のある生きものなのですよね。どんなに厳しい自然にさらされても、毎年同じように花を咲かせ、子孫を残してゆきます。ただ無心になすべきことをして果ててゆくその姿に感動いたします。その花の輝きをとらえて、生き生きと力強く絵筆で甦らせることのできた光琳が大好きです。

後日また、ゆっくりとそちらへうかがわせてくださいね。
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自然の力 (野の花)
2006-09-27 22:39:37
雪月花さまの 恋文 せつせつと 拝見いたしました。



私は 光琳の紅白梅図屏風が好きです。

前に立ち尽くしてしまいました。

杜若の 端正な 美しさにも どきどきいたします。



自然のものは 凛としていますし 本来の命の美しさがあります。



ただ ただ 美を追求なさった先達たちに 尊敬の眼差しと ときめきを覚えます。



拝見して 学び戴きました。ありがとうございます。
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早起きしてください (雪月花)
2006-09-27 08:44:22
> まさおさん、こんにちは。

おや、東京にご出張なのですね。土曜日ですか‥、建物の外まで並んだと聞いておりますから、できれば早起きをして開館時刻の10時には美術館の入口にいたいところですね。がんばってくださいねー。OLだったころは丸の内界隈でよく買物をしました。銀座の中央通りより洗練されていますし、歩きやすいので好きです。

京都は秋の特別拝観が目白押しでしょう。ガラスケース越しでなくホンモノをじかに観られるのは京都ならではですね。うらやましいかぎりです。

芸術の秋をお楽しみくださいませ ^^
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Unknown (まさお)
2006-09-27 01:40:57
最終日前の土曜日、出向こうかと思います。スゴい人なんでしょうね(^^; この次は10月第2日曜日の、大徳寺曝涼展です。
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RE: 東博の展示 (雪月花)
2006-09-26 08:38:09
> 鼎さん、

東博の情報を有難うございました。キュレーターでなく、展示デザイナーですか。専門職が細分化されているのですね。実はわたし、上野の街の喧騒が苦手で、よほど興味の惹かれる展示がないかぎり、上野へは出かけないんです。安藤忠雄さんの手がけた建築もありますし、上野の森を散策するのは楽しいのですけれども‥ 次回はいつ上野に行けるかしらん。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』はお読みになりましたか? 建築家や照明デザイナーの方はもちろん、日本の古美術を扱うキュレーターにとって、この本は必読書と思います。
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東博の展示 ()
2006-09-25 22:06:41
まだ、ミュージアムショップに行けば、バックナンバーがあるかも知れません。

DOME 第82号の特集は「東博変わった?東博変わった!」でした。

現在の東博には、展示デザイナーがいるのですよ。しかも、本職は照明デザイナーらしいです。

私も、考古学展示室で「何時の間に」と、驚いた事があります。

本館の展示も、ずいぶんスッキリしたと思うのは私だけではないと思う。

常設だけではなく、特別展に、どれだけ関与しているかは、わかりませんが。

関与無しと言う事はないと思う....
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残り七日間です (雪月花)
2006-09-25 13:26:24
66年ぶりとあって大盛況だった本展示も、10月1日(日)までです。本日を含めて残り七日間となりました。一生に一度の機会になるかもしれませんから、まだご覧になられていない方は、ぜひお出かけください。



> Takさん、

トラックバックを有難うございました。



> この展覧会、重陽の節供の九日から始まるなんて

> 洒落ているな~と変なところに感心していました



なるほど、そうでしたね。最終日は都民の日ですしね!(笑 こちらこそ、これからもよろしくお願いします。



> 鼎さん、こんにちは。

まぁ、行列に並んでご覧になったのですね。お疲れさまでした。たいへんでしたね。



> 御忠告にもかかわらず、三者を比べてばかりで、みて来ました(笑



おほほ、どうぞお気になさらずに‥ 図録に「比較する意図はない」と書かれてあっても、あれではまるで「さぁ比較してみてください!」と言わんばかりの展示のしかたですものね。ムリもありません。比較することで見えてくるものもありますし。

おっしゃるとおり、出光をはじめ、五島、静嘉堂文庫、根津、三井記念、サントリーなど、毎回企画展が楽しみです。根津とサントリーについては、改築の完了が待たれます。鑑賞後にゆっくりと寛げるスペースができるとよいですね。

出光の照明は、みなさん口をそろえて褒めています。傷みやすい古美術品が悲鳴をあげるような照明や展示をみますと、ほんとうにかわいそうになります。

わたしも「伴大納言‥」の前売り券を、買っておけばよかった‥ くぅ、失敗。出光の後に三井記念に出かけたときも、出光の割引券が置いてあって「しまった‥」と思ったばかり(泣



> わん太夫さん、

「松林図」の記事も拝見いたしました。照明について東博もお勉強をしたのですね。「松林図」には日本ならではの美の壷がたくさん秘められていて、観るたびに発見があります。ほんとうに、松籟や雪が吹雪いている音まで聞こえてきそうで、とても厳しいけれど大好きな絵です。

今回紹介しました本『乾山晩愁』には等伯の物語も収録されているのですが、わたしの実家のご先祖さまと等伯が一緒に道行きをする場面が出てくるんです。(史実ではないと思いますが) そんなこともあって、等伯にも親しみをもっています ^^
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照明と展示に関して (わん太夫)
2006-09-25 01:16:39
雪月花さん♪

コメントとTBありがとうございます。

コメントしていただいた中に、出光美術館での

松林図屏風のことがありましたので、

恥じ知らずにも、私見をちょっと。

出光での展示は素晴らしかったのですが、今年、東博での展示に関しては、照明を落とし、幽玄の世界を醸し出していました。目をうっすらと閉じると、風の音すら感じられるような、展示方法でした。流石だなぁ~と感服した次第です。
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混んでいました。ビルの外にも行列が... ()
2006-09-24 21:59:27
土曜、しかも祝日の23日に行って来ました。



御忠告にもかかわらず、三者を比べてばかりで、みて来ました(笑)。

もうしわけない。

専門美術館の実力を発揮した、とても素敵な企画でした。

(伴大納言絵巻の前売りも買って来ました。たのしみです)

五島、静嘉堂文庫とか根津とか、東博の向うを張る美術館がある事は、すばらしい事ですね。しかも民間が母体です。



おまけ

出光は、本当に照明が上手ですよね。液晶テレビで言う、視野角が広いと言うのか、反射を上手に押さえ込んでいるような気がします。BUNKA村や森も見習って欲しいところです。

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こんにちは。 (Tak)
2006-09-24 15:13:41
TBありがとうございました。

お返事遅くなり申し訳ないです。

これに懲りずに今後とも宜しくお願いします。



この展覧会、重陽の節供の九日から

始まるなんて洒落ているな~と

変なところに感心していました。
返信する
光琳と乾山 (雪月花)
2006-09-24 11:39:25
> わん太夫さん、

お返事代わりのトラックバックを有難うございました。わん太夫さんも光琳がいちばんお好きとか、うれしいですねぇ ^^

今回の記事に2件のトラックバックをいただきましたが、2つとも公開させていただくと、その分だけほかの方からいただいたトラックバックが消えてしまいますので、最新の1件だけを公開させていただきました。ご了承ください。

これからそちらへうかがいますね。



> boa!さん、

このような恋文をさらしてお恥ずかしいかぎりです‥ ^^; やはりboa!さんのご贔屓は乾山なのですね。今回の記事を書くにあたって、光琳と乾山の絵付をとおした兄弟づきあいを描いた本を読みました。晩年に乾山がしたためた書簡や未公開の絵がたくさん収載されており、そこから実直で頑固な一面をもつ乾山の素顔がうかがわれます。最晩年の書簡には、記事に紹介しました光琳の教え(光琳はこの手紙で乾山が師事した野々村仁清の色絵を批判しています)をかたくなに守りつづけたことを示す言葉もあって、この兄弟が絵をとおしていかに強い絆で結ばれていたかということを、なかば嫉妬するような気持ちで実感した次第です。

わたしも、たとえ趣味とはいえ絵筆をもつようになったのですから、先達に学ぶことと稽古を第一にせねば‥と自らに言い聞かせました。

話は変わりますけれども、つい先日『青山二郎の眼』の図録が手に入りました。もうひとつ、小林秀雄の生誕百周年を記念した図録『美を求める心』も合わせて取り寄せました。ご紹介いただき有難うございました。図録に、boa!さんの弟さまの所蔵品も掲載されているのですね。楽しみです ^^
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「描く人の心が大切」 (boa !)
2006-09-24 06:31:51
私の想い人、乾山へ宛てた手紙のなかで、光琳が繰り返して強調する言葉を今更のようにかみしめて自戒します。



筆の走りこそ大切と数を重ねて描きこんでみても、所詮は、受けを狙った小手先の技で、本末転倒と言っているのですね。

趣味の世界とはいえ、絵を描いてきた時間は私の場合かなり長いものです。

自分の心で美しいと思ったものの「たましひ」を描く。一番の基本を三つ巴の雷鳴が思い知らせてくれました。



雪月花さんのブログには、気付かされるものが多く、いつも教えられています。

同じ琳派のファンとはいえ、その質の違いは隔絶のものです。自堕落に、思いつきのまま気楽に書き流す私のブログとは異なる世界で、襟を正す想いで拝見しています。検証の丹念さ、真面目に真正面から対象に向き合う姿勢を尊敬します。

これからも刺激と啓蒙をいただくことを期待しています。



天ざかる鄙にあっては、生きているうちに、三つの屏風を並べてみることが出来るとは期待できませんが、皆さんのブログを通して、解説付きで拝見できることを、今は幸せとします。ありがとうございました。
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コメント有難うございます (わん太夫)
2006-09-23 23:07:49
ご質問のお返事は、TBでさせていただきました。
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白銀比 (雪月花)
2006-09-23 19:48:13
> わん太夫さん、こんにちは。

ご訪問、有難うございました。「雪月花」をお気に入りに入れていただいたなんて光栄です ^^

再度出光美術館に行かれたとか、最初と二度目では印象が変わりましたでしょうか。なるほど、見る側の目線でかれらの絵をとらえるというのは新鮮です。二神の屏風の中の位置(構図)は宗達のものが抜群にすぐれていると思いますが、そこまで気づきませんでした。ただ、こちらの目線を意識して描かれたのだとしたら、日本家屋の場合、屏風は上からではなく、畳に座して見上げるものと思います。

わん太夫さんをはじめ、多くの方のレビューを拝見して、わたしもまたあらためて美術館へ行ってみたくなりました。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。



> 紫草さん、

今回の企画展におきましては、「風神雷神図」のルーツを丁寧にたどった展示もありました。宗達は、たくさんの古い資料から風神・雷神を研究していたらしく、古くは中国の戦国時代~秦・漢ごろに遡るそうです。日本においては奈良時代の『絵因果経』、平安時代の『大集経』『長谷寺縁起絵巻』、そして『北野天神縁起絵巻』と鎌倉時代の『松崎天神縁起絵巻』。彫像においては、三十三間堂の「風神・雷神像」にもみられます。その中でも、もっとも示唆に富むのは、やはり紫草さんもご指摘の『北野天神縁起絵巻』に描かれた風神・雷神で、宗達の二神の姿はこれをもとにしたと思われるほど似ております。

菅公は現世に恨みを抱いたまま怨霊となり、やがて神になりました。のちに学問の神になり、儒家の神になり、摂家の神にもなって祀られたのですから、日本の怨霊信仰と自然信仰、そして政治(まつりごと)とのつながりには重層的な厚みがある‥と、ある作家は述べています。

さて、以前教えていただいた松岡正剛氏の「ぶひん屋」ですが、結局ダウンロードできませんでした。おそらく、わたしのパソコンのOSであるWindowsMeには対応していないのでしょう。残念ですが、諦めるしかありません。

昨日、『雪月花の数学 日本の美と心に潜む正方形と[ルート2]の秘密』が手もとに届きました。さっそく開きましたところ、やはりありました、フィボナッチ数列のことが本書に詳しく解説されております。まだとおして読んでいないため、概略しか申し上げられませんけれども、西洋の黄金比であるフィボナッチ数列に対して、日本独特の「白銀比」が存在し、それが「1:ルート2」なのだそうです。また、拾い読みをして興味深かったのは、北斎の画がフィボナッチ数列に近いということです。西洋の画家たちにすくなからず影響を与えた北斎の絵は、世界基準を満たしていた‥ということになりますね。

こちらを読み終えましたら、もうすこし詳しいお話ができると思います。



> mizdesignさん、はじめまして。

設計事務所を経営されるプロの方のレビューを参考にさせていただきました。「風神雷神図」だけでなく、企画展全体の構成にもたしかに意図があって、光琳と抱一の面目もどうやら保たれた感がありますが、わたしはどうも所蔵品のみでお茶を濁されたような気がして、つい「紅白梅図」「夏秋草図」(下絵でなく本図)を所望したくなったのです。でも、本邦初公開の光琳画に出合えましたことは幸せでした。

拙記事を見ていただいた上、丁寧なコメントとTBを残していただきまして、ほんとうに有難うございました。
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三枚の絵を通して語られる物語 (mizdesign)
2006-09-23 01:49:19
はじめまして。TBありがとうございました。

稀代の名画をものした宗達、宗達を学び紅白梅図へと至る光琳、光琳の足跡を辿り昇華する抱一。

三枚の風神雷神図に三人の関係を映し、作品を通して琳派の継承を語る、とても見応えのある展示だったと思います。出光美術館に脱帽です。
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風神雷神図の由来 (紫草)
2006-09-23 01:42:31
この「風神雷神図」は何故描かれたのだろう?その所以はと思い、事典を拾ってみました。



菅原道真は死して天神(雷の神)になったと伝えられる。

民間伝承では惧れと親しみをこめて「雷さま」と呼ぶことが多い。 雷さまは落ちては人のヘソをとるとされる。日本の子どもは夏に腹を出していると「かみなりさまがへそを取りにくるよ」と周りの大人から脅かされる。

雷さまから逃れるための方法論としては、蚊帳に逃げ込む、桑原クワバラは陰陽五行・木・火・土・金・水・に因んだ説も有る、(一説には、菅原道真の亡霊が雷さまとなり、都に被害をもたらしたが、道真の領地の桑原には雷が落ちなかったとされることから)と唱える、などが伝えられる。

天神信仰(てんじんしんこう)は、天神(雷神)に対する信仰のことであり、特に菅原道真を「天神様」として畏怖・祈願の対象する神道の信仰のことをいう。本来天神とは国津神に対する天津神を指して言う言葉であり特定の神を指していう言葉ではなかったが、道真が死後火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたことなどを由来とし、道真の神霊に対する信仰もまた天神信仰と称するようになった。

道真の死後、疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相次いで病死した。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た。これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。

俵屋宗達は尾形光琳と並び称せられる、近世初期の大画家だが、その知名度の高さと後世への影響の大きさに比べ、その伝記には不明な点が多く、生没年さえわかっていない。「俵屋」という絵画工房を率い、主に扇絵を制作していたらしい。しかし、宗達は単なる扇絵職人ではなく、当時の皇室から作画の依頼があり、また、当代一流の文化人であった烏丸光広(からすまるみつひろ)や本阿弥光悦らの書巻に下絵を描くなど、当時から一流の絵師とみなされていたことは疑いない。著名な「風神雷神図」のような装飾的大画面のほか、水墨画の作例も遺る。水墨の名作「蓮池水禽(れんちすいきん)図」は、生乾きの水墨にさらに濃淡の異なる墨を含ませて「にじみ」による偶然の効果を狙った、いわゆる「たらしこみ」の技法が用いられている。 フリー百科事典参照



追伸 >雪月花様 前回の中国陶磁器は明晰で完璧の問いかけに、私は中華思想が基礎にあるからだと思います。前回紹介致しました松岡正剛の千夜千冊「ぶひん屋」見付りましたか、GOOGLの松岡正剛の千夜千冊を開きまして、スプロールしますと画面右側に「ぶひん屋」をクリックして下さい1~13名の方々の所をクリックすると、15分フリートークが無料で聞けます。私淑と仰ぐ知恵袋です。



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再度出光美術館 (わん太夫)
2006-09-23 01:41:58
♪雪月花さん♪ はじめまして!

TB有難うございます。

先日出光美術館に行ったのですが、

今日再度行ってしまいました。

わん太夫は、うん十年間アマチュアカメラマンをしてきましたので、作品を見る時、構図やライティング、カメラ目線に自ずと関心が行ってしまいます。

そのような観点から記事を書きましたので、異論も多々あることは十分承知しております。

でも、これからも御引き立て宜しくお願い致します。

♪雪月花さん♪のブログ、お気に入りに入れさせていただきました。

返信する
描かずに表現する (雪月花)
2006-09-22 23:42:27
三者の「風神雷神図」を比較したくないと言いながら、では実際に観てまったく比較しなかったか、といえばウソになります。

わたしが注目したのは墨で描かれた背景の雲でした。宗達の雲はまるで生きもののようで、雷神の雲は上から流れ下り、いまにも落雷しそうなエネルギーが充溢していますし、風神のそれは風神を軽々と乗せて画面の中央までのびようとしているかのよう。ところが、光琳は雲を描きこみすぎて躍動する二神の動きを止めてしまっていますし、抱一の雲は弱すぎて力がなく、二神は雲をつきぬけて地上に落ちてしまいそうです。そんな不安を打ち消すかのように、抱一は風神の雲に風の流れまで描いてしまっており、光琳とはちがった意味で描きこみすぎの感があります。

ところが、光琳も抱一もさすがで、この「描きこみすぎ」をのちに克服しています。光琳の「燕子花図」、抱一の「夏秋草図」は、描かないことによってより多くのものをゆたかに表現しました。光琳は燕子花のみ描くことで八ツ橋やその下を流れる水まで表し、「風神雷神図」では風の流れを描いてしまった抱一も、背景の銀と草花だけで、観る者に風雨の激しさを感じさせることに成功したのです。



> あべまつさん、ようこそお越しくださいました。

こちらこそトラックバックを有難うございました。「駆け出しの日本美術追っかけ」だなんてとんでもない。あべまつさんは光琳が宗達の「風神雷神図」に出合ったころの時代背景や当時の二条界隈のようすなどよくご存知なので驚きました。光琳のことを書いている岡本太郎氏の著書は、ぜひわたしも読んでみます。

こちらは日本の季節感と美しいものをテーマに雑多なことを綴っているブログですけれども、今後もお気軽に遊びにいらしてくださいね。



> 道草さん、

さすが王城の地、京都ですね。院展や日展の諸先生方に学んだとは、なんとゼイタクなことでしょう。ノーベル賞は京都から出る‥といわれる由縁も、きっとそんな厚みのある教育にあるのでしょうね。わたしの高校時代は、芸術の時間は音楽、美術、書道の三グループに分かれて授業が行われておりましたので(現在もそうかしら?)、音楽を選んでいたわたしは、三年間はまったく美術も書道も学びませんでした。いま考えますと、日本の文化に親しむ機会を奪うような教育だったのですね‥

辻邦生さんは世界の芸術(とくにイタリア)に造詣がある方でした。日本の美の本質を的確に、しかもえぐるように深くとらえて、読む者を物語の世界にぐいぐいと引きこんでゆきます。ご本人は、小説の登場人物が「美という生命の高揚」「動いてやまぬ生の根源」を追求してゆくうちに、それが自ずと物語となる‥と語っておられますが、登場人物はつまり辻氏そのものなのでしょう。

花籠図の撫子は、主人の家の家紋なので描きました。東京にお越しの際は、ぜひ出光美術館へお出かけください。丸の内界隈はきれいに整備されて、おとなの街になっています ^^

与謝野寛の歌のように、芸術もまた恋なのでしょう。目の前に美しいもの(花)がある。恋をする。その美と同一化したいと願う‥ その願いを叶えた者、あるいは芸術だけが、永遠を勝ち得て後世に残るのでしょうか。
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Unknown (道草)
2006-09-22 18:44:01
間隔→感覚(ご訂正ください)。
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秋風が流れ来て・・・。 (道草)
2006-09-22 18:41:35
高校の図画の先生が日本画の大家で、確か南画院展の審査員をしておられ、その先生から「琳派」の図録を見せながら講義を聞いたことがあります(そういえば、書道の先生は日展の審査員でした)。そんな立派な先生方の薫陶を受けているにも拘わらず、我々(の一部)はまるで芸術系の授業に身が入らず、あろうことか、ご年配の先生はいつも和服でしたので、先生の袂を押しピンで教壇に止めるなど(私では、決してありません)の悪戯をしたのでした。その結果が今に尾を引いています。私は絵のことは分かりませんが、「嵯峨野名月記」は読んだ記憶があります(昔は、初版本を蒐集していました)。「一日一日と過ぎてゆく時の滴りを、たとえ些細なものであっても、両手で受けとって、目に見える形として、この地上に残して…」(『嵯峨野名月記』)。この言葉は「時間の外に出ること―それは永遠の中に立つことでなければならない。そしてこの『永遠』の時間は、人間がその本来のすべての間隔と想像力を開花させ、美と幸福を実現すること」(『神々の死の後に』/いずれも辻邦生)に繋がるのかなと思ったりしています。そうした想像力による美的空間を具現化した第一人者が、宗達であり光琳であり抱一なのでしようか。長女が東京おりますので、訪問した折にでも出光美術館へ出向こうかと思っています。「雪月花籠図」は撫子ですか。綺麗な秋です。



「恋しくば」   与謝野 寛



恋しくば、花を摘め、摘め。麝(じゃ)の香する八重の撫子、

黄ばみたるよき香の薔薇(さうび)、杜若、野菊、雛罌粟、

あまりりす、黄金向日葵、西ぶりの夕顔の花。

君知るや。花の風情を知る人は恋も知りぬ。

又知るや。『思出』の色、『昨(きそ)』の香を、常(とこ)新しく

春秋(はるあき)の花は齎(もたら)す。それにこそ『我』は見べけれ。

恋しくば、ああ、又君よ、朗らかに歌をうたへよ。

君知るや。わが歌巻の中にこそ、君と相見て、

とこしへに花にもまさり老い死なぬ『我』はあるなれ。

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TBありがとうございます! (あべまつ)
2006-09-22 17:51:12
雪月花さま、って、お名前もすてき、はじめまして。



ワタクシのような駆け出しの日本美術追っかけのところをTBいただきまして、恐縮致します。



こちらを拝見してびっくり致しました。

琳派をとても深く理解していらっしゃるようで今から、ゆっくりお勉強させて頂きます。



恥ずかしながら、TBさせて頂きます。これからも宜しくご指導をお願い致します。
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宗達は神さま、光琳は想い人 (雪月花)
2006-09-22 10:12:28
窓からの風に木犀の香を聞く候となりました。萩や木犀の花があちこちでこぼれます。本日も全国的に清々しい秋の空が望めそうですね。

今回の記事のとおり、好みに偏った芸術の秋を楽しんでおります。琳派なら抱一が好き、という方が多いようですけれども、わたしには宗達が神のような存在で、光琳にずっと片想いしている‥というのが本音です。

昨日は日本橋に樂茶碗を見に出かけておりました。琳派にしろ樂焼にしろ、長い時間をかけて無心にひとつのものを追いもとめる中に新しい美の発見があることを、あらためて知る思いがして感動しました。新しい発見の後につかんだもの、それがやがて個性となり輝き始めるのではないでしょうか。

あの世では、宗達、光琳、抱一が66年ぶりの邂逅を寿ぎ、酒など酌み交わしつつ語らっていることでしょう。



> uragojpさん、

わたしも、思いもよらぬところから曼珠沙華の紅い花がひょっこり顔を出しているのをあちこちで発見して楽しんでいます。その姿はどこかユーモラスでもありますね。

出光美術館もご存知でしたか。こちらはよい企画展をする美術館です。次回の展示「国宝 伴大納言絵巻展」も期待しています。こうしたすぐれた展示は、ぜひ全国を巡回してほしいものですね。都市への一局集中は地方の文化活動の疲弊を招きかねません。

長崎県立美術館の伊東館長と伊住先生が、あの9.11の日にニューヨークにいらしたなんて‥知りませんでした。伊住先生の国境を超えたご活躍ぶりが偲ばれますね。

雪月花のWeb書店は「セブンアンドワイ」(http://www.7andy.jp/all)に所属しますが、どうしても手に入らない本などは、こちらで申し込みますと最寄のセブンイレブンの店舗ですべて送料無料で受け取ることができます。早ければ3~4日で届きます。お試しください。



> 夕ひばりさん、

このような偏った芸術論‥いえ、恋文のような記事を読んでくださって有難うございます。夕ひばりさんは芸術がご専門だったのですね。

わたしは若い時分は西洋かぶれで、洋画や西洋のやきもの(洋食器類)ばかり観ていたのですけれども、京都をたびたび旅するようになってから、ある日ハタと日本の芸術や文化のすばらしさに気づきました。琳派はそのころからの長いつきあいで、琳派の描く秋草などは、そのまま日本文化を代弁している絵と思います。機会がありましたら琳派の展示会などぜひご覧になってくださいね。

青梅の秋の花も咲きそろいましたでしょうか。神無月になりましたら、そちらへ遊びにまいります ^^



> tsukinohaさん、ようこそ。

tsukinohaさんのレビューはとても参考になりました。有難うございました。同じように「風神雷神図」から『花伝書』を想起された方もおられることを知り、たいへんうれしく思いました。tsukinohaさんのお仕事はデザインなのでしょうか。琳派への造詣も深い方とお見受けいたします。おっしゃるとおり、色や技法を論ずることよりも大切なことがありますよね。それが、光琳の乾山宛ての手紙によく表れていると思うのです。実は、光琳はこの手紙で乾山が師事した野々村仁清の絵を批判しているのです。

tsukinohaさんのブログの更新を楽しみにしています。これからもよろしくお願いいたします。



> 一村雨さん、はじめまして。

ようこそお越しくださいました。『嵯峨野明月記』や『乾山晩愁』を読まれた方に来ていただけて感激です。

一村雨さんのお話にありますように、抱一に「琳派の継承」という意識などなかったことこそ重要です。ただひたすら師に近づきたい‥という一念だったろうと思います。いってみれば、模倣することは没個性ですよね。にもかかわらず、光琳と抱一の「風神雷神図」にはそれぞれ独自の解釈が見える、とする美術館のキャプションはムリがあるように感じられました。

琳派展にはつねに新しい発見があります。今後も見守ってゆきたいと思います。



> あおひーさん、こんにちは。

ご訪問、有難うございました。はい、ほんとうに宗達、光琳、抱一と同時に会えるなんてこの上ない幸せ♪です。わたしは欲張りなので、つい「紅白梅図」と「夏秋草図」も一緒に観たかったなどと書いてしまいましたけれども、「風神雷神図」では宗達に及ばない光琳と抱一の面目を回復してあげたかったのです ^^

世阿弥の『花伝書』をまだお読みになっていないのでしたら、現代語訳も出ておりますからぜひ読んでみてくださいね。単なる能楽論ではありません。芸術論、人生論にも応用できます。



> たそがれ清兵衛さん、

まぁうれしいです、『乾山晩愁』をご存知なのですね。そうなんですよ、兄の光琳はハチャメチャな人生を送りました(笑 何人もの女性に何人もの子どもを生ませていますし、裕福な呉服商だった父からの遺産も「あっ」という間に使い果たした放蕩者です。弟の乾山は兄の借金の肩代わりもしました。だけど、かれの絵だけはちがいました。光琳の描く梅や燕子花や人物画には深い「愛」があります ^^ 天才は、いつも一筋縄ではゆかないものなのですね。

光琳の「紅白梅図」の解釈に男女の云々‥という説は確かにあります。でも、それは拡大解釈でしょう。これは婚礼の場の、新郎新婦の後方にしつらえる屏風として描かれたものだそうです。いまいちばん有力なのは、中国の北宗時代の詩人・林逋の「山園小梅」という詩にもとづいて描かれた、という説です。
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あれ? (たそがれ清兵衛)
2006-09-22 04:27:57
乾山でしたか?…。ごめんなさい。
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え~と (たそがれ清兵衛)
2006-09-22 04:25:51
ピントがずれてるかも知れませんが…(苦笑)

先日「幹山悲愁」(と思う)という本を読みましたら、陶芸の幹山という人(名工なんでしょ?)は、尾形光琳の弟だということを、初めて知りました。

兄貴の昔の愛人の後始末やら、なにやら…。

芸術家も大変だったのねえ、などと、感想。

(たしか、なんでも鑑定団では、幹山の陶器はとてつもない値段だったような記憶が…)(でも、兄貴の才能には負けちゃうみたいな…物語)



また、あるゲージツ家から、光琳の「紅梅」なんとやらの屏風(国宝)には、なにやら、男女の、なにやらが潜んでいると教えられましたので、眼をこらして見つめましたが、さっぱり…???でした。(苦笑)



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TBありがとうございました (あおひー)
2006-09-22 01:10:55
TBありがとうございました。

しかし、後世になってお三方のそれぞれの想いの詰まった風神雷神を一度に見られるとはなんという贅沢でしょうね。

まさか、花伝書に行き着くとは思いもよりませんでした。なるほどです。

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はじめまして (一村雨)
2006-09-21 23:19:13
トラックバックありがとうございました。

私も3点の風神雷神図屏風の優劣を論ずるのではなく、

あのモチーフが引き継がれた背景こそ重要だと

思っています。抱一が光琳の風塵の裏に夏秋草図を描いたという事実。

これこそ琳派の継承だと思います。本人にはそんな自覚はなかったのではと思いますが。



私が琳派に初めて興味を持ったのは、

やはり、辻邦生の嵯峨野名月記でした。

乾山晩愁も最近読んで、非常に印象に残りました。

同じようなことを考えている方がいらっしゃるのだなぁと

感激しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

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はじめまして (tsukinoha)
2006-09-21 22:08:13
こんばんは。

この度はTBいただきましてありがとうございました。

そうですね。『花伝書』ですよね。私も同感です!

そして琳派にしても、とかく技法に目がいきがちの美術関連の解説多しですが、それぞれの作品(という言い方も少々抵抗が・・)にはまさにおっしゃるように「たましひ」の宿りを感じる次第です。

良い香りのする素敵なブログですね。またゆっくりと訪問させてくださいね。
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Unknown (夕ひばり)
2006-09-21 19:34:25
こんばんは。

雪月花さんは本当に日本美術への造詣が深くていらっしゃいますね。

私も学生時代、美術の勉強はしていたのですが、眼はいつも西洋へと向けられていました。ここ2、3年でしょうか、日本の美というものに深く関心を寄せるようになったのは・・・という訳で、こちらで学ばせていただくことが沢山ありそうです。

本日の記事でも、いろいろ教えていただきました。ありがとうございます。

爽やかで優しげなイラスト、とても素敵です。
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出光美術館 (uragojp)
2006-09-21 19:26:47
暑さ寒さも彼岸まで・・・朝夕はずいぶんと凌ぎやすくなりました。マンジュシャゲの花もあちこちからマジックのように顔をみせてくれます。

『風神雷神の図』拝見させていただきました。福岡市での「建仁寺展」、京都でも「建仁寺」を訪ね拝見したことがあります。

出光美術館は、上京の際、時々訪ねます。

田舎者には美術館に飢えています・・・

県立美術館も新設され、伊東館長も世界的に有名な方で、先日青年部主催の講演会の中で、伊住宗匠とお仲間で9・11の日

ニューヨークで茶会(ユニークな茶室にて)

を開かれていた事や、まさかその後数ヶ月で

お亡くなりになるとは夢にも思っていなかった等のお話しをされました。

話しがそれてしまいました。

おはぎ、母が存命のうちはよく作っていました。雪月花書房のぞかせていただき参考になります。岡倉天心「茶の本」立木智子訳

紀伊国屋で求めてきました。メールでも申し込めるのでしょうか?
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