A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 346 いわずに おれなくなる

2016-08-21 23:40:02 | ことば
いわずに おれなくなる
ことばでしか いえないからだ

いわずに おれなくなる
ことばでは いいきれないからだ

いわずに おれなくなる
ひとりでは 生きられないからだ

いわずに おれなくなる
ひとりでしか 生きられないからだ

まどみちお『まど・みちお 人生処方詩集 (コロナ・ブックス)』平凡社、2012年、29頁。


書かずには おれなくなる

memorandum 345 けしゴム

2016-08-20 21:19:43 | ことば
自分が 書きちがえたのでもないが
いそいそと けす

自分が書いた ウソでもないが
いそいそと けす

自分がよごした よごれでもないが
いそいそと けす

そして けすたびに
けっきょく 自分がちびていって
きえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと

正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいと 思ったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて


まどみちお『まど・みちお 人生処方詩集 (コロナ・ブックス)』平凡社、2012年、28頁。

消しゴムのような人生を生きる

memorandum 344 ものたちと

2016-08-19 23:24:42 | ことば
いつだってひとは、ものたちといる
あたりまえのかおで

おなじあたりまえのかおで ものたちも
そうしているのだと しんじて

はだかでひとり ふろにいるときでさえ
タオル クシ カガミ セッケンといる

どころか そのふろばそのものが もので
そのふろばをもつ すまいもむろん もの

ものたちから みはなされることだけは
ありえないのだ このよでひとは

たとえすべてのひとから みはなされた
ひとがいても そのひとに

こころやさしい ぬのきれが一まい
よりそっていないとは しんじにくい


まどみちお『まど・みちお 人生処方詩集 (コロナ・ブックス)』平凡社、2012年、24-25頁。

人に見放されても、ものには見放されない。

memorandum 343 仕合せ

2016-08-18 23:54:13 | ことば
 人生の時間を共有し、話し合い、巡り合うこの世の姿を示す言葉が、仕合せの意味なのだ。お互いがそれぞれ仕え合うことによって、仕合せが生ずる。人が人に仕え、世の中に仕え、歴史や自然に仕える。人は誰でも、何かに仕えなければ、しあわせと呼ぶ生きがいは生まれてこない。その仕える心を持つ人が、合わさる所に人生の本当の仕合せがある。
執行草舟『生くる』講談社、2010年、402頁。

仕合せになりましょう。

未読日記1218 『配色の設計』

2016-08-17 23:52:40 | 書物
タイトル:配色の設計 ―色の知覚と相互作用 Interaction of Color
著者:ジョセフ・アルバース
監訳:永原康史
翻訳:和田美樹/ブレインウッズ株式会社
日本語版デザイン:市東 基
日本語版編集:石井早耶香
日本語版DTP:平野雅彦
版権コーディネート:イングリッシュ・エージェンシー
発行:東京 : ビー・エヌ・エヌ新社
発行日:2016.6
形態:205p ; 21cm
注記:原タイトル:Interaction of color 原著50周年記念版の翻訳
内容:
色を見る。組み合わせる。その本質を掴む伝説の授業。バウハウス、ブラック・マウンテン・カレッジ、イェールで教鞭をとったジョセフ・アルバースの大成『インタラクション・オブ・カラー』。ディスプレイ時代の今だからこそ読み継がれるべき名著、遂に復刊!

「色のインタラクション」とは「色と色のあいだで起きていること」であり、それは「私たちの心のなか」で起きていることなのだ。インタラクションを学ぶことは「私たち自身を学ぶこと」にほかならない。
(日本語版に寄せて/監訳者序文より)

目次

日本語版に寄せて  永原康史
序文  ニコラス・フォックス・ウェバー
はじめに
I 色の記憶──ヴィジュアルメモリー
II 色の読解と構築
III なぜカラーペーパーか──絵の具の代わりに
IV 色はたくさんの顔を持つ──色の相対性
V 明るいか暗いか──光の強さ(明度)
 グラデーションの研究──新しい表現方法
 色の強さ(彩度)
VI 2色としての1色──地色を入れ替えることで見える色
VII ふたつの色を同じように見せる──色の引き算
VIII なぜ色はだます?──残像と同時対比
IX 紙による混色──透明性の錯覚
X 現実の混色──加法混色と減法混色
XI 透明性と空間錯視|色の境界と可塑作用
XII 光学的混色──同時対比の再考
XIII ベツォルト現象
XIV 色の間隔と移調
XV 中間混色ふたたび──交差する色
XVI 色の並置──調和──量
XVII フィルム・カラーとボリューム・カラー──ふたつの自然現象
XVIII 自由研究──想像への挑戦
 ストライプ──制限された並置
 紅葉の研究──アメリカでの発見
XIX 巨匠たち──色の楽器
XX ウェーバーとフェヒナーの法則──混色の測定
XXI 色の温度
XXII 揺れる境界──強い輪郭
XXIII 等しい光の強さ──境界の消失
XXIV 色彩理論──カラーシステム
XXV 色彩を教えるにあたって──色彩の用語について
XXVI 参考文献に代えて──私の最初の協力者
図版と解説

購入日:2016年8月17日
購入店:丸善 京都本店
購入理由:
 明楽和記展の参考文献として購入。たまたま別の本をアマゾンで調べていたら本書を知った。明楽和記の作品もまた「色彩の設計」と言えるかもしれない。内容は、前半が理論編、後半が図版編に分かれている。本書の白眉は、やはり図版だろう。色彩を解説した実用書の多くは、「色」の美しさを伝えるというより、色の心理学的、視覚的、光学的な特性を解説することに重点がおかれていて、図版から「色」の美しさを感じることはほとんどない。だが、本書はジョセフ・アルバースの作品集のように美しい。




memorandum 342 しあわせ

2016-08-16 20:24:55 | ことば
 しあわせとは、人生の多くの恵みの中でも、特に人間同士のつながりと関係を意味している。家族が一緒にいることがしあわせを生み、仕事仲間が力を合わせている状態がしあわせを創り、友人同士が人生を共にし語り合うことがしあわせの源流となっているのだ。そして、人と人が合わさることは、それぞれの人の心に仕える心があって、初めて可能となる。つまり仕合せとは、仕える心を合わせることを言う。
執行草舟『生くる』講談社、2010年、401頁。

人の心に仕える心は私にもあるのだが、仕える心が合わさらないときはどうしたらいいのさ。

未読日記1217 『見えるものと見えざるもの』

2016-08-15 23:16:18 | 書物
タイトル:見えるものと見えざるもの 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)
タイトル別名:Le visible et l'invisible : suivi de notes de travail
シリーズ名:叢書・ウニベルシタス, 426
著者:モーリス・メルロ=ポンティ
編者:クロード・ルフォール
監訳:中島盛夫
訳者:伊藤泰雄、岩見徳夫、重野豊隆
発行:東京 : 法政大学出版局
発行日:2014.4
形態:ix, 583, 25p ; 20cm
内容

目次
編者前書(クロード・ルフォール)

見えるものと自然──哲学的問いかけ
 反省と問いかけ
 問いかけと弁証法
 問いかけと直観
 編み合わせ──交差

付録
 前客観的存在──独我論的世界
 I 現前

研究ノート
 一九五九年一月
 一九五九年二月
 一九五九年三月
 一九五九年五月
 一九五九年六月
 一九五九年七月
 一九五九年八月
 一九五九年九月
 一九五九年十月
 一九五九年十一月
 一九五九年十二月
 一九六〇年一月
 一九六〇年二月
 一九六〇年三月
 一九六〇年四月
 一九六〇年五月
 一九六〇年六月
 一九六〇年十一月
 一九六〇年十二月
 一九六一年三月

編者後書
訳注
訳者あとがき
事項索引/人名索引

購入日:2016年8月14日
購入店:日本の古本屋
購入理由:
 締め切りの都合上、書き終えてしまった嶋春香展レビューテキストだが、その時に理解が足りず勉強せねばと思ったのが、メルロ=ポンティの「肉」という言葉であった。手元にあった『メルロ=ポンティ・コレクション』で復習したところ、『見えるものと見えざるもの』において論述されていると知った。本書はみすず書房からも出ており、両方を比較することができなかったが、どちらの訳がいいのだろうか。ひとまず本書を図書館で借りたが、貸出期間内に読み終えることはほぼ不可能なので、気長に取り組もう(読もう)と購入。


【ご案内】Gallery PARC Art Competition 2016 #03 嶋春香「MEET / MEAT」

2016-08-14 10:09:31 | お知らせ
ご案内が遅くなりましたが、嶋春香展「MEET / MEAT」のレビューテキストを書かせていただきました。
なかなか見応え(噛み応え?)のある作品です。ぜひご注目ください。


Gallery PARC Art Competition 2016 #03
MEET / MEAT:嶋 春香展
【会 期】2016年8月2日[火] ─ 8月14日[日] 11:00~19:00
*月曜日休廊・金曜日20:00まで・最終日18:00まで
Gallery PARC

筆致の現像学
平田剛志

 「視覚はまなざしによって触ること」(註1)と書いたのはメルロ=ポンティだが、絵画は「まなざしによって触ること」で視覚化される。プリニウスの『博物誌』(第35巻)によれば、絵画の起源は戦地に赴く恋人の影の輪郭をなぞったことから生まれたという。影の輪郭線をなぞって「うつす」こと、それは対象(人)物に触れる代替行為なのかもしれない。だが、言うまでもなく、「形というものは、ひとつの素材から別の素材に移されると、メタモルフォーズを引き起こす」(註2)だろう。影ではなく、写真をもとに絵画を描くとしたらなおさらである。

 嶋春香は写真を絵画へとメタモルフォーズ(変態・変容・変貌)する。写真を「うつす」と言っても、「写真」をもとに描いた絵画は数多ある。ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780-1867)やギュスターヴ・クールベ(1819-1877)は事物を正確に描写する資料として写真を利用し、エドゥアール・マネ(1832-1883)やエドガー・ドガ(1834-1917)は肉眼では捉えられない写真の光学的な視覚性を作品に取り込んだ。現代においてもフランシス・ベーコン(1909-1992)、ゲルハルト・リヒター(1932-)、リュック・タイマンス(1958-)などに写真イメージを受肉した絵画を見ることができるだろう。
 
 では、嶋はどのような写真を描くのか。嶋がモチーフとする写真は、作為性が抑えられた博物館などの「資料写真」である。資料写真とは、資料本来の背景や文脈の関係性を捨象し、背景紙のもと撮影される。つまり、図(イメージ)と地(背景)が分離されることになる。嶋はこのような「資料写真」の図と地の分離性に着目し、触れることができない資料(肉体を持たない幽霊のような存在)を肉付け(Touch)するように描く。
 だが、「資料写真」をもとにしたからといって「資料絵画」となるわけではない。今展「MEET / MEAT」で私たちが見るのは「獨逸の民藝」や「正倉院宝物」などである。だが、展示された作品は単色で、民藝品や宝物品とわかるような特徴や描写を見出すことは困難であり、「非具象的な相似が出現」(註3)した絵画と出会う(MEET)ことになる。
 一方、嶋の過去の作品に見られた絵の具の厚み、量塊性は今展の作品にはほとんど見られない。今展では、絵肌は色彩の滲み、筆のタッチ(筆致)の痕跡が全体に現れている。また、フロッタージュやドローイングなど、線を主体とする作品もある。色褪せたような滲みは、作品の素材に由来する。《Touch # 獨逸の民藝 6》、《Touch # 正倉院宝物 4, 5, 7》は、キャンヴァス素材にジーンズに使われるデニム生地を使用し、漂白剤でデニム生地の色素を漂白(脱色)することによって制作された。
 「漂白」とは、日常的には色や汚れを落として白くする化学処理を意味する言葉であり、描く行為とは真逆のように思える。だが、今展の作品を見ると、漂白された(色が抜けた)部分は白くハイライトとして浮き上がり、図と地が反転したように図像が形成されていることに気づく。つまり、嶋は「肉付け」の仕方、絵肌への「筆致」の方法を変えたのである。絵の具を重ねる筆致ではタッチを重ねるごとに重層的になる。一方、漂白剤によるタッチは、筆致を重ねるごとに像が現れる創造的漂白なのである。

 嶋はあたかもネガフィルムに光を感光させるように、デニム・キャンバスにタッチする。過去の油彩作品がポジティブ法による作品ならば、今展の漂白(描画)作品はネガティブ法による技法ということになるだろうか。
 そもそも写真の撮影、現像、プリントの工程は化学変化(メタモルフォーズ)による画像の生成である。フィルムカメラによる撮影は、ネガフィルムに光を感光させて潜像を作り、化学薬品による現像処理によって「像を現す」ことであった。そして、カラーネガフィルムには「漂白」という行程がある。モノクロ写真は「銀塩写真」と呼ばれるように、フィルムに含まれるハロゲン化銀が銀粒子に化学変化し、光が当たった部分が黒くなる。対して、カラー写真では銀粒子がネガを染色した後に、漂白液で余分な銀粒子を漂白し、定着液で画像を定着、洗浄する工程を経て現像処理が終わる(註4)。つまり、写真現像にとって、「漂白」は潜像を現し、色彩を定着するプロセスなのである。
 嶋にとって写真を見て描くとは、写真画像を再び「現像」することなのかもしれない。写真と異なり絵画は、筆致によってしか「現像」できない。かつて生活のかたわらにあった民藝品や正倉院宝物は、時を経て古色蒼然とした「資料」へ転移し、いまでは「資料写真」でしか触れることが叶わない。嶋は資料写真にタッチすることで「資料」に肉体を与え、「絵画」へとメタモルフォーズするのである。その「現像」は、まだ始まったばかりである。


註1 モーリス・メルロ=ポンティ『メルロ=ポンティ・コレクション』中山元編訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1999年、123頁.なお、メルロ=ポンティは晩年に「肉」(chair)という存在論的概念を提唱している。嶋が「MEAT」というタイトルに参照したかどうかはわからないが、言及は別の機会に譲りたい。
註2 アンリ・フォシヨン『改訳 形の生命』杉本秀太郎訳、平凡社(平凡社ライブラリー)、2009年、96頁.
註3 ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』宇野邦一訳、河出書房新社、2016年、209頁.
註4 ちなみに、カラーネガフィルムには青、緑、赤の光に感光する感光乳剤層が塗られており、撮影後に現像処理をするとそれぞれの補色にあたるイエロー・マゼンタ・シアンの3色によるネガ画像ができる。嶋はこれまでイエロー、マゼンタの単色で描いた作品を制作しているが、本展ではシアン系の作品が制作されている。

参考文献
・伊藤俊治『<写真と絵画>のアルケオロジー』白水社、1987年
・京都市美術館編『筆あとの誘惑 : モネ、栖鳳から現代まで : 特別展』京都市、1992年
・安河内宏法「ミュージアムと視覚の外側」、平芳幸浩編『これからの、未来の途中—美術・工芸・デザインの新鋭11人展』京都工芸繊維大学美術工芸資料館、2015年、22頁。

未読日記1216 『からだのメソッド』

2016-08-13 23:53:51 | 書物
タイトル:からだのメソッド―立居振舞いの技術 (ちくま文庫)
シリーズ名:ちくま文庫, [や42-2]
著者:矢田部英正
カバーデザイン:原研哉
発行:東京 : 筑摩書房
発行日:2012.6
形態:245p ; 15cm
内容:
「足指で地面をつかんで立つ」「つま先から着地して歩く」「鳩尾(みぞおち)を緩める」…。自分のからだに<気づき>を与えて、身体感覚を身につけることができれば、毎日の生活をもっと快適に過ごすことができる。日本人の伝統的な立居振舞いや身体技法を参考に、立つ、歩く、坐る、食べる、呼吸するといった基本動作の秘訣をわかりやすく伝授。これなら、今日から誰でも始めることができる。

目次
はじめに
第1章 立ち方の基礎
第2章 歩き方の基礎
第3章 坐り方の基礎
第4章 食作法の基礎
第5章 呼吸法の基礎
第6章 実習レポート
第7章 身体と運動の論理
あとがき
文庫版あとがき
文庫版解説(平山満紀)
図版出典一覧

購入日:2016年8月11日
購入店:BOOKOFF PLUS 河原町オーパ店
購入理由:
 こちらも別の本を探しに入ったところ、前から読もうと思っていた本書を見つけてしまったので購入。
 本書は、先月に東京に行った際に入ったカタチカフェで知った。店内に練馬区在住・在勤の方々がオススメする本をまとめた「井のいち文庫」という冊子があり、注文が届くまでパラパラ見ていたら、その中のどなたかが本書を紹介していたのである。最近はストレスが多く、迷妄、迷走することがしばしばであった。身体技法を変えることで、ストレスを減らし快適に過ごせるのならばぜひ読んでみたいと思った。


未読日記1215 『椅子と日本人のからだ』

2016-08-12 23:13:28 | 書物
タイトル:椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)
シリーズ名:ちくま文庫, [や-42-1]
著者:矢田部英正
カバーデザイン:間村俊一
カバー写真:林雅之
発行:東京 : 筑摩書房
発行日:2011.2
形態:233, ivp ; 15cm
注記:参考文献: 巻末pi
   2004年1月晶文社 刊
内容:
「いつも使っている椅子は腰痛や肩こりがひどくて」「色々試したが、どれもダメだった」。こうした悩みを抱える人たちは数多い。ほんとうに自分の身体に合った椅子とは何だろうか。床坐の文化を持つ日本人ならではの身体技法の研究を踏まえ、自然な立居振舞いや姿勢のなかに、長時間座っても疲れず快適な椅子のヒントを見出す。現代人の生活に欠くことのできない、椅子と姿勢の技術論。

目次
はじめに
第1章 正しい姿勢の理論と実際
第2章 日本文化における椅子と身体
第3章 西洋文化における椅子と身体
第4章 暮らしの中の身体
第5章 暮らしの中の身体と道具
終章 身体技法と物づくり
あとがき
文庫版あとがき 「個」と「全体」を繫ぐもの
解説 生きるための椅子 平出隆

購入日:2016年8月11日
購入店:ブックオフ 京都三条駅ビル店
購入理由:
 別の本を探しに入ったのだが、たまたまいつか読もうと思っていた本書を見つけたので購入。
 最近、矢井田英正氏の『からだのメソッド』という本を知り、昔から身体技法に関心がある身としてぜひ読みたいと思った。調べたら過去の著書もおもしろそうなので、ひとまず文庫の『たたずまいの美学 日本人の身体技法』(中公文庫)、新書の『美しい日本の身体』(ちくま新書)、『日本人の座り方』(集英社新書)を図書館で借りて読んだ。本書は他の著書と内容がかぶる点も多く、私の関心も椅子よりは「日本人のからだ」にあるので、当初は購入を迷った。しかし、解説を平出隆氏が書かれていて、これがまたおもしろいので購入してしまった。

 矢井田氏の著書を読んで気づかされたのが、これまで椅子などの家具をデザインや時代の流行や様式史の視点で見ていたことである。だが、それらの「かたち」が、それぞれの国や地域の身体技法・文化に合わせて生まれた「かたち」であるというあたりまえのことを念頭におくと、「身体論」として椅子や座位が可視化されてくるのであった。また、日本絵画における「座り方」の系譜、分析にいたっては、それだけで展覧会とワークショップができてしまえるような魅力的なテーマである。絵画や彫刻を素材に、座位の視点から作品解説したり、ヨガや整体のワークショップを開催したらどうだろう。