激戦だった沖縄戦の跡を示す、艦砲穴。「鉄の暴風」とも形容されるほど激しいものだった。艦砲穴は沖縄本島の至る所にあったが、大半は埋め立てられたため、戦跡として保存されている。
艦砲穴の案内看板
斎場御嶽を見学する修学旅行生
寄満(ユインチ)とは、王府用語で「台所」を意味するが、ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されている
天井から突き出た岩が特徴
ユインチの説明看板
激戦だった沖縄戦の跡を示す、艦砲穴。「鉄の暴風」とも形容されるほど激しいものだった。艦砲穴は沖縄本島の至る所にあったが、大半は埋め立てられたため、戦跡として保存されている。
艦砲穴の案内看板
斎場御嶽を見学する修学旅行生
寄満(ユインチ)とは、王府用語で「台所」を意味するが、ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されている
天井から突き出た岩が特徴
ユインチの説明看板
2016年4月に、新宿南口に開業した高速バスターミナル「バスタ新宿」に、「おしゃれ過ぎるという落とし穴」があった。高速バスの利用者は庶民派であり、新幹線代を節約するためにバスを利用している人が多い。だから「新宿バスタならおにぎりとか売っているだろうと思いきや、まさかのDEAN&DELUCA、トラヤカフェ、ピエールマルコリーニなどしかない!サンドイッチ一つが650円何て高すぎる。高速バスを使う客層を考えて欲しい」という不満が爆発。どうやら、バスタ新宿に入っている店舗が「おしゃれ過ぎ」で、庶民的な店がまったくないのが問題らしい。バスタ新宿内にあるのは、ちょっとお高めなレストランや、おしゃれスイーツ店、おしゃれカフェなどばかりで、立ち食いそばのような庶民派の店がないのはもちろん、コンビニすらない。ここでお金をぜいたくに使ってしまっては、高速バスを利用して節約をした意味がなくなる。おにぎりや弁当が欲しければ、新宿高島屋の地下惣菜コーナーへ行けばいいのだが、こちらも少々お高め。そこで広島発のコンビニチェーン「ポプラ」がバスタ内への進出公募に応募し落札したが、店舗外の清掃作業の義務化などを受け入れられないとして、出店を辞退してしまった。その後、ファミマが入居したためコンビニ問題は解消している。佐渡島内の人々の中にも、上京の際は、行きは新幹線利用でも帰りはバスタから高速バスに乗り、新潟駅経由で佐渡汽船ターミナルまで行く方は多かろう。バスタ内のお洒落なお店に立ち寄るのは、高速バス利用者ではなく、新宿への買い物客か、新幹線や飛行機利用の地方からの、経済的にゆとりのある上京組がほとんどなのだろう。筆者には無縁な「バスタ新宿」だが、「やっぱりな」の感は拭えなかった。
さて、2016年9月11日は、秋雨前線停滞の影響で、午後から雨になるとの予報だった。午前中も未明から雨が降り続いていたが、午前8時30分頃には止んだので、その合間を縫って、i8で新宿高島屋へ向かった。そして、ドトールコーヒーでしばしの休憩の後に、高島屋タイムズスクエア14階のレストラン街へ向かった。
筆者は、中華料理のお店「隨園別館」の前で開店を待ち、午前11時丁度に入店した。インド人風の店員さんから「お好きな席にお座り下さい」と言われたので、窓際の4人掛け席に座った。筆者が普段口にしない三大料理は「餃子、ラーメン、炒飯」だが、筆者は珍しくこの日は、このお店の一押しメニューである、「隨園風スープ炒飯セット(1944円)」を注文した。注文後5分でこのセットが運ばれて来た。炒飯は、海老、帆立、烏賊をトッピングした、卵と葱だけからなるシンプルな物で、軽い塩味だった。「お好みで、白湯スープをかけて、ひつまぶしのように食べてもいいし、そのままでも美味しいですよ」と店員は言った。確かにべとつきのない、サラリとした炒飯なのでしつこさがない。試しに、少量を別の椀に取り、スープをかけ茶漬け風にして食べてみたら美味しかった。瞬く間に炒飯を平らげると、水餃子2個と杏仁豆腐が運ばれて来た。お腹いっぱいだったので水餃子はそのまま残し、杏仁豆腐だけを食べて終了とした。新宿通り沿いにある隨園別館は、大衆的なお店で、安くて美味いが、高島屋内のこのお店も美味しかった。
お店の入り口
これを注文した
店内の様子
箸袋
窓外の景色
お席
餃子のタレ
入口方向
スープ炒飯セット
炒飯
白湯スープ
ザーサイ
スープ炒飯にして食べてみた
杏仁豆腐と水餃子
水餃子はパスした
杏仁豆腐
御門口(ウジョウグチ)。斎場御嶽内へ入る参道の入り口。右側には六つの香炉が置かれているが、これは斎場御嶽内にある拝所の分身とされている
大庫理(ウフグーイ)。最初の拝所で、大広間や一番座という意味。前面には、石畳が敷かれた祈りの場(ウナー)がある。
ウフグーイの拝所の上にある石
ウフグーイを過ぎると、道が二手に分かれており、左手にある寄満(ユインチ)から参拝する。
2000年12月にオーストラリアのケアンズで開催された第24回世界遺産委員会において日本政府から推薦されていた、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録された。
日本国内では11番目の世界遺産となるこれらの遺産群は、琉球が統一国家へ向けて動き始めた14世紀後半から王国が確立した後の18世紀末にかけて生み出されたもので、国の重要文化財(建造物)、史跡又は特別名勝に指定されている今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、首里城跡(しゅりじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、識名園(しきなえん)、園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、斎場御嶽(せいふぁうたき)の9カ所からなる。
御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地。御嶽の中には、六つのイビ(神域)があるが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっている。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものである。はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめた。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」であった。斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されている。
以上は、斎場御嶽のある南城市の公式HPを引用改変したものである。筆者は、識名園の見物を終えた後タクシーに乗り込み、6分後に斎場御嶽の入場チケット売り場がある土産物屋の前に到着した。チケット購入後は、ここから徒歩で入り口まで行かねばならぬが、久銘次さんは、「斎場御嶽の入り口近くまで行ける裏道を知っているので、そこを通って行きますよ」と言いながら、タクシーを走らせようとした。すると、目立つ格好の筆者がタクシーに乗り込む姿を目撃したチケット売り場の女性係員が飛んで来て、「お客様、斎場御嶽へはタクシーでは行けません、徒歩でしか行けませんので」と言った。久銘次さんは「あの女性、タクシー裏道の存在を知っていたのか?」と怪訝そうな表情をしたが、女性には構わずに車を走らせた。タクシーは地元の人しか通らないような狭い道を海岸の方へと降りて行った。そして、発券所から斎場御嶽への入り口にあたる緑の館へと通じる道路との交差部に到着した。久銘次さんは、「ここでタクシーを降りて左手へ行けばそこが入口です。私は発券所の駐車場の所で待っています」と筆者に告げた。何もタクシーで斎場御嶽の近くまで乗り付けなくとも、筆者の脚力を持ってすれば徒歩でも充分到達可能な距離だったが、その日の午後は時折雨との予報に配慮し、久銘次さんは入口近くまで運んでくれた。
入場券売り場
有料ガイドの案内
斎場御嶽の入り口
場内案内図
右手は「ウローカー」と言い、琉球王朝時代、斎場御嶽に入る前にここで禊をした
参道案内図
ウローカー部分
久高島に向かって祈る人
手前が「クマカ島」で、久高島はその向こうにある
2016年12月30日、この日から筆者の職場は年末年始のお休みに入った。昨日は山のように溜まった仕事をてきぱきと手際よく片付けた後に家路に就いた。本日は最高気温10度と冷え込んだものの、大晦日は12度まで上がり幾分寒さは和らぐようで、この暖かさはお正月三が日まで続くとの予報であった。明日から筆者は沖縄の石垣島へ飛び、ANAインターコンチネンタルホテル石垣リゾートの一泊20万5000円のオーシャンビューのスイートルームに宿泊し、年末年始を過ごす予定である。
この日は、売却した白のi8での最後の新宿訪問となった。伊勢丹駐車場に愛車を停めた後、7階のレストラン街へ向かい、午前11時の開店と同時に中国料理のお店「ベジチャイナ南国酒家」にお邪魔した。筆者は1730円也のレタスとタラバ蟹入り炒飯を注文した。あっさりとした塩味で。お米のパラパラ感も絶妙で、大変美味しい炒飯だった。これにザーサイとスープまで付いているのだからかなりコスパは高いと思う。
食事後は、今晩の夕食用の惣菜を買いに地下へと向かった。するとお正月用のおせち惣菜売り場には行列ができており、高くても品質の良い食材を買い求める客達でごった返していた。
お店の入り口
これを注文した
南国酒家のロゴ入り箸袋
店内の様子
炒飯
スープ
ザーサイ