サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

あのこと

2023年04月12日 | サカタだよ

シャルロット・ゲンズブール主演映画の第2作だったと思う。1988年の『小さな泥棒』で当時17歳のシャルロットが裸で性行為するシーンがあって、日本で17歳が裸になる機会なんて当時ないし(今もないか)成年が裸で性行為する場面もどこか人生の裏街道を思わせる暗さ寒さ寂しさが漂うものだった(今はそうでもないか)のに反して、『小さな泥棒』のその場面はあっけらかんと明るかったのでカルチャーショックを受けた。フランスすごい、フランス人は奔放だと。

しかしながら映画の終盤でヒロインが妊娠中絶しようとする場面になると、日本映画でたまに出てくる妊娠中絶のシーンに比べてどうしたのかと思うほどトーンが暗く、魔女みたいな助産婦が自宅で裏金とって処理するように描かれていた。絶望のあまり中絶しようとしたヒロインがラストで考え直し、魔女の自宅に忍び込んで金を奪って逃走し元気な女の子を産む物語なんだけど、中絶を請け負う魔女の暗さが印象に残り35年の歳月が過ぎた。

同じフランスの映画で『あのこと』というのがBunkamuraル・シネマで公開されたので予備知識ほとんどなく鑑賞しに行ったら、「あのこと」とは妊娠中絶のことだった。性に奔放と思いきやフランスでは1975年まで中絶が違法だったそうでバレたら逮捕されるので、バレるかバレないかギリギリのところでヒロインが中絶に踏み切る……それだけの映画だったもんだから、35年前に見た『小さな泥棒』(1950年のフランスの話)で中絶を請け負う魔女の登場シーンが妙に重苦しかった理由もやっと理解できた。犯罪行為だったからで、だからこそ泥棒が許される設定だったんだ。

『あのこと』の原作者アニー・エルノーは昨秋ノーベル文学賞を受賞し、それもあり『あのこと』が日本で劇場公開されたんだろうけど、アニー・エルノーは30年ほど前の小説『シンプルな情熱』で性の解放こそ精神の自由をもたらすと言わんばかりだったのを当時読んでやっぱりフランス人は……と思ったものだ。それが一昨年だか、映画になったのをBuinkamuraル・シネマに見にいったら、映画のほうは精神の自由とかにあまり関係ないメロドラマだった。だから『あのこと』も原作には何か映画で表現されない言い分があったのかもしれない。

小津安二郎の映画『東京暮色』(1957年)を早稲田松竹で鑑賞したら、『小さな泥棒』や『あのこと』の舞台とそう変わらない時期に、有馬稲子が妊娠中絶した。日本では犯罪じゃないから産婦人科の医師が堂々と施術してるし、医師の態度もざっくばらんで暗さも後ろめたさも薄かった。にもかかわらず有馬稲子(が演じる、笠智衆の次女の明子)は後に鉄道自殺を図り、命を落とす。非合法の中絶を土壇場でやめて泥棒を働き元気な娘を産み育てる『小さな泥棒』のヒロインや、非合法の中絶で一か八かの賭けに勝つ『あのこと』のヒロインに比べて、『東京暮色』の明子は合法なのに自殺。このへん、日本すごい。(悪い意味で)

『あのこと』と『東京暮色』は割合に最近、映画館で見たんだけど、どちらも中絶のシーンがあって描かれ方が対照的だったもんで、35年前の昭和の終わり頃に映画館で見た『小さな泥棒』のあのシーンのことなんぞ思い出して、またうっかりブログを書いてしまった。おしまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする