Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

楠原偕子先生、ありがとうございました

2022-01-25 | Weblog

昨年末、楠原偕子先生が亡くなられていたことは聞いていたが、どこにも情報が出ていなかった。やっと数日前に新聞に出た。コロナ禍下なので、こうした訃報の扱いも、以前とは違っていることが多く、戸惑ってしまう。

楠原先生は慶応大名誉教授、アメリカ演劇を専攻され、私の在学中からいろいろと気にかけて下さった。講座で私に「優」をくださった。演劇研究会の顧問もされていた。卒業後、シェイクスピア関係の特別講座のさい、呼ばれて、坪内逍遙以来のシェイクスピア翻訳の変遷をリーディングする役目を仰せつかったこともある。ウォーターフロントのマンションだったお宅にも招かれたことがある。私の作品の批評もして下さったし、「三田評論」に私について長い文を書いてくださった。私が「グッドフェローズ」という会社を作ったとき、「なぜ「グッド」(善良)という言葉を使えてしまうのか」みたいなことをテアトロ誌に書かれて、「グッドフェローズ」というのは、「グッド」とはついているけれどもそれはむしろ皮肉で、アメリカでは「ギャングの身内」みたいな使われ方をしているのだとお伝えすると、それは知らなかった、と、調べて、訂正してくださったこともある。戦時中の食糧難についてよく話され、バブルの時代、飽食の世の中を批判するお言葉も、多かった、と、ふと思い出した。

ほんとうに、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。安らかにお眠りください。

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2 コメント

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教えていただきありがとうございます (冨田民人(明))
2022-01-28 00:24:22
楠原偕子先生の演劇史の授業は私も忘れられません。私が受講したときは丁度糸操り人形の結城座の劇場がなくなるときで、新しい専用劇場(武蔵野芸能劇場)をつくる署名を学生に呼びかけられ、署名をしたことを覚えています。ご冥福をお祈りします。
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思い出します (髙橋晴二)
2022-03-30 01:17:21
楠原先生に教えて頂いたのは、大学1年、日吉の英語原典購読の授業で、テネシー・ウィリアムス「ガラスの動物園」でした。とても強く印象に残っていて、先生の講義がまだ耳に残っています。その後アメリカ演劇とはご無沙汰してしまいましたが、就職して大阪でミルウォーキーレパートリーシアターの来日公演で「欲望という名の電車」を拝見、それ以降、また最近ガラスの動物園を何度か拝見しました。全て楠原先生がきっかけだったなあと今でも感謝しています。
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