Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

中村哮夫さん、ありがとうございました

2023-06-08 | Weblog
連日の稽古で雨の中、ようやく帰り着いた夜、演出者協会でお世話になった大先輩・中村哮夫さんご逝去の連絡を受ける。
 
ああ。
 
5月28日、老衰のためだった。91歳という。
 
中村さんは数年前より施設に入られていたが、2021年夏、そこから抜け出して、星陵会館まで、私の演出・出演した『悪魔をやっつけろ』を、観に来てくださった。松元ヒロさんとのアフタートークもあった終演後、ロビーに残ってくださっていたので、コロナ禍の中だったが、かなり長くお話しした。信じられないくらいの大絶賛をいただいた。
 
彼が演出した商業演劇の代表作、『ラ・マンチャの男』をかなり特別な感じで見せていただいたことも、昨日のことのように覚えている。この頃のことは、面白すぎて、あるいは、せつなすぎて、なかなか記せないのである。いやはや。
 
いつも励まし、応援してくださった。私を特別扱いしてくださる方だった。
苦しいことがあっても、いつも明るく振る舞われていた。演出者協会が「仲間たちの会」であることを、体現されていたのだ、と思う。
 
本当にありがとうございました。
 
 
・・・・・・・・・・・・・

以下は、日本演出者協会がまとめた、中村哮夫さんの仕事の歴史

中村哮夫さんは、1931(昭和6)年9月15日生まれ、東京都のご出身です。
慶応義塾高等学校二年生の時に、新任の英語教師として赴任した加藤道夫の授業によって演劇に目覚めたとのことでした。その後、慶應義塾大学文学部で久保田万太郎に学び、卒業後の1954年に、東宝撮影所助監督になり、黒澤明監督に師事。1962年に東宝演劇部に移籍し、劇作家であり東宝演劇担当役員の菊田一夫に師事し、菊田一夫演出作品の多くで演出補を担当。日本のミュージカルの黎明期であり、ストレートプレイだけでなく、ミュージカルの演出も学ばれました。

1963年5月に山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』で演出家としてデビュー。10月には、初のミュージカル『カーニバル』を演出されています。その後の話題作として、『心を繋ぐ6ペンス』(1966年芸術座、1967年帝劇)、『ファンタスティックス』(1967年芸術座他)、『王様と私』(1968年〜1999年 帝劇他)、『ラ・マンチャの男』(1969年〜2001年帝劇他)ミュージカル『歌麿』(1972年)等多くの東宝ミュージカル、帝劇歌舞伎などの演劇作品の演出を手掛けられました。小劇場ジァン・ジァン版『ファンタスティックス』、コマ劇場での『その男ゾルバ』や、2001年初演のわらび座での創作ミュージカル『アテルイ』、2004年の『銀河鉄道の夜』はミュージカル人生の中でも特に印象深い作品だと語られていました。

日本演出者協会では貴重な商業演劇の会員として、理事・監事・評議委員を歴任して下さり、また事業においても、長野県清里や飯田での演劇大学でミュージカル講座を担当されています。日本の近代戯曲研修セミナーでは、開始した2009年に久保田万太郎『釣堀にて』、
2016年に加藤道夫『なよたけ』を提案され、戯曲リーディングの演出も行われています。
また戯曲セミナーでは出演や戯曲分析などにも積極的に参加して下さいました。国際演劇交流セミナーでは、開始した1999年のハンガリー特集においてモルナールの『リリオム』のレクチャーを担当されています。この講座内容は、年鑑・ホームページに掲載予定です。

1997年に、永年のミュージカルにおける演出の功績に対して、第二十二回(1996年度)菊田一夫演劇賞特別賞を受賞されました。

育成の仕事として、長年、青二塾の講師を務められました。文筆活動として『久保田万太郎-その戯曲、俳句、小説』を出版され、また「春灯」同人としても活動されました。俳号は中村嵐楓子(らんふうし)。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 駅構内からも反対側へ渡れます | トップ | いよいよ本日。『沖縄、再び... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事