Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

韓国、日本との軍事情報包括保護協定を破棄

2019-08-22 | Weblog

ロイター通信によると、韓国大統領府はきょう22日、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄すると表明した。同協定は、更新の判断期限を迎えている。河野外務大臣が前日この協定について「日本としては、しっかり維持していくべきものだと思っている」と発言したのを、真っ向から振り払った。

韓国側は、日本政府が明確な証拠を提示せず、しかし安全保障上の懸念を理由に、輸出手続きを簡略化できる「ホワイト国」のリストから韓国を除外したことが、両国の安全保障協力環境に「大きな変化」をもたらしたからだ、と説明している。

「ホワイト国」除外以降、韓国と日本の関係は冷め、経済へのダメージは大きい。日韓の航空便は半減、韓国の観光客をお得意様にしていた九州の温泉などの観光地は、客がいなくなったため半額基準のダンピングを始めたという情報もある。すべて、日本が仕掛けたことの結果である。韓国に対して無神経な方策をとり、国際世論の批判に晒されたばかりか、結果として国内の民業を圧迫している。

そして「ホワイト国」のリストから除外された韓国は、産業的に「それでも今まで同様にやっていける」と豪語している。もしも本当にそうなれば、日本のやったことは全て失策、自滅のため以外の何ものでもなかったことになる。

 

日本政府の方策・発言は、短絡的な攻撃ばかりである。背景にあるのは、安倍政権の「強がり」政策の継続、あるいは国内で現政権の矛盾から国民の目をそらせようとする誤魔化し、いずれにせよドメスティックな目的ばかりだ。そもそも徴用工訴訟問題に真摯に向き合い解決する気がないというところが過ちのスタートだが、まったく後先を考えず感情的に動いてしまったことが、露呈され始めている。

以来、韓国側は、テレビ等で、過去の日本の韓国に対する「援助」「補償」の欺瞞を暴くニュース・ドキュメンタリーを連日のように出しているようだ。それはたんに国内向けではない。「日本に対して要求することの正当性」を、本気で国民的課題として検証し始め、なお世界世論をも味方に付けようとしているのだ。

また、韓国は、福島第1原子力発電所の汚染水処理計画に「情報共有」を求めている。その気になればいくらでも逆襲できるのだ。

 

この諍いの結果は、歴史が証明するだろうが、日本政府は決して勝ち負けにこだわるのでなく、謙虚にこれまでの一方的な態度をあらため、両国が平和的で正当な話し合いのテーブルにつけるよう、努力すべきだ。

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チェーホフさんには似ていません

2019-08-22 | Weblog

今年六月にロシアに行って、遭遇したチェーホフの像や肖像画の写真をアップすると、私がチェーホフに似ているという人がいる。そんなことはあるまい。

チェーホフは44歳で亡くなった。私は彼よりも一回りも長く長生きしているというのに、悶々と書き続けている次第だ。

今、同時に三本の戯曲を抱えている。こんなの三十代以来だ。

 

写真は、六年前、『屋根裏』でヤルタの「チェーホフ演劇祭」に招待されたさい、チェーホフが晩年の最後の5年間を過ごした現在博物館になっている「チェーホフの家」を訪れたさい、表のチェーホフ像と共に。

似てないよ。

このヤルタの地で「桜の園」「三人姉妹」は書かれたのだ。

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/5bc8922247d260f26fde04738dccf07f

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/da936615d826c10ba7084b0478435ce5

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/11e6394d185d9322f36577feaf1ce756

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島次郎さんの仕事への共感を新たに

2019-08-22 | Weblog

劇作家大会 2019 上田大会、終わって帰京し、雑務に追われつつ、不意に振り返る。

あくまでも個人的には、やはり、シンポジウム「 現代演劇と舞台美術 ~島次郎の仕事を中心に~ 」に、尽きる。

鵜山仁さん、松本修さん、舞台美術家の堀尾幸男さん、演劇ジャーナリストの今村麻子さん、内容としては、舞台美術であり、島次郎という才能との関わりであり、だったが、この四十年間の演劇の流れを振り返り、今後の可能性を示唆するものだったと思う。

演劇であり、創作そのものについての踏み込んだ話は、かなりできたのではないかと思う。同時並行でいろいろなプログラムが進む大会故に詮ないことだが、もっと多くの人に聞かせたかったと思う。

堀尾さんの言う、島次郎さんは、一つの油絵を描くように、舞台空間を造形していった、という話の、内実というか中身というか、イメージとその実現過程について、彼と現場を共にした者たちの共感は、深いものがあった。

島さんは、自らが創作者であるだけでなく、私たちの時代の人間たちの交錯するこの現場群たちの媒介者として、濃密に、時代と向き合っていた。

エントランスでの、島さんが舞台美術を手掛けた作品写真群、三十近い作品を一望して見たときに受ける感触が、島さんという人間の存在感、仕事のスケールの大きさ、その片鱗を示していた。

あの写真たちを、また、どこかで展示したいと思う。

 
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