Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

今年もよろしくですが

2013-01-01 | Weblog
朝の「おはようございます」と同じような意味で、「今年もよろしく」とは、申し上げたい。しかし、無為に時が過ぎていく現実の中で、「お祝いしたい」とは、少しも思えない。……今年もいろいろな予定はある。すべきことは山積している。その仕事の中で、一つ一つのことを積み上げていくしかない。しかし、とくにこの一年九ヶ月の間に蓄積した徒労感がある。ほんとうにこんなことを続けていていいのだろうかと思う。残念ながら、最悪の結果の衆院選から立ち直れない。オスプレイも沖縄に来てしまった。放射能は漏れ続けているし、その後の危険度は明らかに増加している。「格差」は広がる一方で、身近な暮らしの厳しさはぎりぎりと私たちを締め付ける。学校で、社会で、歴史や内外の現実を冷静に伝えることが困難になってきている。痛みを感じ堪えている人達を救うことができない。孤独と孤立の蔓延に、為す術がない。この先が好転するという見通しは、容易には立て難い。にも関わらず愚か者が増えすぎている。……年の瀬も押し迫って、安倍首相は言った。「日本は今、多くの国々から侮られている」。では、侮られないためにはどうするかと言えば、「日米同盟を堅固にすること」だそうだ。「民主党政権の失態によって迷走した基地問題に終止符を打つ。米軍普天間飛行場の移設先は沖縄県名護市辺野古という方向で進めていく。われわれは責任を果たしていくとオバマ大統領に申し上げたい」そうだ。沖縄を犠牲にするというのでは、まだ生やさしい物言いだ。「日本を見捨てないでほしいので、差し出します」と言っているのだ。それで許してもらえると甘く考え、金融・財政政策が不透明な中でTPPの「聖域なき関税撤廃」が日本に及ぼす影響についても、それがアメリカに押し流されることだという予感はあるからだろう、「日米は同盟関係だから対話ができるはず」「考え方を大統領に率直に話していきたい」、そうだ。私はアメリカという国にもいいところと悪いところはあるが、そんなに甘い考えでつきあっていけるとは思えない。昨今はアメリカや海外の友人たちの、日本という「国」に対する憐憫に近い反応を、痛みのように感じている。自衛隊を軍にしたくてたまらない安倍=自民党は「集団的自衛権の行使」についても見直すと言いアメリカに擦り寄っておきながら、「日米同盟関係を強化することは、別に米国に日本が仕えるということではない」と、国内向けには強がってみせる。尖閣諸島や北朝鮮に対する「情報収集能力を高める狙い」で米軍の最新鋭高高度無人偵察機「グローバルホーク」を、自衛隊に導入しようとするのは、この年の瀬に「日米関係」を再確認したい、させたい意図もあったのだろう。外交・防衛については、村山・河野談話を否定し外交を困難に陥れた上で「地球儀を思い浮かべ、世界を俯瞰しながら考えていくことが大切」だそうだ。いったいどこの時代に遡れると考えているのか。現実を見る勇気がないだけだ。日本は明らかに失敗したのだ。民主党の日本ではない。戦後を牽引したはずの自民党も含めての戦後の矛盾が逆流してきているのだ。「まだ何とかなる」と見せたいのだろう、だが無根拠なその「虚勢」は、完全に世界に見透かされている。基本的には「国際競争に勝つ」ことが日本の国力回復に必要だと訴えているわけだが、その前にすべきことがあるだろう。「改憲、徴兵制、核武装」のセットで訴える「強い国になりたい」という子供じみた欲求は、これもまた「非現実性への現実逃避」であるに過ぎない。震災と原発事故についても、その話はしたくない、なかったことにしたい、そのために「原発を新たにつくっていく」と叫んで、福島で起きた惨事を過小評価することで、忘れようとしている。国民全体に忘れさせたいと思っている。電力じたいは原発なしでもやっていけることはこの間に明白になったのに、原発再稼働の必要性を自明のように言っていくのは、「今まで通り」に戻ることによって、新たに生じている自己の「不安」を認めたくないからである。しかしそうしたこの国の振る舞いが、まさに諸外国を「不安」にさせている。あるいは、「付け入る隙」を丸見えにしている。……震災・原発事故から一年九ヶ月を経て、この国とそこに住む人々は変わっただろうか? 現実をしっかりと見て、感じるべきことをきちんと受け入れているだろうか? 私たちの周りにも「侮られること」ばかりを気にして強がり傲慢にしかいられない輩や、自分の現実を直視しないで怠惰に流される者、自分のことしか考えられない人間、弱さに溺れて閉じてしまう内向者、「よいこと」をしているつもりで独善に陥る人たちが、増え続けている。そしてそのほとんどが、わかったような顔をして、じつはなかなか他者に触れようとしない。……どのような仕事をすべきか。どうやって堪えていくのか。どれだけ具体的にできるか、念じる。そして、意志を共有できる仲間を、心から大切だと思う。……新年は祝わないなどと生意気なことを言ったが、祝うという字と呪うという字は、なぜ似ているんだ? そしてNHK、どうして年明けと共にさだまさしなんだ? 憲法起草に尽力されたベアテさんがこのタイミングで亡くなられたことは、私たちに新生と覚醒を促しているのだと思う。ご冥福をお祈りしつつ、自分なりに何を引き受けられるか、あらためて考えてゆきたい。
コメント (2)
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