Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

スーパームーンとかいっても、月じたいが本質的に何か変わったわけじゃないのだ

2015-09-30 | Weblog
福山雅治・吹石一恵ご両人の結婚は他人事だしスーパードライとユニクロの掛け合わせも別にいいんじゃないかと思うが、菅義偉官房長官が「ママさんたちが『一緒に子供を産みたい』という形で、国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んで下さい」と言ったというのは、確かに気持ちが悪い。国家に貢献?! 関係ねえだろ。「子供を産みやすく、育てやすい社会を作るのが政府の役割だと思っている」と言ったらしいが、政府はそんなこと何一つしてない。全部逆じゃないの。だったらまず消費税やめなさい。「大変人気が高いビッグカップルなので、世の中が明るくなる。皆さんが幸せな気分になればいいなと思っている中での発言だった」って。世の中をこんなに暗くしたのが、若者たちの夢を奪っているのが、自分たちだと、わかっていて言っているのかいな。「結婚=出産」という短絡は、「同性婚」の否定にも繋がっているということも、認識できているのか。まったく時勢が読めていない。

「SEALDs」奥田愛基君とその家族への殺害予告の脅迫状が彼が在籍する明治学院大学に届いたという。大学側が「言論の自由に対して許しがたいこと」と声明を発表するのは当然である。でも昔はこういう脅迫に「取り合わない」というスタンスもあった。相手への過大評価になるし、ある種の陣営はそこで熱くなって、かえって身が危険だという考え方も、現実も、あった。そうでもないとすれば、今はある意味では「平和」なのだろうか。

インドネシア政府は、日本と中国が受注を競っていたジャワ島の高速鉄道計画について、中国案を採用したという。中国政府がインドネシア側の持ち出しのない破格の条件を提示したためということになっているが、確かに中国が普通なら実現できそうにないことを言っている部分もあるだろうが、もっと深い意味で日本離れが起きているのではないか。相手は「親日」と思われていた国だが。日本は高速鉄道よりも約束通りジャカルタに地下鉄を早く完成させられなかったこと(工事が始まったと聞いてもリアリティがない)も、日本語力にこだわって看護士をインドネシアから大勢呼ぼうとして結局は半端に拒否したことも、何もかも信用されていないのではないか、という気がしている。

辺野古の新基地建設をめぐり、県が沖縄防衛局に対し、「聴聞」する方針を発表したことを受け、沖縄防衛局は29日、「埋め立ての必要性や環境保全措置を含めて県の意見を聴取し、事業内容に反映することで承認を頂いた。承認に何ら瑕疵はなく、県の取り消しは違法であるとして聴聞に応じない」「10月7日の聴聞には出頭しない」という趣旨の陳述書を県に送付したという。「聴聞」じたいが明らかに相手の詐術で、そういう提案が政府側から出ていても門前払いすれば良かったのである。そして防衛局は、今回送った陳述書をもって「聴聞」の手続きを終わらせても差し支えないとする考えを伝えているという。挑発しているのか。これですぐに沖縄県が承認取り消しをしないとなったら、理屈に合わないが、ここまで後手後手になってしまったら、なんだか踊らされているみたいである。それでも県に毅然とした対応はしてもらわねば困るのだが。
岸田文雄外務大臣・アシュトン・カーター米国防長官の会談で日米地位協定の「改善」があったというが、米軍施設・区域への限定的立入り等、ほんのちょっとのことでしかないではないか。カーター長官から示されたという「普天間飛行場の移設を揺るぎなく進めていく努力への謝意」が腹立たしい。明らかに比重はそちらにある。より多くのことをとっくに差し出してしまっているのだ。
辺野古工事の「承認取り消し」は明日でもいい、という意見に賛成する。

先週は身近でもあまりに理不尽な「お上」の所業に呆れ怒ることもあったが、我慢するというより、こちらがしっかりするしかない。自分より若い人たちともあれこれ話したし、事務的なことも日々堆積する。劇団のことも別な仕事も、解決しないこと山積。で、いろいろな締切が追ってくる。本来なら無用なはずのトラブルの処理を幾つかしなければならない立場もある。面倒な連絡が多いし、なかなか筋の通らないことにも、日々直面する。自分のお人好しに呆れることも多々。時間が幾らあっても足りない。

自分の本番が終わってから芝居もいくつか観たが、ぜひ観たいと思ったものを見逃してもいる。最近何を観ても、作り手が「自分の身の丈を越えるもの」を目指している感じがしないというのは、こちらがシビアになっているのかもしれないが、ある程度は本当にそうなのだろうという気はしている。「内向き」が自然な時代なのだ。だがその度が過ぎると多くのことを見逃すし、知らず知らずのうちに踊らされていたりすることになるのだ。

映画は本当に観ていない。ある必要があって移動の狭間に駆け込んで唯一観たのがなんと『アントマン』だが、まるでゲームのように指揮され死んでいく蟻たちの群れが、戦場に駆り出される無名の兵士と市民たちそのものに見えて、暗澹たる思いを抱える。途中降板したというエドガー・ライトが最後まで関わっていれば、そのことじたいからのブラックな批評性が期待できたのかもしれないが……。
他に来年公開の映画の特別上映も観たが、その感想は今は書かない。

日曜午後は下北沢での『下北沢を考える SHIMOKITA VOICE2015』座談会に出る。二年ぶりに出たらしい 。ライフスタイルプロデューサー・映画監督という肩書きの浜野安宏さんという、不思議で面白い人と初めてご一緒する。保坂展人世田谷区長の然るべき時の「意地」も、しっかりと見せてもらう。お馴染みの皆さんの間で、私は控えめに喋ったつもりだったが、がんがん言っていたねという意見もいただく。まあいい。下北沢という町を支える人たちと過ごす時間は、豊かだ。昔いたのにいなくなった人もいる。だが、人が繋がっている場所は、時に時間を、時に生死を、超えられる。

スーパームーンは十分足らずくらいだけ眺めた。夜中は厚く広い雲が流れて、それを透かせる光量で、不思議な空の陰影ショーを実現していた。だから何なんだ、とも思うが。ガラパゴスPHS携帯のカメラで撮れるのは、この写真のレベルまでだ(これは雲登場以前の時間帯)。
まあしかし、スーパームーンとか言っても、月じたいが本質的に何か変わったわけじゃないのだ。NASAの調べで火星には水があったことがわかったというが、それもわしらが知らなかったというだけのことだ。特別なことみたいに感じるのは、人間が自分本位に生きていることの反映でしかない。

この間ずっとあれこれ調べ物をしていて、今日は資料を探しに初めての町に出かける。バスと電車を何度か乗り換え片道一時間半以上かかる資料館を往復。帰路もいろいろあって予定を変更せざるをえなくなる。やれやれ。
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