もともと海だった日比谷の公園には、いろいろな石が転がってるので見て歩くと面白いのに見て歩く人があまりいないのは残念なことです。
たとえばこの石などは、スカンジナビアの人が1957年2月24日に北極経由で日本への空路を開拓したことを記念して、10年後に日比谷に寄贈されたもの。
古代北欧文字碑を模したレプリカだそうです……なんだ本物じゃないのか。
この石は本物です。無造作に転がってますが、南極昭和基地から4kmの地点にある東オングル島の慎太郎山(標高40m)で、日本の南極観測隊が採取。
南極観測船「ふじ」が持ち帰り、昭和41年4月14日にこの道端へ転がされました。
よく転がりそうなこの石は、南太平洋のヤップ島(現ミクロネシア連邦)でお金として使われていた石貨です。長径1.35m、短径1mのほぼ円形で
大正13年(1924)頃に1000円ぐらいで流通したものを、大正14年1月にヤップ島支庁長が日比谷に寄贈しました。第一次世界大戦の後、
ミクロネシアは第二次世界大戦の後まで日本の信託統治領だったんですね……この石貨を見ていたら、だんだん昔のことを思い出してきました。
あれは1991年、アルバイト代をためてヤップ島に行ったときのことです。貧乏学生には関わりのないことながら日本経済はバブル真っ盛り。
最近はスクーバダイビングというそうですが当時はスキューバダイビングと呼ぶのが主流で、そのスキューバダイビングをやりに日本からわざわざ
独身男性がひとりで遊びに来ていました。3Mがどうしたこうしたと女性タレントの話を熱っぽく語っていたことを、いまでもよく覚えています。
3M=宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂ですね。スキューバの人は宿が同じか、食事の席が近かったのでしょう。ワインか何か飲みながら玄光社の雑誌、
『CM NOW』のことを話題にしていました。広告代理店にお勤めだったのかもしれません。塩野七生の小説をよく読むといってました。帰国してすぐ
塩野七生の小説を読んで、そのときは面白いと思いませんでしたが、翌年から2006年まで十数年かけて執筆された『ローマ人の物語』は完結後に
一気読みしました。それで2009年にはローマにも行きましたからね。ヤップ島のスキューバのお兄さん、もう名前も顔も忘れたけど元気かなって
ローマで思い出しましたよ。そろそろ還暦ですかね。3Mの中では観月ありさが好きと言っていたことが、いまだに印象に残っています。そんな印象、
残っていても仕方ないんですが、日比谷で石貨を見たら蘇ってしまいました。
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