佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

文殊院(佐渡市赤玉集落)   投稿者:佐渡の翼

2017年09月30日 06時00分34秒 | 佐渡の神社仏閣及び史跡

赤玉集落に入り、赤玉郵便局の手前で、県道に面する形でこのお寺を見つける事ができる。門前には赤玉の観光案内図があり、そこには、集落の家々の屋号一覧と共に、杉池園地周辺の観光名所が記載されていた。文殊院の境内の右手背後には、弘法大師を中心とした八十八か所石造本尊があり、背後の海岸線と見事なコントラストを描いていた。境内には、信者やお遍路さんの写経を納める「心経殿」があった。本堂内の欄間には、朱色の龍の彫刻が描かれ、大日如来が祀ってあった。

開基は永禄元年(1558年)で、当時は不動尊を祀る山伏の修行堂として、村の上手の「寺屋敷」もしくは「蔵置場」にあったが、15年後に現在地に下ったと言う。のどかな赤玉の海岸線に面した風流なお寺である。

観音像

八十八か所石造本尊

牡丹の花

http://www.digibook.net/d/cdc5ef9b811b2874f464a510f22b7648/?viewerMode=fullWindow


サグラダ・ファミリア教会への入場について     投稿者:佐渡の翼

2017年09月29日 06時00分30秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

バルセロナにある、世界遺産に認定されたガウディの建築物で、内部見学が可能なものは以下の4か所である。

1) サグラダ・ファミリア教会
2) グエル公園
3) カサ・バトリョ
4) カサ・ミラ

それぞれに入場チケットをウエブで事前に予約出来るので、夏秋などの観光シーズンにバルセロナ訪問を計画されている方々に対しては、日本で予約を済ませてから出かける事を強くお勧めしたい。さもなくば、チケット購入待ちだけで半日を費やする羽目になるかもしれないからだ。入場チケットの予約の仕方を分かり易く解説したサイトへのリンクを上記に張っておいたのでご利用頂ければと思う。

生誕のファサード前の

道路を渡ったところは

公園になっているが、そこから教会を写す人々を撮影した


サグラダ・ファミリア教会その3(生誕のファサード)    投稿者:佐渡の翼

2017年09月28日 06時00分21秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

生誕のファサードの正面像

東側からの撮影

北側からの撮影

横アングルで上半分を撮影。中央部の緑色の彫刻は「生命の木」。腐敗しないものの象徴である糸杉は永遠の命、ハトは神のもとに集まる信者と聖霊を表す。また木の下の白いペリカンは、原始キリスト教のシンボルで、聖体の秘跡を表している。

同下半分、左から「エジプトへの逃避」「嬰児虐待」「東方三博士の礼拝」「羊飼いの礼拝」

上が「受胎告知」で下が「天使の合唱隊」

「聖母マリアの戴冠」。左下の人物は、マリアの夫でイエスの養父である聖ヨセフ

最下段に「働くイエス」の彫刻がある

塔の上のカラフルな丸い飾りが可愛い

こちら側の装飾はシンプル


田中橋の地蔵(佐渡市両津)   投稿者:佐渡の翼

2017年09月26日 06時00分18秒 | 佐渡の神社仏閣及び史跡

佐渡では様々な所に地蔵様が祀られている。神社仏閣の境内、祠の中、海岸沿い、集落の中は勿論、名も無き地蔵が路傍に佇んでいるのを見かける事もある。地蔵信仰の根源は、現世での自身の苦難を取り除いてもらう救世信仰と、願掛けをし、その願いをかなえてもらう現世利益信仰の二つであろう。前者は身代わり地蔵であり、後者は結願地蔵である。地蔵の顔も様々で、大抵はお優しいお顔であるが、中にはいかめしい顔のものもあるし、時にひょうきんで可愛いらしい地蔵様もいる。

佐渡の東海岸を南下すると、河崎集落あたりで、下久知方面へと向かう道が右手に見えてくる。ここを右折し、しばらく進んで橋を越えたあたりで道が右手にカーブする所がある。有限会社「菊池粗除雪基地」の付近である。その橋(通称田中橋)のたもとあたりの左手に一体の印象的なお地蔵様に出会った。野ざらし地蔵だが、村の人々が交代で、着せ替え人形よろしく地蔵に衣服を着せたり、花を供えたりして守っているそうだ。この場所を車で通り過ぎた時にその地蔵が一瞬目に止まり鮮烈な印象を覚えた。風雪に晒されながらも、物言わぬ地蔵はじっと耐え、人々の身代わりとなり、そして発願から結願へと人々を導いていく。島に地蔵が多い理由は、島人の信仰心の厚さだけではなく、地蔵を作る石工達が多数島に住んでいたのもその一つだと言う。

地蔵様

位置関係は

こんな感じだ


サグラダ・ファミリア教会の撮影に興ずる人々その1     投稿者:佐渡の翼

2017年09月25日 06時00分02秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

教会の前でスマホ撮影に夢中の日本人おねーさん

生誕のファサード前の道路

るるぶを手に持つおばさんや

スマホで撮影するおねーさんなど

こちらはコリアンのグループ

遠方をよく見ると、ウエデイングドレスの端っこが見える

こちらは日本のおねーさん、カメラ目線でこちらを見つめています。

いくらツアーでも破れたジーパンはいかがなものかと思うが。。。


サグラダ・ファミリア教会その2(建設中の栄光のファサード)    投稿者:佐渡の翼

2017年09月24日 06時00分59秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015
生誕のファサードがあまりにも壮麗なため、サグラダファミリアを訪れる前の人々は、そちらが正面入口だとイメージしがちだが、聖堂で最も重要な正面入口は、更に壮大となるこの栄光のファサードである。ガウディは亡くなる10年前に、建設プロジェクトを引き継ぐ人々に資料を残すことを目的に、栄光のファサードやそこに配置する象徴表現について綿密な研究を行い、多くの模型を残した。しかし、1936年の内戦により、それらは破壊されてしまった。もはやガウディの構想を忠実に再現することは不可能だ、と言う意見から、建築を続けるべきか議論がなされたが、ガウディや協力者が撮った写真、彼が残したメモを手掛かりに建設が再開された。2000年にこのファサードの基礎工事が開始され、約3000個の模型の破片の修復作業は今も尚、並行して行われている。このファサードには7つもの扉が配されるが、2012年に最初の扉(中央扉)の設置が完了した。この扉には「主の祈り」の文句が世界50か国の言葉で刻まれているそうだ。

受難のファザードに向かって右側へ回り込んでみた

ご覧のような彫刻が並んでいた

建設途上なのでこんな感じである

1882は何を意味するのだろう?

受難のファザードを南東側から見るとこうなる

建設中のため厚いコンクリートの壁で覆われているが、完成すればここが栄光のファサードとなる

Eucaristiaとはギリシャ語で聖餐を意味する


サグラダ・ファミリア教会その1(受難のファサード)    投稿者:佐渡の翼

2017年09月23日 06時00分27秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

サグラダ・ファミリア教会は、日本語に訳すると聖家族贖罪教会という正式名称を持つ、スペインのバルセロナにあるカトリック教会のバシリカである。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。

サグラダ・ファミリアは、カタロニア・モダニズム建築の最も良く知られた作品例であり、カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品である。バルセロナ市のシンボルであるこの建物は、綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり、2008年には270万人を集めた。生前のガウディが実現できたのは地下聖堂と生誕のファサードなどであるが、これらは2005年にユネスコの世界遺産に登録された。 贖罪教会なので、作業の財政は喜捨に頼っている。そのために、別々の箇所を同時に建設することはできなかったのだが、1990年代以降は訪問者の流れと作品の世評の高まりが財政状況を好転させた。

2010年11月7日に教皇ベネディクト16世が訪れ、ミサを執り行い、聖堂に聖水を注いで聖別。サグラダ・ファミリアはバシリカとなった。ミサには司教達を含む6500人が参列し、800人の聖歌隊が参加した。

9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表している。

以上はウイキペデイアから改変引用した。トップ画像は受難のファサード(教会の南西方向に当る)を真正面から撮影したものです。受難のファサードを太陽が沈む西側に設置したのは、キリストの死がテーマだからである。装飾を排除し、冷たい石の肌を露わにする事で、ガウデイは受難の苦しみを表現しようとした。

西側からの撮影

南側からの撮影

有名な彫刻群。最下段の彫刻は向かって左から「最後の晩餐」「ユダの接吻」「ペテロの否定」「イエスの裁判」である。

正面には張り付けの刑に処せられたキリストの像がある

三人のマリアとキレネの人シモン。倒れているキリストの傍らで泣いているのは、聖母マリア、クレオファス、マグダラのマリア。シモンは十字架を担ぎ上げようとしている。

十字架に架けられたキリストの脇腹を槍で突いたとされる兵士「ロンギヌス」。彼は後にキリスト教に改宗した。

ForcaとPoderと書いてある


カサ・ミラからサグラダファミリア教会まで     投稿者:佐渡の翼

2017年09月22日 06時00分13秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

サグラダファミリア教会の南西部分(受難のサファード)

プルペンサ通りで見つけた可愛いとんがり屋根のお家

プルペンサ通りを東(正確には北東方向)に向かって進む

時刻は午前8時20分頃

通りには人はまだ少ない

この地点が、プルペンサ通りとデイアゴナル通りが交差する部分

ここをやや斜め左上方向に向けて、ジロナ通り経由で横切る

すると右手前方にサグラダファミリア教会が見えてくる

教会前の公園


カサ・ミラ       投稿者:佐渡の翼

2017年09月21日 06時00分59秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

カサ・ミラは、バルセロナのグラシア通り (Passeig de Gràcia) に面している。ガウディが54歳の時に設計し、1906年から1910年にかけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設され、1984年にユネスコの世界遺産に登録された。

カサ・ミラは直線部分をまったくもたない建造物になっていて、壮麗で非常に印象的な建物である。あたかも砂丘か溶岩の波のような雰囲気をもっており、一般的な現代建築の様式とは、隔絶した建築となっている。外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られた。一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という素材を使いながら、まるで波に漂う海藻のような、柔らかな造形を生み出している。内側は天井も壁もどこもかしこも波打ち、まるで海底にいるような奥深さに包まれる。屋上には、独特の加工をされた煙突や階段室が立ち並び、月面か夢の中の風景にもたとえられる。

この建築物は通常の建築物というよりむしろ彫刻であると見做すことができる。実用性に欠けるという批判もあるが、圧倒的な芸術性を持つことは否定できない。皮肉にも建設当時のバルセロナ市民はカサ・ミラを醜悪な建物と考え、「石切場(ラ・ペドレラ)」というニックネームをつけたが、今日ではバルセロナを代表する歴史的建造物となっている。

現在内部はガウディ建築に関する博物館になっており、9.5ユーロを支払うことで内部の住居部分や屋上も見学することができる。

家賃は建設当時1500ペセタと、一般職人の月給の約10倍であったためと見た目の評判の悪さから、なかなか借り手が見つからなかった。そのため、「3世代に渡って値上げなし」という契約条件があるため、ほとんど値上げされていないため、現在でも家賃は約15万円である。広さは約300㎡で全8室あり、現在でも4世帯が居住している。

以上はウイキペデイアから引用改変した。

カサ・ミラの入り口

入り口の拡大写真

二階は、「カフェ・ドラ・ペドレラ」と言うカフェレストランになっている

交差点から撮影したカサ・ミラ

その横アングル写真

右手の水色部分がチケット販売所

ご覧のように、。バルコニーの形は一部屋毎に異なっているし、外観はまるで海藻のようである

プルペンサ通り

まるで地中海の波のようだ


熱串彦神社(佐渡市両津)   投稿者:佐渡の翼

2017年09月19日 06時00分54秒 | 佐渡の神社仏閣及び史跡

熱串彦神社は恐ろしく分かりにくい場所にある神社だ。両津に秋津という地区がある。両津から国道を金井方面に向かうと、この近辺の右手にこんもりとした林が田園の中にポツントあるのに気づく。この林の中にくだんの神社がある。つまり国道沿いからは全く見えない位置に神社はひっそりと隠れるように建っている。両津冷機工業所と書かれた会社の駐車場に車を停め、そこから徒歩であぜ道を林の方へ向けて歩いて行くと、表門の鳥居と二匹の狛犬の石像が見える。

社殿のように見える能舞台があり、本殿も瓦葺である。表門の鳥居に吊り下げられた注連縄が実に印象的な神社だった。作家の司馬遼太郎が、その昔佐渡空港に降り立ってから最初に訪れた神社がこの熱串彦神社なのだそうだ。この神社の開基や歴史については、地理や歴史を題材とした社会派硬派ないくつかの島内ブログを見れば詳しく書かれているので、ここでは割愛したい。

鳥居

拝殿

能舞台

の屋根は茅葺だ

http://www.digibook.net/d/db05ab13a0df227d70c02714be22f75a/?viewerMode=fullWindow


朝食後ホテルの外に出てみた      投稿者:佐渡の翼

2017年09月18日 06時00分56秒 | ロンドン・バルセロナ・パリ豪華旅行2015

621号室

部屋を出たらまず左折する

突き当りを右折し

次の突き当りを左折する

するとソファーが置かれた場所があり、そこを更に右折する

すると階段があるのでここを上る

真っすぐ進むと

右手にエレベーター乗り場がある

ここが1階部分

ようやくロビーに出た


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

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