季節の移ろいとはまさに速いもので、春が来て桜の花の輝きとともに心も華やいでいたと思っていたら、新緑萌える皐月もあと数日を残すばかり。鎌倉で生まれ育った友人知人はともに口を揃えて「桜が終わって若葉が芽吹く頃からアジサイの花が街を彩る頃が、一年のうちで鎌倉が最も美しい時期」と言っていますが、時まさに「鎌倉の旬」といってもよいのでしょう。東京の東の端っこの葛飾・立石で育ったワタシとしては「桜が終わって若葉が芽吹く頃からアジサイの花が街を彩る頃が、一年のうちで最も美しい時期」が似合う街は、さしずめ台東区の上野にほど近い谷中、根津、千駄木界隈ということになるのでしょうか。
この谷中、根津、千駄木界隈はその街の頭の文字をとって「谷根千」などと呼ばれて、少々前から古き良き東京の面影を残す地域としてあらためて注目されてもいます。ちなみに千駄木は父が生まれ育った街ということもあり、父からは折に触れて昭時代初期からの下町と山の手の文化が交錯して独特の風情を醸し出す谷中、根津、千駄木の街の様子を伝え聞き、そしてたびたび酒場放浪してきた記憶があります。
この谷中、根津、千駄木界隈は浅草や吉原、向島とともに古くからあまたある落語の噺の舞台となってきています。そしてそれは、萌える若葉がしだいに落ち着き始めて気持ちがアジサイに向かう頃、そして生まれ育った東京の東の街に思いをはせていた5月の半ばのとある日のこと。小町通りの飲み屋さんで顔なじみの方々と軽く飲んでいた時に、なかなかに様子の良いご婦人から「マキロウさん、今度、駅の近くで落語はいかが?」とお誘いを受けて即、「かしこまりました。馳せ散じます!」。
ということにて、若葉が萌える5月最後の日曜日、午前の陶芸教室を終えてあと数時間後に発走となる日本ダービーに思いをはせながら歩くこと数分ほどのこちら
古我邸
のすぐ脇のお宅での落語会へ。
会場は年に数回ほど、しっとりとしたイベントを開催するギャラリー檜松(ひしょう)さん。鎌倉駅にほど近い扇ヶ谷のお屋敷街に佇む知る人ぞ知るスペースです。こちらではかつて、我が家の知り合いである小町通りの呉服店「伊と彦」さんが着物を紹介する展観を開催いました。
散りゆく桜をいとしみながら、着物を愛でるひと時を「伊と彦」さんと共に - 鎌倉 佐助の風街便り
その時にはじめて訪れ「身近なところにこれほどまでに風情溢れる場所があるんだ…」と、少々驚いた記憶があります。
道から奥に入る小径には案内のフライヤーが控えめに貼られていました。
小径を奥に歩を進めると、なんとも奥ゆかしく控えめな門構え
手入れされた植え込みを眺めながら、さらに奥に向かうと敷地の一角には今の時代ではけっして作れない古い趣きのお宅が
こちらのお宅のギャラリースペースともいえる場所にて、今回の落語会。お客様は総勢約40名。その大半が和服姿のご婦人方です。
聞くところによると、遠く茨城方面からお見えになったようでした。和服姿のご婦人の合間にワタシを含めて男性ほんの数名という状況にて、若葉の頃の落語会の始まりです。
高座を務めた三遊亭志う歌さんが披露した演目は、知ったかぶりのご隠居と長屋の八五郎の珍妙な会話を伝える「やかん」、そして若旦那と女房のお花と大旦那が夢をめぐってひと悶着を巻き起こす「夢の酒」、そして締めは商家の堅物の番頭さんがじつは吉原で名だたる遊び人でやがて大旦那にその素性がばれて…の顛末を面白可笑しく言歩ぐ「百年目」の三題。
三遊亭志う歌さん、はじめて聴きましたが、客人を自らのふところに引きつける技量とともに、噺に登場する旦那や庶民の会話を伝える際のテンポと抑揚の強弱がなかなかに絶妙⁉です。
しかも噺のマクラの一端として「こちらのスペースは敷地240坪で京都高島屋さん一族のゆかりの建物、そしていにしえの民家の西側に建つ新しい建物は古い建物の風よけとして建てたのだそうで…」というようなことも、面白可笑しく披露してくれます。ワタシ自身、折にふれて動向を注視している噺家さんが何人かいますが、志う歌さんも気になる噺家さんのひとりとなりました。
高座が跳ねて、志う歌さんは和服姿のご婦人方に囲まれて、何度も何度も記念撮影の「はい、ポーズ」。撮影会終了後、志う歌さんの後ろ姿には、少しばかり脱力感も見てとれます。
お客様は神様とはいえ芸の道はきびしい…。陶芸も同じ、とワタシも気を引き締めて…。
そして午後2時から4時半まで2時間半の長丁場をこなした後、志う歌さんのちょっぴり疲労感が漂う表情にはどことなく先ほど演じた「百年目」のオチである「ここで会ったが百年目」…。そして、ダービーも百回目…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます