お薦めの一冊、清川妙先生の新刊です。
兼好さんとは「徒然草」の作者・吉田兼好のこと。
清川先生は、少女の日に「徒然草」を初めて読んで以来、90歳の
今日まで折々に励まされ、勇気付けられ、教えられてきたといいます。
大震災に日本中が打ちのめされている今、兼好さんの死生観、人生観は
600年の時を経て現代の私達の心にも深く強く沁み込んでいきます。
生きるために一番大事なものは言うに及ばず「命」、そしてその
与えられた「命」を生きる気力に必要なものの中にこうした先人達の
言葉があるのではないでしょうか。
兼好さんの言葉をつぶさに読み取って、私たちに伝えてくれる清川先生
の生き方もまた私達の生き方の参考書です。
「人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。
存命(ぞんめい)の喜び、日々に楽しまざらんや」
憎むはただ嫌うと言う意味だけではなく、避けられない死を覚悟すべき
という意味に受け取りたいといいます。そう思うと、今、生かされて
いる命を楽しまないでおられようか、充実させなければならぬ、と自問
自答している言葉なのだといいます。
ああ、私も日々、一瞬一瞬も無駄にしてはならない、したくないと思う。
楽しまなくてはいけないよという兼好さんの言葉にきっと生きる勇気を
もらえることでしょう。
兼好さんとは「徒然草」の作者・吉田兼好のこと。
清川先生は、少女の日に「徒然草」を初めて読んで以来、90歳の
今日まで折々に励まされ、勇気付けられ、教えられてきたといいます。
大震災に日本中が打ちのめされている今、兼好さんの死生観、人生観は
600年の時を経て現代の私達の心にも深く強く沁み込んでいきます。
生きるために一番大事なものは言うに及ばず「命」、そしてその
与えられた「命」を生きる気力に必要なものの中にこうした先人達の
言葉があるのではないでしょうか。
兼好さんの言葉をつぶさに読み取って、私たちに伝えてくれる清川先生
の生き方もまた私達の生き方の参考書です。
「人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。
存命(ぞんめい)の喜び、日々に楽しまざらんや」
憎むはただ嫌うと言う意味だけではなく、避けられない死を覚悟すべき
という意味に受け取りたいといいます。そう思うと、今、生かされて
いる命を楽しまないでおられようか、充実させなければならぬ、と自問
自答している言葉なのだといいます。
ああ、私も日々、一瞬一瞬も無駄にしてはならない、したくないと思う。
楽しまなくてはいけないよという兼好さんの言葉にきっと生きる勇気を
もらえることでしょう。
先週、又、一つの不幸を体験しました。
同じ課の後輩のご子息が、15歳の若さで急逝したのです。中学3年の若さで。 弟さんが、ずーっと泣いていました。 同級生が皆泣いていました。
私も、お葬儀中、涙が止まりませんでした。
御説法の中で、坊さんが、’人は、死ぬことに関しては、人の力の及ばないこと、だから生きてる人達が、健やかに仲良く生きなければいけない’とか言っていました。
この歳になっても、まだまだ迷うことばかりです。
昔の、親父達もそうだったのでしょうか? 又、一人孫の可能性が出てきました。 爺としての役割重大です。
それにしても、繰り返しになりますが、今回の災害地での子供達の逞しさには、頭が垂れる思いです。
何故か毎日眠れず、失礼。 段々エスカレートしてしまいますのでこの辺で。
「遅れ先立ち、いずれ終(つい)には野辺の露となる」と法然さんはおっしゃっているそうですが、
誰もが露になるとしてもその順番は守ってほしいと切に願います。
兼好さんも、死は後ろから突然やってくる、と言ってます。
だからこそ、存命の喜びとなるのです。
死は努力の及ばないことなんですね。
生きているなら元気を出したいと思います。子供のようにストレートに!
睡眠は一番よく効く薬ですよ。