A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 266 最後の審判

2016-03-21 23:23:33 | ことば
 次々に流行する主義主張に右往左往するな、右顧左眄するな。
 どんな時代であろうと、どんな国の人であろうと、人間の考えることだ。人間のすることだ。自分という人間の個の、ほんとうのあり方を、より深くより新しく、探検をつづけるならば、それがそのまま人間の真実なのだ。もっとも恐れなければならないことは、新しい主義主張を知らないことではなく、自分自身を失うことだ。たとえ自分のつかんだものが他に通じないとしても、それはそれで仕方がないではないか。自分が納得できるということが、自分のからだのすみずみまでの全部の細胞がこれでいいんだとうなずくということが、自分にとって「最後の審判」ではないのか。

野口三千三『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)』岩波書店、2003年、236-237頁。

 右往左往しなくていいから、どうか自分を見失わないように。

未読日記1154 『無人/島』

2016-03-20 21:25:36 | 書物
タイトル:無人/島
著者:構想計画所
発行:[出版地不明] : [構想計画所]
形態:[22]p ; 21cm

購入日:2016年3月20日
購入店:gallery COEXIST – TOKYO
購入理由:
 構想計画所による展覧会「 離人/島―人間よりも前から来る、あるいはその後へと向かうもの―」(2016 年3月5日~4月3日)の会場にて購入。
 構想計画所によるこれまでの展覧会は、『疑存島』(2014年)、『無人=Atopia』(2015年)そして本展が「離人/島」と題されていて、言わずもがなドゥルーズの『無人島 1953-1968』(宇野邦一ほか訳、前田英樹監修 河出書房新社、2002)などがベースとなっているわけだが、私は門外漢なのでここでは深入りしない。
 展覧会としては、これまでの暗く不気味な雰囲気の舞台美術風な展示と異なり、本展は作品やテキストを丁寧に見せる展示で好感がもてた。

未読日記1153 『VOCA展 2016 : 現代美術の展望--新しい平面の作家たち』

2016-03-19 23:40:38 | 書物
タイトル:VOCA展 2016 : 現代美術の展望--新しい平面の作家たち
編集:「VOCA展」実行委員会、上野の森美術館
翻訳:小川紀久子
撮影:上野則宏
デザイン:重実生哉
発行:[出版地不明] : 「VOCA展」実行委員会
    [東京] : 日本美術協会・上野の森美術館
発行日:c2016
形態:117p ; 30cm
注記:展覧会カタログ
    会期: 2016年3月12日-30日
    会場: 上野の森美術館
    主催: 「VOCA展」実行委員会、日本美術協会上野の森美術館
    英文併記
内容:
「VOCA展2016」開催にあたって
「VOCA展2016」協賛によせて
[受賞作品]
「選考評」建畠晢
「距離について」本江邦夫
「選考所感」笠原美智子
「選考評」片岡真実
「視えにくい時代に、眼を凝らすこと。視るということ。」神谷幸江
「平面の遠心力」島敦彦
[作家一覧]
作家/推薦者名(所属)
青木 豊/岡里 崇(上野の森美術館 学芸員)
石川 潤/吉崎元章(札幌芸術の森美術館 副館長)
井田幸昌/野中 明(長崎県美術館 学芸員)
牛嶋直子/辻 瑞生(アーツ前橋 学芸員)
ERIC/古野華奈子(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 学芸員)
大山エンリコイサム/米田尚輝(国立新美術館 研究員)
尾森平/高橋しげみ(青森県立美術館 学芸員)
笠井麻衣子/野田尚稔(世田谷美術館 主任学芸員)
柏木健佑/山下裕二(明治学院大学 教授)
嘉手苅志朗/豊見山愛(沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員)
川合朋郎/名古屋覚(美術ジャーナリスト)
菊地良博/清水建人(せんだいメディアテーク 学芸員)
小林 透/永松左知(茨城県近代美術館 学芸員)
今実佐子/長門佐季(神奈川県立近代美術館 主任学芸員)
      前山裕司(埼玉県立近代美術館 学芸員)
佐竹真紀/寺嶋弘道(北海道立近代美術館 学芸部長)
下出和美/中田耕市(金沢21世紀美術館 学芸課 キュレーター)
神馬啓佑/中村史子(愛知県美術館 学芸員)
鈴木のぞみ/小原真史(IZU PHOTO MUSEUM 研究員)
関根直子/新見 隆(大分県立美術館 館長)
竹谷 満/麻生恵子(富山県立近代美術館 主任学芸員)
谷原菜摘子/中井康之(国立国際美術館 学芸課長)
NAZE/吉岡恵美子(京都精華大学 芸術学部 准教授)
白田誉主也/山本丈志(秋田県観光文化スポーツ部 文化振興課 調整・文化振興班)
花岡伸宏/山拓一(京都市立芸術大学ギャラリー 学芸員)
久門剛史/林寿美(インディペンデントキュレーター)
藤部恭代/加藤義夫(加藤義夫芸術計画室)
前田エマ/宮本武典(東北芸術工科大学美術館 学芸員)
村上 早/金井 直(信州大学 人文学部 准教授)
村上友重/角奈緒子(広島市現代美術館 学芸員)
横野明日香/都筑正敏(豊田市美術館 学芸員)
芳木麻里絵/森 千花(東京都現代美術館 学芸員)
渡邊瑠璃/正路佐知子(福岡市美術館 学芸員)
RECOMMENDATIONS
BIOGRAPHY

頂いた日:2016年3月19日
 上野の森美術館にて開催された「VOCA展 2016」に行った際に会場にて頂きました。どうもありがとうございます。
 今年のVOCA賞は久門剛史氏の作品だったが、作家の経歴や作風からして賞の趣旨に合うのか疑問だが、これもまた時代なのだろう。いつも思うが、「新しい平面の作家たち」とサブタイトルにあるにも関わらず、異なる作家を推薦する審査員のセレクトに問題があると思うのだが、いかがだろうか。



未読日記1152 『映像論』

2016-03-18 23:26:31 | 書物
タイトル:映像論―「光の世紀」から「記憶の世紀」へ (NHKブックス)
シリーズ名 : NHKブックス; 827
著者:港千尋
発行:東京 : 日本放送出版協会
発行日:1998.4
形態 : 278p ; 19cm
注記 : 註・参考文献: p255-262
    関連略年表: p263-266
内容:
[映像と人間の新たなる可能性を探る]
「映像を見る」とは、いかなる営みなのか?〈光〉によって現実を変える魔術、映像。情報のデジタル化に伴い、この〈魔術〉が大きな転換期を迎えた現在、写真、映画、テレビからデジタル・イメージにいたる、人間の映像体験の意味合いをあらためて問い直すとともに、視覚優位の映像社会・文化の盲点をつき、21世紀へ向けて、身体性や記憶の復権を目指し、新しい映像文化の胎動をも予見する。従来の作品論、技術論を超えた、全く新しい〈映像論〉の試み。

目次
まえがき
序論 ピクチャー・プラネットの誕生
1 映像と身体
2 失われた影
3 記憶の文明
エピローグ 闇の視線~〈見ること〉と〈信じること〉

註・参考文献
関連略年表
あとがき
索引
図版・写真出典

購入日:2016年3月18日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
 キュレーションを行う展覧会「High-light scene」展のための参考文献として購入。
 本書は以前に図書館で借りて読んだことがあるのだが、エピローグに取り上げられる盲目の写真家の話が印象的で、他の章を具体的に思いだせない。ならば、同じ港千尋氏の『記憶』と合わせて再読してみたく購入することにした。内容としては、『記憶』よりも本書の方がサブタイトルに「〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ」とあるので、展覧会テーマである「光」と「シーン」の参考にはなりそうだ。

未読日記1151 『記憶』

2016-03-17 23:53:51 | 書物
タイトル:記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)
シリーズ名:講談社選書メチエ, 93
著者:港千尋
発行:東京 : 講談社
発行日:1996.12
形態:283p ; 19cm
注記:註および参考文献: p253-276
内容:
なぜ一杯の紅茶から、「記憶の大伽藍」が出現しうるのか?記憶とは、刻印の「集積」ではなく、「生成」しつづけるダイナミックなシステムである。回想、追憶、想起がもつおどろくべき創造力に光をあて、アートの現場、歴史認識、言語状況を横断しながら、終わりなき構築としての「記憶」を透視する。

目次
プロローグ 記憶の生成論
第1章 記憶と創造
第2章 回想の力
第3章 写真と不在
第4章 想起する歴史
エピローグ 文化としての記憶系
註および参考文献
あとがき
索引

購入日:2016年3月17日
購入店:日本の古本屋
購入理由:
 5月に予定している「High-light scene」展のための参考文献として購入。「ハイライトシーン」とは何かと考えたとき、人にとっては「記憶」なのかもしれない。そこで思う浮かんだのが本書であった。第3章も「光」を考察する上で参考になる。


未読日記1150 『聲』

2016-03-16 23:48:34 | 書物
タイトル:声 (ちくま学芸文庫)
シリーズ名:ちくま学芸文庫
著者:川田順造
カバーデザイン:坂川事務所
発行:東京 : 筑摩書房
発行日:1998.10
形態:313p ; 15cm
注記:底本: 「聲」(筑摩書房, 1988年2月刊)
内容:
アフリカ、ヨーロッパ、日本の声の文化を自在に探りつつ、言語学、音楽学、人類学の境界をとりはらった視野で、声の生命を機能主義言語観の桎梏から解き放つスリリングな論考。声を発するペルソナと声で呼ばれる名の交錯、その多重性へと考察は展開する。第26回歴程賞受賞作品の改訂文庫版。

目次

1 権力の声、戯れる声
2 音声の象徴性
3 音と意味
4 類音類義
5 楽器音と言語音
6 声で奏することと楽器で語ること
7 音の共感覚


8 名を呼ぶ
9 うたう、あてこする
10 死者の名を呼ぶ
11 名をたたえる、声の芸人たち
12 ほめる声、おびやかす声
13 名とうたのあいだ


14 語りの人称
15 ことばの職人、ものの職人
16 人称の多重性
17 声とペルソナ
18 記号をこえて

あとがき
補注
文庫版あとがき
解説 兵藤裕己

購入日:2016年3月16日
購入店:ブックオフオンライン
購入理由:
 林葵衣展「水の発音」レビューテキストのための参考文献として購入。
 本書を知ったのは、河合隼雄・鷲田清一の対談本『臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知』(TBSブリタニカ、2003年)を読んだ時だったか。気になって調べてみたところ、近隣の京都府・市の図書館では所蔵がなく購入することにした(そうして本がまた増えていく)。
 少し読み始めて学問領域を自在にに行き来して展開される奥深い論考と言葉・文章の流れの美しさに魅了されてしまった。語弊を招く言い方をすれば文章に色気がある。きっと川田順造氏はいい声をしているに違いない。
 そういえば、私は子供のころから「声」に魅かれていたように思う。自分が声が小さく、吃音もあって、声にコンプレックスがあるせいだろう。私が魅かれる人はたいてい声が理由の一つだし、関西に移住してしまったのも、関西が「声」の文化だったからだ。落語が好きなのも声の芸能だからだし、好きな映画や音楽も声(音)に魅かれるものが多い気がする。
 本書の読んで、自分の声に対するフェティッシュに向かいあう機会としたい。

未読日記1149 『詩誌 エウメニデスIII 第50号』

2016-03-15 23:09:03 | 書物
タイトル:詩誌Eumenides III 第50号
編集:小島きみ子
表紙:つかもとよしつぐ
発行:佐久 : 小島きみ子
発行日:2016.3
形態:70p ; 21cm
内容:
巻頭エッセイ・美術と言葉が集う
 「美しいということが、」つかもとよしつぐ
連載・詩
 「小箱の秘密――ルネ・マグリット作「王様の美術館」に寄せて」渡辺めぐみ
エウメニデス記念五十号に寄せて
 平林敏彦、山田兼士、松尾真由美、京谷裕彰

 「薄明のサウダージ(散文篇)」野村喜和夫
 「不明と自明と彷徨と」松尾真由美
 [遺失物は不特定多数の時計だとしたら……]たなかあきみつ
 「アオサギ、湖の怪異」小笠原鳥類
 「ミステリーズ」広瀬大志
 「翡翠によせて、よ」海埜今日子
 「わたしは本ののどになりたい」高塚謙太郎
 「蔓草にせよ」森山恵
 「居室」伊藤浩子
 「チンアナゴとカエルウオ」京谷裕彰
 「り」京谷裕彰
 「餓鬼道」作田教子
 「苦汁」平野光子
 「羽衣」藤井わらび
 「春のルーバー」海東セラ
 「アンジェイ“セシル”ノワレト自伝」山本崇太
 「(放棄の美学)と(暗黒の土地)」小島きみ子
シュルレアリスム特集を終えて
 「謎の鳥の声とシュルレアリスムについて?」小笠原鳥類
 「そして、モナドは拡散する」京谷裕彰
 「「シュルレアリスム運動と音楽」の交差」平川綾真智
後書き・言葉を差し出す集い

頂いた日:2016年3月15日
 執筆者の方よりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
 詩誌エウメニデスでは、過去3回にわたってシュルレアリスム特集をしていたのだが、今号では「シュルレアリスム特集を終えて」として、特集を振り返る論考が掲載されている。
 いづれも短文ではあるが、京谷裕彰氏がシュルレアリスムを意識したきっかけとなったエピソードはとても印象深い。『現代詩手帖』2005年8月号の座談会のなかで飯島耕一氏がシュルレアリスムについて「シュルレアリスムなんて言葉はまだ生きているけど、もうちょっと役に立たないのではないか」と発言したのだという。
 このエピソードからは、思想さえも「役に立つ/立たない」という図式に囚われていることがわかる。京谷氏も書くように「「役に立たない」=「無力」ではない」はずなのに。そもそも、言葉がまだ生きているということは、現代においても必要だからだと思うのだが、その現代性は問われないらしい。言葉であれ人の存在であれ、情報や数値に還元されないと役に立たないとされてしまうのだろうか。

未読日記1148 『場所の現象学』

2016-03-14 23:18:25 | 書物
タイトル:場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)
タイトル別名:Place and placelessness
シリーズ名:ちくま学芸文庫
著者:エドワード・レルフ
訳者:高野岳彦, 阿部隆, 石山美也子
カバーデザイン・装画:渡辺千尋
発行:東京 : 筑摩書房
発行日:1999.3
形態:341p ; 15cm
注記:引用文献: p311-324
    エドワード・レルフの著作目録: p325-327
    原著(Pion, c1976)の翻訳
    底本: 「場所の現象学 : 没場所性を越えて」(筑摩書房, 1991年9月刊)
内容:
人間が生きるということは、身の回りの空間や環境に自分なりの様々な意味を与えることと同値である。自らの直接経験による意味づけによって分節した空間が、すなわち「場所」である。場所は、大量生産と商業主義が深化した現代においては、多様だったはずの意味や環境適合性を欠落させ、お仕着せのものとなり、「偽物の場所」のはびこる〈没場所性〉に支配される。本書は、ディズニー化、博物館化、未来化などの現代の没場所性の特徴を暴き出し、キルケゴールやカミュやリフトンらの文学や哲学の成果も動員しつつ、場所に対する人間の姿勢と経験のあり方を問う、現象学的地理学の果敢な挑戦である。

目次
日本語版への序文
はじめに
謝辞
第1章 場所および地理学の現象学的基礎
第2章 空間と場所
第3章 場所の本質
第4章 場所のアイデンティティ
第5章 場所のセンスと本物の場所づくり
第6章 没場所性
第7章 現代の景観経験
第8章 場所のゆくえ
原註
引用文献
エドワード・レルフの著作目録
訳者あとがき――人間主義地理学とエドワード・レルフ

購入日:2016年3月14日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
 つくるビルゼミ最終講義の参考文献として購入。今回は「失われた場を求めて」として、「場所」をとりあげることにした。その時に思い浮かんだのが「没場所性」という言葉であった。この言葉をキーワードに展覧会ができないかという案はあるのだが、今回はそれぞれの土地や場所にあった固有の場は「没場所性」に支配されていってはいないか、あらためて考える機会としたい。

memorandum 265 完璧

2016-03-13 23:42:47 | ことば
 完璧……なんと空疎なことばであろう。人間のやることで、およそ完璧というものがあるはずがない。あるはずのないものをあるかのように思うことは、明らかに欺瞞だ。またもしそのようなものが仮にあったとしたら、それはおよそ退屈きわまりないものとなるであろう。もう生きることにおいてなすべきことが、すべて終わってしまうからである。
野口三千三『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)』岩波書店、2003年、233頁。

完璧は退屈だ。

memorandum 264 偽り

2016-03-12 23:19:24 | ことば
 他人を偽ってもよいが自分を偽るな、他人を傷つけてもよいが自分を傷つけるな。しかし自分が自分であるために、一番大事な何かのためには、自分を偽ろうが傷つけようが、それはまったく差支えない。そうするしか自分が自分であり得ないからである。
野口三千三『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)』岩波書店、2003年、233頁。


過激な言葉だが、私たちは日々どれだけ自分を偽り、傷つけているのだろう。
自分が自分であるために、一番大事な何かのために、何をしているだろう。