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劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

新作オペラ『雪女の恋』制作過程1<脚本①>

2018年03月10日 | オペラ
 古代に始まる「叙情詩・叙事詩・劇詩」の文芸分野は、時代が下ると「詩」「小説」「戯曲」となって独自のフィールドを形成していくが、詩人が小説を書き、小説家が戯曲を、劇作家が詩を書くことは洋の東西を問わず珍しいことではない。わが日本でも島崎藤村(詩→小説)、三島由紀夫(小説/戯曲)、三好十郎(詩→戯曲)らは自らのその時の創作欲に応じた表現ジャンルを選んでいる。
 筆者も三十代に童話創作に打ち込んだ時期があったが、二十代から今日まで継続してきたのは演劇であり、その上演活動の中で劇作と演出を担ってきた。そして、数年前にオペラ関係者との出会いがあったことで、舞台劇から歌劇に創作の場をシフトすることになった。
 戯曲は文学であるが、演劇という劇場芸術においては脚本と呼ばれ俳優の手に渡るときには台本となる。そこに書かれた人物の対話(=台詞)は俳優の演技表現の基になるものだが、歌劇では脚本はリブレットとも呼ばれ、台詞ならぬ歌詞およびその詞に付曲された楽譜によってオペラ歌手は歌い演じることになる。いきおい文学的要素より音楽的要素の比重がはるかに大きくなる。必然的に、オペラの創作においては、脚本家は作曲家との協働作業を求められることにもなるので、舞台劇脚本における自分一人の創作作業とは異なるものとなる。
 日本の創作オペラの代表作に『オペラ 夕鶴』(作:木下順二/作曲:團伊玖磨)があるが、これは舞台劇『夕鶴』で音楽を担当した團伊玖磨による戯曲のオペラ化である。戦後の名作劇だったこともあり、劇の台詞を最大限に尊重しつつ作曲した苦労は並大抵ではなかったろう。「オペラ『夕鶴』の15年」團伊玖磨~1966年2月12日東京文化会館・上演プログラム)筆者にとって、主人公つうを演じた伊藤京子の美しさとリリック・ソプラノの歌唱の豊かさは印象的だったが、写実的なことばをベルカント唱法で聴くことに違和感を覚えたのも事実だった。「どんなことばも、みんなうたってしまう不自然さ」が、《夕鶴》のなかにはある。(「夕鶴の音楽」木村重雄~同上プログラム)
 さて、筆者が今回書き上げた『雪女の恋~ニ幕~』は、当初からオペラ脚本として創作された作品である。したがって、そこに書かれた言葉はセリフではなく、ソリストの独唱(詠唱)や重唱および混声合唱団のコーラスのための「詞」である。つまり、付曲されることを前提として考えられた言葉になる。『オペラ 夕鶴』の場合と違って、作曲家とのやり取りを繰り返しながら脚本の執筆を進めることになるわけだが、まず始めの第一稿は、脚本家サイドだけによる創作だ。
 「雪女」を題材にした音楽劇を構想したのは数年前になる。東京ミニオペラカンバニ―vol.1『悲戀~ハムレットとオフィーリア(一幕)』と並行するように、次回公演の作品として下準備を始めた。「雪女」に関する民話・伝説の資料を国立国会図書館に何度か出向いて数十冊の書籍から該当ページのコピーを取り、それを物語の構成別・内容別に分類し、その中から適切なものを絞り込んでいった。それはイソップ寓話と同様に「〇〇と△△が出会って、~なった」という程度の骨組みだけのエピソードである。これを念頭に置きながらも、まったく新しい作品世界を構築しなけらばならないと同時に、前回の公演に出演したソリスト4名に充てた役を設定するという「座付け作者」およびプロデューサーとしての創作上の前提も必須条件だ。
 基礎資料の整理後は、オリジナル作品としてのエピソードの列挙や劇としてのプロット立てに取り掛かる。新鮮な発想や印象的な場面を生み出すには、書斎を出て非日常的な時間・空間に身を置くことが望ましい。毎月、近場の温泉宿に一人一泊旅。深夜に起き出してパソコンに向かい、車内書斎として往復のグリーン車内を利用して執筆する。
さて、なんとか第一稿を脱稿したら、すぐさま作曲家へ郵送する。それからが「劇脚本」が「オペラ脚本」へ変わっていく道程である。


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語られる歌と歌われる音楽(終)

2017年10月09日 | オペラ
 演劇ユニット 東京ドラマポケットvol.3『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』(2012年/東京・両国シアターχカイ提携公演)を最後に演劇上演活動の幕を下ろした私は、『悲戀~ハムレットとオフィーリア』(2016年/東京・虎ノ門JTアートホールアフィニス)によって「東京ミニオペラカンパニー」を立ち上げることになった。その経緯については、ブログ記事「音楽演劇からミニオペラへ」(2016年5月・6月)に詳しい。
 さて、言わずもがなのことではあるが、演劇の中心は「言葉」であり、音楽は声楽であろうと器楽であろうと「音」によって成り立っている。言葉には意味があり母国語といわれるようにその民族に属するものだが、音楽はその出自が民族にあろうとも、言語的意味のツールではないため、ユニバーサルなものとしてどの国民にも享受できるものになる。
 言葉は意味を伝え、音楽は感情に直接訴えることができる。私がオペラ(歌劇)に関心を抱いたのは、俳優によって語られるセリフよりもソリストによって歌われる音楽としての言葉のほうに惹かれたからである。
『ハムレット』第四幕第五場「オフィーリア狂乱の場」。相思相愛だった王子ハムレットの変貌と突然の別れ、王子による父(内大臣)ポローニアスの殺害、オフィーリアの精神は衝撃のあまり現実の軛(くびき)から解き放たれ、穏やかな狂気の世界に彷徨う。
思い出の花ローズマリーはどこ? 
貞淑で忠実なスミレはどこ?
ローズマリー 花言葉は 変わらぬ愛
  恋人の まことの心 まことの愛の 見極めを
あの人は あの世に去りぬ
あの人は はかなく去りぬ
どこなの どこなの デンマークの美しいお妃様は?
…あなたには悲しみ悔いるヘンルーダ 安息日には恵みの花
忠実なスミレもあげたいんだけど
お父様が亡くなったとき、みんな萎(しお)れてしまったの
幸せなご最期だったんですって
思い出の花ローズマリーはどこ? 
貞淑で忠実なスミレはどこ?
 以上は、オペラ『悲戀~ハムレットとオフィーリア』の最後に歌われるアリアの詞(小田島雄志訳による)だが、女優が口ずさむより歌手が情感豊かに歌う方が聴衆の胸に響くに違いないと思えたのだ。もちろん、優れた俳優による台詞のリアリティは演劇でしか味わえない魅力だ。一方、実力派ソリストの歌唱がもたらす感動にも強く深いものがある。
 現在、新作オペラに取り組んでいる。「東京ミニオペラカンパニー」に参加されたソリストの皆さんの魅力を最大限に生かすために書いた『雪女の恋~二幕~』だ。二年かけて執筆し今夏脱稿した台本は作曲家のもとに渡りオペラ作品に生まれ変わろうとしている。来年夏には総譜完成、秋から稽古に入る予定である。

※写真右は、東京ミニオペラカンパニーvol.1『悲戀~ハムレットとオフィーリア』より。写真左は、上演台本・創作オペラ『雪女の恋~二幕~』(脚本・詞/佐野語郎)。


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語られる歌と歌われる音楽(2)

2017年09月03日 | オペラ
 「語られる歌」を聴かせてくれた歌謡界の女王・美空ひばりを想うとき、私たちは日本から世界に目を移すことになる。「語られる歌」といえば、やはりシャンソン。わが国でも宝塚出身の越路吹雪がその代表格だが、本家のフランスへ渡って打ちのめされる。「シャンソンの女王」エディット・ピアフの圧倒的な実在感や歌の表現の深さに言葉を失ったのだ。
 「愛の讃歌La Vie en Rose」をはじめとして今でも歌い継がれる曲を残し悲劇的な生涯を送ったエディット・ピアフが「世界で最もよく知られたフランス人アーティスト」だとすれば、恋に生きた人生という点では一歩も引けを取らないギリシャ系アメリカ人マリア・カラスは「20世紀最高のソプラノ歌手」として世界の歌劇場を股にかけオペラ界に君臨した。「椿姫La traviata」「トスカ」などの歌唱は、「…技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。」(フリー百科事典ウィキペディア)
 歌謡曲やシャンソンが音楽的には「大衆歌謡/世俗歌曲」というジャンルであるのに対して、オペラは「クラシック音楽」の一分野であり、演劇においては「歌劇」として位置づけられている。この西洋の芸術音楽を志す者は音楽学校において知識や技術を身につける必要があるが、オペラ歌手も例外ではなく専門的な声楽教育を受けなければならない。
 「大衆歌謡/世俗歌曲」やアメリカで生まれた「ミュージカル」においては心のままに歌うのだが、オペラでは<歌う>というより<演奏する>と言ってよい。人間の体を楽器としてとらえ、本人の声域範囲でいかに美しく声の音楽として大ホールの隅々まで響かせるかが求められる。しかもオーケストラの音圧に負けない生の声で歌唱するのである。マイクロフォンやスピーカーを用いる前者とはこの点でも異なる。イタリアで生まれた<ベルカント唱法>は、「人間が持つ感情の喜怒哀楽を最も美しく表現するためのものとして編み出された、100年以上の歴史を持つ発声方法」だと言われる。「歌われる音楽」という所以がここにある。
 しかし、こうした歌唱法をマスターしたからといって、聴衆の心を打つ歌を歌えるかとなると、それはまた別問題だ。歌には言葉がある。言葉の背景には主人公の人生やそこで描かれている情景や心情がある。それらを理解し実感できる歌手でないとリアリティのあるアリア(詠唱)にはならないのだ。それを体現できたオペラ歌手だけが歴史に名を残すことになる。前述のマリア・カラスがいかに稀有な存在だったか、それは音楽によって人間を表現できたことに尽きる。
 さて、この数年、私は創作オペラの台本を書きその上演に意欲を燃やしている。半世紀以上、演劇(ストレートプレイ)のみに関わってきたので、オペラは縁遠い存在だった。しかし、以前から演劇における音楽は大切にしてきた。大学4年の秋に上演した『ガラスの動物園』(T.ウィリアムズ作)の際は、東京文化会館・資料室まで出かけ、音楽協力者にイメージを伝えて選び出された曲をヘッドフォンで視聴しながらイメージにぴったりする部分を指定し、後日、彼女とその友人に演奏してもらって録音した音源を本番で使用した。
 その後、録音したものを劇場のスピーカーから流すことに飽き足らず、演奏者を舞台に上げて「音楽」を生演奏とすることで、単なる劇伴としてではなく、劇そのものを支配する「神」の役割を担わせた。また、ギリシャ古典劇に欠かせないコロス(合唱舞踊隊)を登場させ、合唱によって劇の世界を展開させる手法をとることで、声楽を演劇に取り入れる上演形態を生み出した。このことがやがて「オペラ上演」に関わることになった現在の土台を成しているのだろうと認識している。





※(舞台写真の内容)2005年『冥界の三人姉妹』(神奈川総合高等学校創立十周年記念)2007年『オフィーリアのかけら~予告篇~』(横浜創造界隈ZAIM別館ホール)2008年『音楽演劇 オフィーリアのかけら』(新宿シアターサンモール)2010年『Shadows<夏の夜の夢>に遊ぶ人びと』(北沢タウンホール)2012年『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』(東京・両国シアターχカイ)


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語られる歌と歌われる音楽(1)

2017年08月06日 | オペラ
 以前9年間にわたって、慶応義塾大学文学部(三田校舎)で「映画演劇論」の担当講師を務めた。春学期・秋学期と年間を通しての講義となったので、学部生(2・3・4年)、大学院生、聴講生、留学生と多くの学生に接し、充実した時間を過ごすことができた。
 カリキュラム内容は、ギリシャ古典劇・日本の伝統演劇・小劇場演劇、名作映画創作の秘密と多岐にわたったが、任用期間の後半に力を入れたのは、「作り手と受け手・創造と鑑賞の関係」だった。映画では黒澤明や溝口健二、演劇では劇団民藝『夜明け前』や文化座『炎の人~ゴッホ小伝』などを対象に、作家・監督・演出家たちの映像や舞台を通した深い精神を観客がどう受け止めたか。また、観客の目に直接さらされるのは俳優たちだが、彼らが演じる人物はなぜあのような存在感を持てたのか。その(感動の)根源的要因について問いかけたものである。
 作り手と受け手の関係は、映画や演劇ばかりではない。音楽の場合、演奏者や歌手が舞台で表現し、聴衆が客席でそれを鑑賞する、そこに感動が生まれる―それは全く同じ相互作用である。2006年度(秋学期)講義表には【「感動の要因」⑤―2娯楽性・別世界と自己投影~宝塚歌劇団と美空ひばり~】があるが、感動の要因のうち「娯楽性」の側面から対照的な二つの例に光を当てる試みだった。
 宝塚歌劇は言うまでもなく演劇の一分野であり、生の音楽とダンス・歌と芝居による華やかな世界を繰り広げるエンターテインメントである。歌舞伎に「女形」があるように宝塚歌劇には「男役」があり、100年の歴史を刻んでいる女性だけのプロ劇団は世界に例がない。本拠地の関西とともに東京宝塚劇場にも多くのファンが押し寄せるのは、現実世界からひと時離れ、その美しくも華やかな憧れの世界に身を置けるからだ。
 一方、美空ひばりは「離れる」のではなく、現実世界そのものに身を置いてそこに沈潜する。その時代と社会に生きる大衆が味わう辛さや痛み、憧れや夢、悲しみやあきらめ、そして、いたわりの心情をその人物になり切って歌う。昭和は歌謡曲から演歌へと推移していくが、歌手が詞の世界に主人公として存在できたのは美空ひばりただ一人である。今後も出ない。理由はいくつか考えられる。時代と個人史と芸歴と稀有な才能。
 敗戦直後にデビューしてから戦後の復興、高度経済成長期とひばりはステージに立ち、ヒット曲を飛ばし続け、NHK紅白歌合戦のトリを務めるなどテレビ番組にも出演する。病魔に倒れ、52歳で死去(1989年)するまで40数年歌い続け、レコーディング曲数は、1,500曲にのぼった。娯楽の乏しかった時代、歌で一世を風靡した美空ひばりは、いつも大衆の心に生きていた。また、興行上の問題や一家の大黒柱としての悩み、短い結婚生活、事故や傷害事件など、不運や不幸に見舞われ続けながら歌い続ける姿はファンたちの心をとらえて放さなかった。
 10歳の頃、横浜で行われたのど自慢大会終了後、作曲家古賀政男は、その子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」とエールを送った、という。
 映画界もこの少女スターをすぐ起用することになった。出演作品も時代劇・文芸映画など150本を軽く超えていて、この世界でも彼女はその才能を開花させ、演技力に磨きをかけて行った。
 「歌は三分間のドラマである」という言葉がある。声量があって情感たっぷりに歌う演歌歌手はいくらもいるが、詞の世界に描かれている女の切なさを生きた人間として一人物として表現できるのは美空ひばりのみなのである。
 慶應義塾での授業で「美空ひばり」を取り上げた時、前年にNHK教育テレビで放送された「私のこだわり人物伝 美空ひばり~泣くことの力」(宗教学者・山折哲雄)を用いた。そのVTRの中で山折氏の語りとともに、ひばりの歌が何曲挿入されたいた。
 私は今の学生諸君に演歌が伝わるか心配したが、授業内試験の答案に『初めてきちんと聴いた』『歌に感動した』という感想が書かれていて、正直嬉しかったことを覚えている。
 「感動の要因―娯楽性」で、宝塚歌劇の「別世界への飛翔」に対して、美空ひばりは「分身への自己投影」とした。戦後の多くの日本人は、横浜で生まれ激動の一生を送った加藤和枝を「美空ひばり」に重ね、さらに詞の主人公を自分の分身としてとらえて聴き入ったのである。負の状況に置かれた大衆が歌謡界の女王の「演じられ語られる歌」で慰められるとき、それは立派な娯楽であった。


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東京ミニオペラカンパニーと創作ミニオペラ公演④

2016年10月15日 | オペラ
東京ミニオペラカンパニーvol.1『悲戀~ハムレットとオフィーリア』
(2016年9月3日/東京虎ノ門・JTホールアフィニス)

第一部 プレトーク「シェイクスピアと新作ミニオペラ」(30分)
第二部 ミニオペラ『悲戀~ハムレットとオフィーリア(一幕)』(55分)

♢物語  デンマーク国の王子ハムレットと内大臣の娘オフィーリアは、身分の差を超えて愛を育んでいた。しかし、突然国王が変死する。叔父が王位を継ぎ、母が王妃として再婚する事態にハムレットは混乱する。やがて亡霊が現れ、真相が語られる。何も知らされないまま、オフィーリアは恋人に去られ、父を失い、狂気にさまよう…。悲恋を見つめるハムレットの学友ホレーシオとオフィーリアの侍女――
♢人物(登場順)  ホレーシオ(布施雅也) 侍女(加賀ひとみ) オフィーリア(宮部小牧) ハムレット(藪内俊弥) 
ピアノ  水沼寿和

Prologue
『お城で生まれた恋』 ホレ―シオ・侍女
Scene 1
『このときめきを』 オフィーリア
『いとしきオフィーリア』 ハムレット
『神の祝福を』 ハムレット・オフィーリア
~『神の祝福を』 ホレ―シオ・侍女・ハムレット・オフィーリア
Scene 2
『その日が来るまでは』 ホレ―シオ・侍女
~『そして、その日が…』 ホレ―シオ・侍女
『こんなことになろうとは』 ハムレット
~『心弱きもの、汝は女』 ハムレット
『亡霊が現れた』 ホレ―シオ・侍女
『王子さまに、何が…』 オフィーリア
『生きるか、消えるか』 ハムレット
『父の言いつけを守ったために』 ホレ―シオ・侍女
~『尼寺へ行け』 ハムレット・オフィーリア
Epilogue
『運命の激流のままに』 ホレ―シオ・侍女
『花言葉と狂気の正気』 オフィーリア


※上演記録DVD制作:ミューズハウス/堀 衛氏


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