劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

ヒトの危機③~「親子の信頼」と社会の基盤~

2015年05月25日 | 随想
 本日、五月場所の千秋楽で、関脇照ノ富士(モンゴル・ウランバートル出身、伊勢ヶ濱部屋)が幕内初優勝を決めた。23歳の若者は来場所の大関昇進をも確定するというスピード出世となった。この勢いをもってすれば、横綱昇進も遠くはあるまい。白鵬・日馬富士・鶴竜・照ノ富士となれば、横綱はモンゴルが独占、という現実感が迫ってくる。
 恒例の表彰式の優勝インタビュー。アナウンサーの問いかけに『まずは、お父さん、お母さん、ありがとうございます』と答えていた。彼ばかりでなく、モンゴル出身の力士は一様に両親への感謝を第一としている。日本であれば、肉親関係は後回しにして、周囲の世話になった人たちへの感謝が先になろう。かつての日本では身内の信頼関係は揺るがぬものとされていたので、まずは、人様への気遣いが優先されたのだ。
 照ノ富士に大相撲への道を開いたのは、白鵬の父だったそうだ。他人であろうと、同じ民族の子どもへの眼差しが注がれていたことになる。日本人にもかつてそれがあったし、各地で相撲が盛んに催され、貧しい家の少年は親を楽にさせるためにも出世を夢見て大相撲の世界に飛び込んでいった。北海道出身の小さな横綱千代の富士もそうした一人だが、その輝かしい成績の土台は、少年時代の労働=小舟の櫓を漕ぐことで鍛えられた足腰の強さにあったそうだ。
 生活の厳しさ、その中で生き抜こうとする親子の信頼関係、いわば「逃げ場のない」立場で、砂まみれになり何度も転がされながら、汗と涙に耐える日々…。「誰かのために」「今に見ていろ」―自分だけのためなら、人は過酷な状況から逃げ出すに違いない。意地は育たないし、また持ち続けられない。新たな日本人横綱が誕生する日を多くの相撲ファンが待望しているようだが、おそらく難しい。
 ところで、現代日本の親子関係はどうだろう。仲はいいよ、とってもフレンドリー、などと悦に入っている勘違いがいる。親子はヨコの関係ではなく、タテの人間関係であることが抜け落ちている。タテといっても、強圧的な姿勢を意味するものではない。親が子を見守り絶対の愛を注ぐ。子は親に見つめられることで安心を得てのびのび成長する。親子、大人と子どもの信頼関係が成り立つことで、社会の基盤は整う。「子どもは神様からの授かりもの」「子宝」という文言は死語になりかけている。産んだ子を所有物のように考えている親がいる。また、三食別々の孤食や外食に出かける一家も珍しくなくなった。「わが家の味」―料理は相手に愛情をあたえるものであり、食卓をともにしない家族に「家庭」はない。 
 親鳥が命懸けで餌を巣に運び、ひな鳥を育てる。天敵の襲来には嘴で果敢に対処する。獣も子育てのために必要最小限の狩りをし、成獣となれば、「子別れ」となる。動物園で繰り広げられている親子の慈しみ合いを見かけると、ヒトの世相が鏡のように映し出され、暗澹たる思いに駆られるのを禁じ得ない。愛を知らない親に育てられた渇いた大人たちが「負の連鎖」に陥る―育児放棄・児童虐待・尊属殺人―そうした報道が続く中だけに、モンゴル力士の『お父さん、お母さん、ありがとう!』は素朴で懐かしく響く。
 肉親の愛ではなく、他人の愛によって自信を得た人たちもいる。血縁を超えた豊かな人間関係が広がっていけば、社会にもゆとりと潤いが生まれるはずだ。


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