佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

アマゾン・アソシエイト・アフイリエイト投稿開始のお知らせ

本日より、アマゾン・アソシエイト・アフイリエイト投稿を開始いたします。「グルメ、旅行、飛行機、自動車、ファッション」に関するアイテムを選択し、アマゾンへのリンクを貼ります。買い物がより便利になるでしょう。猶、審査には一発で、しかもたった一日の審査期間で合格しました。2018年8月24日

当ブログを中傷する者は自らが弱者であることを証明するようなもの  投稿者:佐渡の翼管理人

2009年12月31日 00時01分55秒 | その他
当ブログの基本方針として、ブログの記事内容に関する質問コメントは一切お受けしないことにしている。幼稚で稚拙な質問コメントが多いのが理由の一つであるが、当方の回答内容に揚げ足をとらえ、それに関するくだらないコメントを次々に投入してくる暇な輩が多く、その処理に鬱陶しさを感じていたのも理由の一つである。そして、当ブログでコメントを採用されなかった輩の一部は、そうしたコメントをほいほいと受け入れる駆け込み寺の如き某ブログにガス抜きよろしく御注進に及ぶ。そして閉鎖されたごく狭い空間でお互いの傷を舐めあって喜んでいる。誠にお目出度い限りである。島内ブログを主宰されている方々が、当ブログの人気にあやかり、ご自身のブログのアクセス数稼ぎにと当ブログのネタを肴に様々な記事をお書きになることは一向に構わない。しかし、当ブログを中傷するコメントの掲載でアクセス数を稼いでいる某ブログなどへは恥を知れと言いたいし、それがアクセス数稼ぎの源泉だとしたら、誠にもって情け無い限りではないだろうか。そしてその事を恥じ入ろうともしない姿勢は、常識ある社会人とは到底言えまい。

当ブログを中傷する輩は、当ブログが痛烈な評価を下した宿泊施設や飲食店関係者では無いのは明らかである。何故なら、評価された当事者達は、メッセージ機能を利用してメールアドレスを付して意見を寄せてくれるし、記事削除が必要な場合はブログ運営会社を通じて要請してくる事もあるからだ。

ところが、ねたみそねむ一部の分別無き無教養な不心得者が、他のブログや情報掲示板に、当ブログが紹介したお店や当ブログに対する中傷めいた書き込みに及ぶ事例が後を絶たない。誠にもって佐渡の恥であり、佐渡の品格を貶(おとし)めるだけの行為でしかないことを肝に銘ずべきなのだが、今のところ「馬鹿につける薬はない」というのが現状であろう。こういう輩には恐らく20~30代の若輩者が多いのではないかと私は思っている。中にはいいがかりとしか思えないような些末な事を書き散らすちんぴらまがいの低脳児常連なども跋扈しているようだ。彼らは社会や組織で認められない鬱積した不満をただネット上にぶつけているだけに過ぎない幼稚な連中だと私は思っている。一体に、彼らの親や彼らが学んだ学校は彼らに対し、どのような教育を施してきたのであろうか?筆者の出身校である西日暮里にある有名進学校にはこのような馬鹿者は一人もいなかった。

当ブログを中傷したがる輩の心理は、当ブログが佐渡で多くの人々に愛読される人気ブログに成長したことに対するねたみそねみ、やっかみ、嫉妬であろう。もっと言えば、貧乏人の金持ちに対するねたみ、あるいは失敗し、社会の底辺に生きる者が成功者に対していだく屈折した羨望の一種かもしれない。他人を攻撃し中傷したがる者は常に社会的な弱者だ。金持ちはけんかなどはせぬし中傷もしない。無論、貧乏人からの中傷に対し中傷し返す事もしない。須く、中傷する者は貧乏人でしかないのだ。中傷する輩の声は所詮「犬の遠吠え」にしか過ぎないのだが、弱くて小さな犬ほどけたたましく吠えまくるのが常だ。当ブログを中傷する者は、自身が中傷される立場に立てばどのように感じるかに思いを馳せるほど社会的教養や常識、倫理観を兼ね備えた人間などでは決してないだろう。そして「中傷されるのにはそれなりの理由があるからだ」と主張するのはひとりよがりで勝手な屁理屈でしかない。そして事あるごとに、馬鹿の一つ覚えのように、一年以上も前の「盗用問題」を持ち出しては、その事を蒸し返し続け、正義感ぶっている。誠に執拗で、偏執狂的な病的と言ってもいいほどの輩が少なからずいるのだ、何人かの偏屈な人間が住む佐渡という島には。当ブログを嫌いだ嫌いだと言いながら、そのくせ毎日当ブログをチェックし、その内容は下らないし、記事の書き手は馬鹿なやつだと某情報掲示板に書き込む連中が後を断たない。嫌いなら読まなければいいだけの話なのだが、そのくせ毎日熱心に記事を読み、執拗にそうした行為を繰り返す連中の心理は何であろうか?多分、不満のはけ口として某情報掲示板を利用し、憂さ晴らしに中傷文を書き込んで喜ぶというマスタベーションを行っているに過ぎない、島の女に相手にされない哀れな貧しい連中のそれであろう。個人の感じ方、考え方はどうあれ、ネット上で他人を中傷するのは卑劣にして人間として恥ずべき行為であり、そのような行為を繰り返し行う者は人間のくずでしかない。匿名であることを言いことに、ネット上に安易に中傷文を書き込めば、後で必ず痛い目にあう事をいずれ思い知るであろう。「人間が本当に悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる」と言うのがゲーテの名言だ。他人のブログのコメント欄にこそこそ書き込んで当ブログを中傷したり当ブログの主張に反論を試みたがる実に卑劣な輩どもよ、悔しければ、自身でブログを立ち上げて堂々と論戦を挑めばよいではないか。その意気地も無いくせに。女の腐ったようなやつとは君達のことをさすのだ。

他人のブログのコメント欄で当ブログに対する批評や批判を展開しても、所詮は他人のふんどしで相撲をとるようなもの、それらに対し、良識ある大多数の島民からの理解などは到底得られまい。そんな事をしても孤立するだけだし、無駄な抵抗にしか過ぎぬ。それらは賢明なる常識人ならば決して行わない行為だ。もっとも一部の輩は、「せっかく反論を投稿しようとしても送信禁止ワードが含まれているため投稿できない」と不満を述べ言い訳をするかもしれない。しかし自身の反論文を隅から隅まで推敲してみれば分かるはずだ。文章のどこかに相手を不快にさせる単語が潜んでいることを。

政権交代が成就した激動の2009年も今日で終わる。昨年同様、当ブログに対する中傷で始まり中傷で終わった誠に残念な一年であったような気がする。しかし、「賛否両論、様々な人々が色々な事を言うのは、多くの人々が当ブログに注目し高い関心を抱いている証拠」と、励ましてくれる人もいる。そしてわずかな救いは、当ブログの閲覧を毎日楽しみにし、そして陰ながら当ブログを応援し、当ブログのスタッフ達を守ってくれる善意ある佐渡の人々が大勢いることを明らかにできたことである。今年はデジブックの採用、アクセス状況の公開、管理人へのメッセージ機能の付加、Twitterへの参加等でブログの幅を広げる事ができた。そして個別の飲食店の応援キャンペーンなど、匿名性を維持しつつも佐渡の地元の人々と触れ合う機会がもてたのが最大の収穫であった。それゆえ、当ブログのスタッフ達を見かけても追いかけ回したり、好奇な視線で見つめて騒ぎ立てたりせずに「そっとしておいて欲しい」というのが管理人の切なる願いである。当ブログをご愛読の全国の皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい。

居酒屋「なぎさ」(佐渡相川)      投稿者:佐渡の翼

2009年12月30日 06時01分50秒 | 佐渡の居酒屋
秋のとある日、筆者は相川の下戸(おりと)町にある居酒屋「なぎさ」さんを訪ねてみた。午後7時頃に入店したが先客は皆無!代わりに可愛い犬のチワワと素朴な表情をしたママさんが出迎えてくれた。5席ほどのカウンター席以外は畳の座敷席だった。ママさんは画像のようなお顔で実にきっぷのいい人だ。筆者がウイスキーの水割りを注文したら、ママさんが「サントリーの角瓶でいいですか?」と尋ねてきたので、棚の中のオールドパーのボトルをめざとく見つけた筆者は頭(かぶり)を振った後、それの水割りを作るようお願いしてみた。するとママは、「ホオ~オ」、というような表情をしながらオールドパーの水割りを作ってくれた。水割り用の水はわざわざ大分から取り寄せたこだわりのある水なのだそうだ。筆者はボトル棚の上方に綾小路きみまろの自筆の色紙があるのに気づいた。それを指摘したら、「綾小路さんがこのお店に来たことがあるの。カルーセルマキは3回来たよ」とママは言った。そして「梅沢富雄がこの間来たよ。カルーセルマキのデイナーショーのチケットは12000円だが、梅沢富雄は6000円」だと続けた。要するに、中央でさほど売れなくなった芸能人が地方のホテルのデイナーショーに出演して日銭を稼ぐ所謂ドサ回りの際にこのお店に立ち寄ったのだろう、と筆者は思った。芸能人が自主的にこのお店に来たわけではなく、ママが彼らをお店に呼んだというニュアンスで語っていた。

筆者は綾小路きみまろの色紙の左側に男性のシンボルを象った実にリアルな彫刻が飾られているのに気づいた。「ああ~あれ面白いですね」と筆者が言うと、ママさんは、カウンターの脇に置いてあった更に大きな木製のシンボル彫刻(画像)の向きを変えて筆者の方向に向けながら「こっちの方が大きいからよく分かるでしょう」と言った。これらは島外からやってきた木工師が作製したものだという。黒光りがする小さい彫刻の元の色は木そのものの色だったが、天然皮同様、年月を経るとこのような自然にいい色合いに変色していくのだという。「こういう物は本物を見ていないと作れないからねえ~」とママさんは意味深なことを言った。オールドパー2杯と乾き物のおつまみのお代は3000円。

運転代行を呼んでもらったら、中年女性と若い男性のドライバーがやってきた。筆者が車に乗り込んだ途端女性ドライバーが「お客さん、いいアルコールの匂いがしますね、私は普段お酒を飲まないのでよく分かるんですよ」と言った。さすがは客商売だ、「酒臭い」とは言わなかったし、筆者が高級酒を煽ってきたことを見事に見抜いていた。



銀寿司(佐渡相川)    投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年12月29日 05時24分37秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
秋のとある日、僕は相川羽田町にある老舗の銀寿司さんにお邪魔した。ご主人は東京で7年ほど修行してからこの地で開業し以後20年以上が経過したそうだ。午後6時半頃にお邪魔したら、カウンターに数名と座敷席に二人の先客がいたし子供連れの客もいた。僕は座敷席に座り、「お好みでお願いします」と言うと女将さんは「それじゃあ、カウンター席にどうぞ」と言った。僕が大将に「トロ、海老、烏賊、雲丹」をお願いしますと言うと、「今日は雲丹が入荷していないんですよ」と言われた。大将は、テンポよく握りを仕上げると、それらを二貫づつカウンターのつけ場に置いた。まずはトロから味わうことに。シャリは人肌で温かく、ネタの美味さは言うことなし。ネタとシャリの一体感も申し分ない。エビやイカも御同様!最初は「どうかなあ~」と思ってお店に入ったんだけども、こりゃあ、大当たりだった。このお店で一番人気の特上を頼めばよかったと後悔したくらいだからだ。ネタが入った冷蔵ケースを見たら、背の青い魚があった。僕が「これ何ですか?」と尋ねたら、大将は「それはサンマの酢締めです」と言った。サンマは身が柔らかいので酢で締めると少しこりっとした感じの食感を味わえる。僕は追加でこれを注文した。このサンマの酢締めも美味いなあ~。お代は1700円。1600円で佐渡寿司というのが食べられるのだから、銀寿司は安くて美味いお寿司屋さんだ。僕の評価は勿論★★★だよ。



両津カトリック教会     投稿者:とある旅人

2009年12月28日 06時10分45秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

両津の夷地区のはずれのあたりに、海星幼稚園(昔はキンダーガーデンと言ったそうだ)なるものがあり、その真向かいにこの教会があった。佐渡百選にも選定された貴重な洋風の建築物である。佐渡百選の説明看板によれば、「フランス人宣教師により明治12年に創設され、その後焼失したが、再び宣教師によって創建され今日に至っている。明治時代以後の佐度におけるキリスト教の最初の拠点として知られている」とのことだ。

内部に入ってみた。照明が消えていたのでフラッシュを焚いて撮影した。ステンドグラスが見事なチャペルである。右手には懺悔部屋などもあった。豪華な中世のヨーロッパの教会を見慣れた者にとってはごく普通の教会のように思えるが、それにしても佐渡にこんな教会があったのかと思うと実に感慨深かった。汽船の出港までに時間があれば、この教会に佇み祈りをささげてみてはどうだろう。


スナック「舞」のお薦めはチーママとえみちゃん    投稿者:佐渡の翼

2009年12月27日 06時00分43秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ
スナック「舞」のママは、若い女の子を集めるテクニックに相当長けているのだそうだ。週末にはラブジャンキーズ並みの6人もの女の子を集めて営業することもあるのだと、筆者はスナック小船のホステスさんから仄聞した。しかし、テーブル席で女の子に囲まれる上限は4人がせいぜいである。一挙に6人もの相手は無理であろう。従って、スナック「舞」やラブジャンキーズのようなお店があれば佐渡にはキャバクラなどは不要のように思えるが、ひょっとして、所謂おっぱい系やおさわり系のキャバクラ創設を誰かが目論んでいるのだとしたら、ある一定期間ごとに、新潟本土から女の子を供給せねばならなくなる。そのため早晩そのお店が立ち行かなくなるのは目に見えているのではないだろうか?

ところで、スナック「舞」での忘年会兼クリスマス会は佳境に入り、20代後半と思しき可愛い女性は、ヘネシーを水割りではなくロックで三杯もお召し上がりになった。筆者はこの女性の実年齢を聞いた時、筆者の想像したものとのギャップに正直言って驚いた。彼女は写真撮影には応じてくれたが、顔写真をブログでは公開しないで欲しいと言ったのでその約束は守る。この女性は源氏名を「えみ」と名乗った。気になる方は是非スナック「舞」へ飲みに行って確かめて頂きたいと思う。この女性には2千円のチップを差し上げた。ママさんと眼鏡のおねーさんには一万円の百貨店共通商品券を渡して半分づつ分けるようにと言った。このおねーさんは千円単位の商品券10枚を見ながら、「私、500円券以外の商品券って見た事ないの」とのたまわったが、筆者は500円単位の商品券などはいまだかつて見た事がない。チーママは、嬉しそうに商品券を眺めるおねーさんに向かって、「あんたこんど新潟へ行くんやろ、丁度ええやんか」と関西弁口調で言った。結局チーママのチップが最高額となったが、チーママは「これも年の功かしら」とそっとつぶやいた。チーママが東京時代、銀座は素通りするだけだったという話になると、筆者は、「銀座の高級クラブには女子大生のアルバイトが多い。彼女らはそうしたクラブに出入りする一流企業の重役連中のお気に入りとなりねんごろになってコネを作る。そうすると、大した女子大卒ではなくても、ちゃあーんとその会社に入社できたりする。」そんな話をした。

チーママは「えみ」ちゃんにつられて、ヘネシーの水割りを飲むと、「ああ~ヘネシーってこんなにいい香りがして美味しいのね。楽しいそして美味しいお酒!」と新たな発見をしたかのような口ぶりで言い更に杯を重ねた。「えみ」ちゃんと眼鏡のおねーさんは「お客さんお洒落ですね。佐渡にはいないタイプですね。どんなお仕事をなさっているんですか?」などと矢継ぎ早に筆者の正体を特定するような質問を繰り出したが、筆者は冷静にそして相手に言質をとられないように慎重に言葉を選びながら応戦した。足繁く佐渡のスナックを訪れ、毎回多量のボトルをキープし、そして大量のお金を落としていく、この奇妙な人物に彼女達は興味津々のようであった。

そうこうするうちに貸切状態が1時間近くになった。「えみ」ちゃんが「そろそろお客さんにキスしてあげたくなってきちゃった」という冗談を飛ばしはじめたので、筆者はここを潮時とばかりに運転代行を呼ぶように依頼した。「えみ」ちゃんが、「え~、もう帰るんですかあ~、もっと話を聞きたいのにい~」と例によって未練がましく言ったので、筆者はいつもの常套句である「去り際は潔く鮮やかにが筆者の美学だよ」を繰り返した。ある新聞のコラム氏がこう言っていた、「寒さは人恋しさを増すという。きっと人を一番温めるのは人だからだろう」と。泡のように消える蕩尽(とうじん)のような、まさしくバブリーな一夜ではあったが、甘美な楽しい夜でもあった。このスナック1時間貸し切り状態にも似た宴のお代は49,500円。都会には「2時間オール貸し切りパーティーで何名様でも飲み放題・唄い放題!¥38,000ポッキリ!」などというスナックもあるくらいだ。「舞」のママさんは相当に舞い上がっていたようだ。何故なら領収書の宛名は「上様」と書くように指示したにも関わらず、「佐渡の翼様」と書いていたからだ。

筆者が代行運転の車に乗り込むと、ママを含めたホステスさん4人全員が店外に出てきて並び、両手を臍の上に置き45度の角度でお辞儀をする銀座の高級クラブさながらのお見送り方式で見送ってくれた。運転代行のおじさんは、午後9時の段階でも筆者が最初の客だと言い、「実に有難い事です」と礼を言ってくれた。クリスマスイブ前夜のしかも祝日である。都会の盛り場ならば客足が増えだす時間帯だろうに、佐渡では代行を利用する人がほとんどいないという現実を見ると、円高デフレ不況の二番底が真近に迫っているような気配がした。





佐渡のコンパニオン事情     投稿者:佐渡の翼

2009年12月26日 07時11分52秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ
35歳の美人おねーさんは「私は写真写りがあまりよくないんですが」と言いつつ快く写真撮影に応じてくれた。だが、ご覧のような美人だ。笑ってとお願いしたがさすがにちょっと緊張したような表情。彼女は実年齢を明かしてくれたが、ラブジャンキーズのママの方が若いように筆者には思えた。ま、どちらも美人なのだが、どちらがどれだけ若いかは、実際にそれぞれのお店に行って筆者がキープしたボトルの酒を飲みながら確かめて頂ければ幸いである。この35歳美人おねー様は、コンパニオンクラブでもご活躍でいらして、筆者が当日宿泊した佐和田の「いせや新館」の宴会にもご出張なさったとおっしゃっていた。このおねー様は、スナック「舞」ではチーママの役割を担っているのだそうだ。熱心な読者さんの指摘は当たっていた。

筆者が「佐渡にもキャバクラができるらしいという噂があるのだが」と水を向けると、チーママは「ええ、そんな噂がありますねえ~、確か佐和田にできるとか言ってましたが」と答えた後、「でも、佐渡の女の子はそんな所へは勤めませんよ。コンパニオンクラブの方が遥かに待遇がいいですし、島の男たちとなじみになることもありませんからねえ~」と続けた。佐渡のコンパニオンの報酬の相場は、100分で交通費込みで12,000円だが、実際の女の子の取り分は、「こうよ」と、彼女は右手のひらに三本指を重ね合わせた数字を示した。つまり8,000円相当なのだという。筆者の時給である1万円には及ばないものの、けっこうな額ではないか。しかし、彼女らに言わせると、コンパニオンクラブにお座敷がかかるのは月に5回程度なのだという。と言うことは、たとえお客さんからの延長要求があったり、月に10回の出動要請があったとしても、月収は多くても10万円程度にしかならないという話になってくる。ならばスナックで毎日地道に働いて稼いだ方が遥かに実入りがいいという事のようなのだ。しかも、コンパニオン需要は、所謂「ニッパチ(2月、8月)」はほとんどないのが実情だという。何故かとの筆者の問いに、チーママは「2月は島の需要が元々少ないし、8月は家族連れの観光客が多く、彼らはコンパニオンを呼ばないからなの」と明解に答えた。つまり、コンパニオン需要が多いのは、島の祭りが多い春や秋と忘年会新年会シーズンの12月、1月くらいなのだそうだ。年間を通じて安定した需要があるわけではないので、コンパニオン専業で食べていけるほど甘い世界ではないと言うのが実情のようなのだ。更に、コンパニオン派遣クラブ専門業者(例えば、コンパニオンクラブ:ビビ、凛、華、J1、エルメスなど)とは別に、佐和田や両津などの料飲店組合が主催するコンパニオン派遣システムがあり、こちらは、午後9時までの時間制限がある上に、コンパニオンの平均年齢が40代50代と高目なため、料金は低目に設定されているそうだ。従って、宿泊した宿でコンパニオンを呼ぶ時、あまりにも安い料金を提示されたら、派遣されるコンパニオンの年齢を確認した方がいいのかもしれない。

スナック「舞」(佐渡両津)再び    投稿者:佐渡の翼

2009年12月25日 06時00分32秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ
12月23日の午後8時、筆者は一年ぶりにこの思い出深いスナック「舞」を再訪してみた。その重々しい扉を開けると、カウンターの内側には20代と思しき女性が二人いて、両者共おしぼりを巻く作業に余念がなかった。クリスマスらしく二人共サンタクロースの格好をしていた。一人は20代後半と思しき可愛い女性でもう一人は眼鏡をかけた、これまた20代と思われる可愛い女の子。明らかに一年前とは女性の顔ぶれが全く変わっていた。筆者はこれならバレそうもないなと思い、20代後半(25歳と思えた)の女の子に、「今日はボトルを入れるからね」と言うと、彼女は「あら有難うございます。では焼酎の水割りでよろしいでしょうか」と、クラブ瀬里奈のママと同じような事を言った。筆者は「いや、そんな安い酒じゃあなくってえ~、ヘネシー1本、オールドパー1本、焼酎は、グランドブルーを3本とJapanを3本入れてくんない。そしてそれらをテーブルの上に並べて、全部に佐渡市民と書いて頂戴。写真撮るからね」と言った。すると女の子は「え~、すっごお~い、本当ですかあ~?お客さん何人様でいらしたのでしょうか?」とたまげたような表情で言ったので、筆者が「一人だよ、飲むのはヘネシーで、後はクリスマスのお飾りにするだけだから」と事も無げに言うと、彼女は目を剥きながら絶句してしまった。事情が分からなそうな二人を尻目に筆者がテーブル席に座ると、奥から35歳と思しき美人女性が現れた。この女性、筆者の目の前に座り、黙々とヘネシーの水割りを作り始めたので、筆者は「あなたは私が初めて会う人ですか?」と妙な質問をした。すると彼女は「はい初めてのように思いますが」と抜け抜けと言った後、「でも一年前にカウンター越しにお客さんと一対一でお話した記憶があるような気がします」と遠慮がちに言い始めた。筆者には明らかに一年前とは別人のように思えたのだが、彼女は「一年前にお話させて頂いたときは、確か、私が新橋に勤めていたと言いました」と、当事者にしか分からないキーワードを漏らしたので、この一言で彼女が一年前に会った女性と同一人物である事が明々白々となった。筆者は彼女の言う初めての意味は「一年経って、化粧で見事に変化した私の顔を見るのは初めてでしょ」という事なのだろうなと思った。

すると、ドアーを勢いよく開けて、黒のダウンを着込んだ小学生の男児が現れ、次いで同色のダウンを着た女性、そしてその女性の母親と思しき女性の三人組みが相次いで店の中へ入ってきた。筆者はこの集団は何なのかと思ったが、どうやらママとその家族らしき集団のようだったのだ。筆者が「ママはどこにいるの?」と35歳の女性に尋ねたら、「今、奥で一生懸命おつまみを作っています」と答えた。筆者が席を立ち、店の奥の方へ向かうと、ようやくママが姿を現して、「佐渡の翼さんですね」とうつむき加減で涙ぐんだような表情で言った。筆者はママに向かって右手を差し出し、「一年ぶりですね、お元気ですか」と言いつつ、二度三度と握手を繰り返した。もうこれで隠し事をする必要はなくなったので無礼講でスナック「舞」でクリスマス兼忘年会をやる事にした。筆者の右隣には20代後半の美人が座り、35歳の女性の隣に、眼鏡の女の子が座った。ラブジャンキーズの時は両手に華のムッシュムレムレだったが、スナック「舞」では更にその上を行くトリプルでお店はさながら筆者の貸切状態となった。そりゃそうだろう、ヘネシー、オールドパーに加えて焼酎6本もキープしたのだ。破格の待遇と相成っても不思議ではない。

筆者は、「これはクリスマスプレゼント兼ボーナス」と言いつつ、一万円を入れたポチ袋をそっと35歳のおねーさんに渡した。「クリスマスプレゼントだからその場で開けていいよ」と筆者は彼女に言った。ポチ袋の中身を見た彼女は一瞬びっくりしたようなそして困惑したような表情を浮かべ、「こんなにい~」と言って絶句した。筆者は「ま、いいんだよ、これで秘密を守ってもらえれば、いわば領収書が不要の機密費のようなものだ」とは言わなかったがそのような表情で目配せをしたら今度は百万ドルの笑顔に切り替わった。一万円と言えば彼女たちの日給にほぼ匹敵する額かもしれない。おねーさんがびっくり仰天したのも無理からぬ話だ。このおねーさんは源氏名を「あけみ」と名乗った。そして「私の誕生日は1月1日なので、よく、あけみましておめでとうございますという駄洒落を飛ばされます」と言いながらほがらかに笑った。

ホステスさんと言うものは、それぞれが様々な人生の事情を抱えながら虚飾の世界で働いている。言わば彼女達はお店の中を舞台に本物の芝居を演ずる女優さんのようなものだ。故勝新太郎は、銀座のクラブで豪遊した後、ホステスさん全員に1万円のチップを手渡すのが常だったという。勝にとっては銀座のホステスさんは全員、彼の芸の教科書でありお師匠さんであった。従って勝の渡すチップは言わば授業料、筆者のチップは彼女達のそうした演技に対する観劇料なのである。

北鵜島の集落     投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年12月24日 06時00分10秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

僕は、「海府の宿」を出た後、北鵜島の集落の中を歩いてみた。真更川、北鵜島、願の3集落の菩提寺であるお寺が集落の中央部に建っていた。「海府の宿」の女将さんの話では、寺にはもう住職は住んでおらず、この寺は廃寺とはいかないまでも、休眠寺のような状態になっているのだそうだ。建立からかなりの年月が経過しているので、何箇所かに補修や修理が必要だが、集落を出ていった若い衆は、老い先の短い限界集落に見切りをつけ、何の見返りもないそのような行為を手伝おうとはしない。畢竟、寺は荒れるに任せ、朽ち果てていくだけだ。北鵜島の集落の老人達が死に絶えていくのと運命を共にするかのように、この集落も自然に崩壊、そして消滅という道を辿るのだろうか?その昔、この地に移り住んできた人々は、厳しい自然と共生し、たくましく生きぬく術を身に付けてきた。その伝統を絶やしてはならないだろう。この北鵜島には重要無形文化財に指定されている「北村家ゆかりの車田のお田植え神事」と船隠し岩の名跡が残っている。



海府の宿の朝食       投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年12月23日 05時16分09秒 | 佐渡のお宿評価
朝食は午前7時に一階の8畳間に用意されていた。女将さんは「お口に合いますかどうか」と言ったが、どうしてどうして焼き鮭は焼きたてで美味しいし、いごねりは自家製でちょっぴり違う味わいだ。ほうれんそうのおひたしと茄子とピーマンの煮物は裏の畑で採れたものゆえ新鮮でつややか。お豆腐は相川から仕入れるそうだが、これも美味しい。更に目玉焼きとハムに梅干までついていた。お味噌汁は鰯のつみれとお豆腐。お米は北鵜島産で、おひつの中には二人分のご飯が入っていた。二階屋さんと比べると随分と豪勢な朝食だ。勿論★★★である。いつもの事だが、民宿料理には素朴な地元料理が多いのではずれに当たることはまずない。

朝食後、厨房内にいた女将さんと、カウンターを挟んでしばらくお話をした。女将さんはこの家に嫁いできたのだという。しかし現在ではこの集落に嫁に来る女性は皆無だそうだ。嫁に出す親の頭の中から「海府大橋や佐渡一周道路が開通する以前の交通が不便な時代の外海府集落のイメージ」が拭い去れないというのがその理由だそうだ。女将さんが嫁いできた頃の北鵜島から両津へ向かうには、海岸線を大野亀、二つ亀を経由して歩き鷲崎港まで辿りついた後に船で4時間かけて両津に到着したという。従って両津までの行程はほぼ一日がかりであった。今ではおよそ考えられないことなのだが。。。更に女将さんは言った、「北鵜島では船が主な交通手段なので、集落の人々は皆船には慣れていますよ」と。女将さんは今でも時々船に乗って漁に出るという。この海府の宿さん、一泊朝食付きで5500円。帰り際、女将さんが外海府で獲れた天然若布をお土産にと手渡してくれた。その人情が嬉しかった。



海府の宿のお部屋          投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年12月22日 06時00分35秒 | 佐渡のお宿評価
この民宿には、一階に8畳間と6畳間の二部屋、二階に8畳間が四部屋あった。僕には2階の8畳間の北端の部屋が用意されていた。部屋の窓のサッシは冬の防寒対策として二重になっていた。部屋に入るとむっとした湿気を感じたので窓を閉め切ってエアコンを作動させた。ところがいつまでたっても涼しい風が吹いてこない。リモコンの設定温度を20度まで下げたらようやく少し涼しい風が吹いてきたが、部屋が冷えるほどの威力は無かった。おかしいなあ~と思いつつ、日がとっぷり暮れた頃にエアコンを止め窓を開け放ってみた。すると海からの風の方がよっぽど涼しいではないか!翌朝、窓の外を眺めていたら、屋外に設置されたエアコンの室外機に青いシートがかぶせられ、それらが紐でしっかりとゆわえられているのに気づいた。なあ~んだ、これじゃあエアコンが作動しないわけだ。つまりこの時期、北鵜島ではエアコンを必要とするほどまだそんなに暑くはなっていないという事だったのだ。

翌朝は午前4時に目が覚めた。夜が白み始めている。鳥達も起きだしたようで、そのさえずりと波の音がかまびすしい。しかし、それらを非日常としている僕にとっては、かえって心地よく聞こえる。ぴーひょろろお~と鳴く鳥の声、うぐいすの「ホーホケキョ」、ミンミン蝉の鳴き声、そして波の音が入り混じった朝の自然のコンサートは滅多に聞けるものではない。聞けば、このお宿は昔はかなりのお金持ちの家だったらしく、先代が亡くなった後、空き部屋を改装して民宿に転用したのだそうだ。


海府の宿(佐渡北鵜島)     投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年12月21日 06時00分18秒 | 佐渡のお宿評価
8月の上旬にこの民宿に宿泊した。予約の電話は半年前にかけた。電話口に出たのは、女将さんらしき人だったが、受話器をとるもいきなり無言!当方が「海府の宿」さんですか?と言うと「はいそうです」と、低い押し黙ったような声で答えた後に再び無言!「予約をお願いしたいのですが」と言うと、ようやく「いつでしょうか」の一言。「何月何日で、一泊朝食付きで夕食は不要」と言うと、30秒ほどの沈黙が続いた!たまりかねて当方が、電話番号と名前を言い、それを繰り返して差し上げた。どちらが宿側でどちらが予約客だか分からないようなやりとりをした。

さて、宿泊当日の朝に、「気が変わったので夕食を提供して欲しい」という電話をかけたら、女将さんから「誠に申し訳ございませんが、先に言うといてもらわんと、品物がないので提供できません」と言って断られた。僕は、その日はかなりの人数が宿泊予定で、人数分の食材しか確保していないのだろうと想像した。

午後5時40分頃に宿に着いた。女将さんがにこやかに出迎えてくれた。御年80歳とのことだが、とてもそんな年齢には見えない。せいぜい70代くらいにしか見えない女将だった。聞くと、「当日は僕一人しか宿泊予定がない」とのことだ。北鵜島は自給自足の集落ゆえ、必要最低限のぎりぎりの生活物資しか確保しないよう習慣付けられているのかもしれない。そのため、たとえ一人分であっても急な食材調達には対応できないのだなと思った。女将さんは「例年ならこの時期満室になるんですが、今年は天候不順でさっぱりです」と嘆きとも諦めとも付かないような声で言った。


居酒屋「おるふぇ」(佐渡相川)    投稿者:メシュラン覆面調査員

2009年12月20日 05時14分09秒 | 佐渡の居酒屋
秋のとある日、僕は相川の人気居酒屋「おるふぇ」さんにお邪魔した。天領通りの商店街を抜けた所にタクシー会社があるが、その隣で丁度「りき寿司」さんの真向かいにこの居酒屋があった。相川の飲食店事情に詳しい人の話によると、このお店はかつてはスナックで常時6~7人の女の子を雇って営業していたが、不景気で客足が減ったため店内の一部を改装し、2007年11月に居酒屋&スナックとしてリニューアルオープンしたのだそうだ。何でも佐渡のスナックで働く女の子の時給は1000~1200円程度とか。佐渡の翼さんが紹介した新潟のキャバクラ「イビザ」の時給が1700円だから、月収に換算するとおおよそ9万近い差になる。そしてこの事情通は「相川のスナックで若い女の子がいるお店は一軒もない」とも言った。

午後6時半頃にお邪魔した。カウンターの椅子はスナックぽくって、以前ボックス席だった所は居酒屋らしく座敷席に改造されていた。なるほど、それで「居酒屋&スナック」の看板を掲げていたのかと思わず納得してしまった。「佐渡食べ歩きグルメガイド」本には座敷席に改造される前の懐かしいボックス席の写真が掲載されている。座敷席は奥の2席を除いて満杯の御盛況だったがカウンター席には客は皆無!僕はカウンター席に陣取った。店内には、30代後半から40代前半とおぼしき美人女性と、眼鏡をかけたややふくよかなる感じのママの二人しかいなかったが、時間が遅くなるともう一人の女性がお店を手伝いに来るのだという。ママがお料理を作り若い女性が運び役をこなしていた。このウエイトレスさんには既にお子さんがいらっしゃるらしく、事情通は「多分Sちゃんかもしれないな」と言った。僕が生ビールを注文したらほどなくしてママさんが「チャーム」ですと言いながら、しただみとじゃがいもの煮つけを出してくれた。これがけっこういい味だった。更にウイスキーの水割りを追加でお願いし、烏賊の生姜焼きを注文した。佐渡で烏賊料理と言えば、刺身か一夜干しを焼いたもの、あるいはバター炒めくらいしか思い浮かばなかったので、烏賊の生姜焼きとは珍しいメニューだなと思った。このお料理、生姜醤油でさらっと炒めた感じでとても美味しかった。女性やママさんは座敷席の団体客の注文を捌くのにてんてこ舞で僕に話しかける暇などなかったようだ。お代は1550円、相川ではお勧めのスナック&居酒屋だな。



相川拘置所         投稿者:とある旅人

2009年12月19日 06時00分46秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

相川の京町通りを上っていくと右手に蔦がからまる頑丈なコンクリ-ト塀と鍵のかかった鉄格子で囲まれた建物が目に入ってくる。新五郎町の案内標識のすぐ近くにある。これが相川拘置所と思われる。堅牢な塀と鉄格子から想像するに、多分そうであろう。建物は平屋建てのコンクリート製でがっしりとしているように見えるが実は木造モルタル製だそうだ。戦後間もなく建てられたと言う。相川には、旧地方裁判所跡や旧相川税務署などの国の司法・検察・行政の出先機関の建物跡がいくつか残されている。相川は金山華やかなりし頃は、幕府直轄の天領であった。それゆえことのほか治安維持や財政の安定に神経を使った幕府が残した遺産とでも言うべき建物群がそれらなのかもしれない。税の徴収と捜査権は国家権力の最たるものだ。権力の中枢である江戸では吉原遊郭をそのまま引き継いだような大人の遊び場が発展し現在に至っている。しかし、同じ国家権力の真髄の名残とも言うべきものが相川には残存するものの、相川では水金遊郭がすたれた後は、ついぞそのような施設が日の目を見ることは無かったし、高校も佐渡全島から俊英達が集まる高校として発展することは無かった。金山の衰退と共に、相川はそのエネルギーの幾ばくかを失ってしまったのかもしれない。



大工町(佐渡相川)    投稿者:とある旅人

2009年12月18日 06時00分35秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

相川の京町通りでは、上るときよりも下るときの方が、いいカメラアングルを見つけることが多い。この通りを上り切ったあたりに大工町というのがある。大工とは金山の金穿り職人のことを意味し、家などを建てる大工(でいく)とは区別された。家を建てる大工は番匠と言われた。この大工町には奉行所直営の金山に勤める大工達が大勢住んでいたという。金山が繁栄していた頃は裕福な家が多かったらしく、関西風の通り庭を備えた家や入り口にかまどを備えた家などにその名残をとどめているそうだ。数軒の家がそれらしいと思われた。かように相川には金山時代の文化の隆盛を想像させるような建物がそこかしこに残っており大変興味深い。大工町にある「富田」さんというお家がそれっぽくってとても優雅な感じがした。 



水替え無宿人の墓     投稿者:若き血潮

2009年12月17日 06時15分54秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

無宿人とは、百姓や町人で、駆け落ちしたり勘当されたりなどの理由により、人別帳(戸籍)から名前をはずされた人のことを意味し、今でいう住所不定の者をさす。彼らは無断で江戸市中に入り込み、治安を乱す予備軍と見られたため、幕府の治安対策の一環としてそのうちの何人かが、何も罪は犯していなくとも、定期的に捕縛され、強制的に佐渡に送られ、佐渡金山の坑道内の水替え人足として働かされた。「佐渡の水替えこの世の地獄」と謳われ、隔日交代の一昼夜勤務という過酷な労働環境に加え、坑道の中の採石による粉塵と、闇の中を絶えず照らす魚油の煤煙で珪肺病になり、たいていの者は3~5年で死亡したと伝えられている。無宿人の佐渡金山への送り込みは、高貴なお方の配流、つまり「島流し」と区別して「島送り」と呼ばれた。

一般に誤解があるようだが、無宿人の名誉のために言っておく。無宿人とは、重大な罪を犯した極悪非道の犯罪人ではない!そのような凶悪犯は、打ち首獄門か二度と帰ってくることができないような無人島への島流しの刑に処せられたのである。考えてもみよ、凶悪犯をみせしめのためにとばかりに、金山の坑道内で懲役刑代わりに働かせたところで、狭くて充分な監視の行き届かない坑道内のことだ、彼らは容易に反乱を起こし、坑内秩序が乱れるだけで、金の採掘作業が遅滞するだけではないか。ネット上では、「犯罪人が金山へ送られた」などと平気で嘘を書いているサイトもあるので認識を新たにする必要があろう。

佐渡金山では初期の頃は、水上輪(長さ3m、直径30cm程の細長い桶の中に螺旋状の翼を取り付け、桶全体をハンドルで回転させ、水を汲み上げる物)を使用して湧水を排出させていたが、江戸中期になり、富鉱帯を求めて更に坑道の奥深くまで行くと水上輪の使用では追いつかなくなり、湧き水を手作業で汲み上げる人海戦術に頼らざるを得なくなってきた。それは深い坑道から滑車式の釣瓶で、24時間ぶっ通して上下でリレー式に湧き水を汲み上げる作業だ。江戸から多くの水替え人足が高賃金で集められたが,これでも足りないため、江戸、大阪、長崎などから無宿人が送り込まれた。しかし世に言われているほど多くの無宿人が労働力として送り込まれなかったのも史実だ。佐渡へ送られた無宿人の総数は1874名とされ、中には10年の水替を勤め上げて郷里に戻った者や、そのまま佐渡に定住し普通の生活に戻った者もいたという(以上は、ゴールデン佐渡のホ-ムページや様々な観光案内本に記載された記述を引用してまとめた)。

水替え無宿人の墓には火災などの坑内事故で亡くなった28名の無宿人の霊が眠っている。華やかな佐渡金山の裏側でその繁栄を支え、若いみそらで命を落とした彼らの墓碑には、名前、戒名、年齢、生国、などが刻まれている。この墓は、嘉永6年(1853年)に建立されたそうだ。



i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

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