佐渡の翼

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水替え無宿人の墓     投稿者:若き血潮

2009年12月17日 06時15分54秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

無宿人とは、百姓や町人で、駆け落ちしたり勘当されたりなどの理由により、人別帳(戸籍)から名前をはずされた人のことを意味し、今でいう住所不定の者をさす。彼らは無断で江戸市中に入り込み、治安を乱す予備軍と見られたため、幕府の治安対策の一環としてそのうちの何人かが、何も罪は犯していなくとも、定期的に捕縛され、強制的に佐渡に送られ、佐渡金山の坑道内の水替え人足として働かされた。「佐渡の水替えこの世の地獄」と謳われ、隔日交代の一昼夜勤務という過酷な労働環境に加え、坑道の中の採石による粉塵と、闇の中を絶えず照らす魚油の煤煙で珪肺病になり、たいていの者は3~5年で死亡したと伝えられている。無宿人の佐渡金山への送り込みは、高貴なお方の配流、つまり「島流し」と区別して「島送り」と呼ばれた。

一般に誤解があるようだが、無宿人の名誉のために言っておく。無宿人とは、重大な罪を犯した極悪非道の犯罪人ではない!そのような凶悪犯は、打ち首獄門か二度と帰ってくることができないような無人島への島流しの刑に処せられたのである。考えてもみよ、凶悪犯をみせしめのためにとばかりに、金山の坑道内で懲役刑代わりに働かせたところで、狭くて充分な監視の行き届かない坑道内のことだ、彼らは容易に反乱を起こし、坑内秩序が乱れるだけで、金の採掘作業が遅滞するだけではないか。ネット上では、「犯罪人が金山へ送られた」などと平気で嘘を書いているサイトもあるので認識を新たにする必要があろう。

佐渡金山では初期の頃は、水上輪(長さ3m、直径30cm程の細長い桶の中に螺旋状の翼を取り付け、桶全体をハンドルで回転させ、水を汲み上げる物)を使用して湧水を排出させていたが、江戸中期になり、富鉱帯を求めて更に坑道の奥深くまで行くと水上輪の使用では追いつかなくなり、湧き水を手作業で汲み上げる人海戦術に頼らざるを得なくなってきた。それは深い坑道から滑車式の釣瓶で、24時間ぶっ通して上下でリレー式に湧き水を汲み上げる作業だ。江戸から多くの水替え人足が高賃金で集められたが,これでも足りないため、江戸、大阪、長崎などから無宿人が送り込まれた。しかし世に言われているほど多くの無宿人が労働力として送り込まれなかったのも史実だ。佐渡へ送られた無宿人の総数は1874名とされ、中には10年の水替を勤め上げて郷里に戻った者や、そのまま佐渡に定住し普通の生活に戻った者もいたという(以上は、ゴールデン佐渡のホ-ムページや様々な観光案内本に記載された記述を引用してまとめた)。

水替え無宿人の墓には火災などの坑内事故で亡くなった28名の無宿人の霊が眠っている。華やかな佐渡金山の裏側でその繁栄を支え、若いみそらで命を落とした彼らの墓碑には、名前、戒名、年齢、生国、などが刻まれている。この墓は、嘉永6年(1853年)に建立されたそうだ。




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