佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブックでも紹介されました。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月1日にメーカーを出庫し、9月13日にディーラーに到着予定で、9月23日に納車予定となっております。 2018年9月19日現在

アマゾン・アソシエイト・アフイリエイト投稿開始のお知らせ

本日より、アマゾン・アソシエイト・アフイリエイト投稿を開始いたします。「グルメ、旅行、飛行機、自動車、ファッション」に関するアイテムを選択し、アマゾンへのリンクを貼ります。買い物がより便利になるでしょう。猶、審査には一発で、しかもたった一日の審査期間で合格しました。2018年8月24日

長崎グラバー園その6(グラバー邸)       投稿者:佐渡の翼

2014年09月29日 05時14分24秒 | 国内旅行記

ガーデンカフェから階段を下りると右手にグラバー邸が見えてくる。真向かいには海を挟んで稲佐山の展望台、長崎造船所、松が枝国際観光船埠頭などが見える。稲佐山の展望台は長崎駅から車で7分ほどの所にあり、至近距離の所にある感じだ。教会、船、洋館、海、そして山肌にへばりつく様に建つホテルや家々、すり鉢の底に長崎港があり、その周囲を建物や橋が取り囲む構図だから、夜景は100万ドルを超えて1000万ドルの価値がある。画像でお分かりのように昼間でも絶景であるから夜はほんと凄い!夜昼共にピントバッチリのEOS-1DXでなければこの凄さは伝えられないと思う。

1859年(安政6年)、長い鎖国が終わりを告げ長崎・横浜・函館の3港は世界に門戸を開いた。同時に諸外国の商人たちは大浦居留地の周辺に住居を構え貿易を営み始める。これら貿易商人の一人、英国スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーの住居は、数多い洋風建築の中でも独特のバンガロー風様式を持つ、現存する日本最古の木造洋風建築で、国の重要文化財に指定されている。開国直後、グラバーは弱冠21歳で上海を経由して来日、ベテランの外国人商人たちの中にあって茶やその他の産物、武器船舶などを取り扱う商人として仲間入りを果たし、やがて日本の再建に、外国人商人としての立場を超越した活躍を見せ始める。彼は日本の若い志士たちに国際的な目を開かせることが先決だとして伊藤博文をはじめ数多くの若者の海外留学の旅を斡旋した。こうして維新動乱前後に多くの新時代の日本の指導者が続出したのは彼の努力に負う所が大きい。次にグラバーは、産業立国の大方針を以て当局に協力し、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓した。1865年わが国の鉄道開通の7年も前に大浦海岸に蒸気機関車を試走させ、1868年に高島炭鉱を開発し、また同年には小菅に近代式修船場を設けたりと日本の新世紀にエネルギー溢れる協力をした。その後、トーマス・グラバーの息子、倉場富三郎とその妻ワカは、1939年(昭和14年)に三菱重工業株式会社長崎造船所(当時)に売却されるまでの間この家を自宅として利用していた。

要するに、グラバーは、武器商人として、薩長の志士達に武器を供与したり、彼らの海外留学を手助けするなどして、倒幕派に肩入れをし、開国するや否や、鉄、船舶、炭鉱の三つの基幹産業を抑え、ビール会社まで設立するやり手商人だったのである。そして時の政府の方針通りに動いて利益を得る政商でもあった。その先見性で上手く商売を軌道に乗せ、従業員を大切にしたし、日本人妻「ツル」との間に子を成し、暖かい家庭も築いた。グラバーさんのお蔭で海外居留地が発展し、長崎は国際都市として発展し続け、被爆後も見事に復興を成し遂げた。長崎県民の底力のルーツはグラバーさんなのかもしれない。

いよいよグラバー邸である

対岸に稲佐山が見える

写真を撮る女の子

玄関ポーチ部分

夜が綺麗なんだよ

客用寝室

帽子

使用していた当時の家具が

そのまま残されている

有名な隠し部屋

グラバー美人「ツル」


長崎グラバー園その5(日本発祥の地の記念碑)       投稿者:佐渡の翼

2014年09月27日 03時57分36秒 | 国内旅行記

鎖国時代長崎には出島が設けられ、ここではオランダとの貿易が許されていたが、オランダ人は出島から出て日本国内に入る事は許されなかった。出島ではオランダ人が持ち込んだ西洋の様々な品物、習慣、料理などが幕府の役人の目に触れた。それらが長崎市内に入り、開国と同時に全国へと波及して行った。だから、長崎には「それらの日本発祥の地」とされる記念碑が市内のあちこちにある。グラバー園には、西洋料理、アスファルト道路、テニスコートの発祥記念碑がある。西洋料理発祥記念碑の隣には自由亭と言う喫茶店があるが、ここでは飲み物とケーキ類が提供されるだけで、サンドイッチなどの軽食はなかった。アスファルト道路とテニスコートの発祥記念碑は、ガーデンカフェ入り口部分にあり、ガーデンカフェを抜けると右手に、東京出身のオペラ歌手で長く長崎に住み、歌劇「蝶々婦人」がはまり役だった三浦環(みうら たまき)の銅像と、「蝶々婦人」の作者であるプッチーニの白い像がある。そしてこの像の前には花車が置かれてあり、まるでヨーローッパのどこかのような佇まいである。

筆者の調べ得た限りでは長崎には10近い発祥の碑がある。1)西洋料理発祥の碑:仏教の普及で殺生が禁じられ、穀物中心の食生活を送っていた日本人には、肉食の習慣は無かった。戦国時代末期や江戸時代にポルトガル料理やオランダ料理を一部の日本人が口にすることはあったものの、民間の西洋料理店が開店したのは江戸末期の1863年であり、草野丈吉が始めた「自由亭」が日本初の西洋料理店である。彼は出島のオランダ屋敷でボーイとして働いていたが、後にオランダ軍艦でコックの修業をし、西洋料理店「良林亭」を市内の伊良林(いらばやし)にオープンした。伊良林とは、亀山社中がある風頭山の麓の地名である。2)バトミントンの碑:出島のオランダ屋敷で外国人がプレイするバトミントンを初めて見た日本人が、「紅毛羽子板なるゲーム」として紹介したのが始まりで出島の庭園内に発祥の記念碑が建っている。3)軽気球の碑:1805年、ロシア人が和紙で作った熱気球を長崎の空に舞い上げた。梅香崎町に「気球飛場の地」の石碑が建っている。4)活版印刷の碑:近代印刷の祖といわれるのは、江戸幕府でオランダ通訳を務めていた本木昌蔵。彼は通訳としてオランダ屋敷に出入りし、洋書を見て印刷技術に興味を持った。幕末の長崎で、組替え自由な金属活字と油性インクを使って刷る活版の研究を始め、苦労の末に明治3年に「新町活版所」を設立し、日本語の活版印刷に成功した。彼が創案した「流し込み活字」は諏訪神社に保存されていて、境内には記念像が建っている。5)鉄道の碑:日本で初めて鉄道が開通・営業したのは明治5年の東京~横浜間であるが、それより7年も早い1865年(慶応元年)に、グラバーは長崎に600mの鉄道を敷き、イギリスから取り寄せた蒸気機関車に客車を引かせお客を乗せて走らせた。長崎市民病院前の大浦海岸通りに「鉄道発祥の地」の石碑がある。更には、国際電信の碑、ボウリングの碑、缶詰製造の碑、ビールの碑などもあり、国際都市長崎はまさに、日本の西洋化の原点であった。

アスファルト発祥の地

ガーデンカフェ

三浦環の銅像の前で記念撮影をする親子

三浦環像

と、プッチーニの像

何となくパリっぽい

ベンチ脇の花

プッチーニと花車

プッチーニの像の拡大写真

夜のプッチーニ像

夜の花車

西洋料理発祥の碑と自由亭

日本初の西洋料理レストラン

ここはパリではありません


北田ノ浦のお花畑(佐渡市相川北田ノ浦)    投稿者:佐渡の翼

2014年09月26日 04時35分04秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

とある夏の日に外海府海岸道路を岩谷口から相川方面に向けて走行していたら、左手に花壇が見えた。とても綺麗な花が咲き誇り、かつ咲き乱れているように感じたので思わず車を停めてしまった。ここはどのあたりであろうか?そう思いながら近くにいたおばあさんに問うと、「ここは北田ノ浦集落です」と答えた。外海府には多くの集落があり、そこに住む子供達は統廃合で数が少なくなったものの、何とか地元の小中学校へ通っているが、高校生になると遠距離にある相川高校まで通学せねばならない。だが、その相川高校も、今年の4月からは全日制普通科の学生募集を停止し、佐渡高校に統合された。旧相川高校は、定時制の佐渡高校相川分校として存続している。そして相川高校の電気科を統合した佐渡総合高校には一学級が増設された模様だ。北田ノ浦から佐和田までのバス通学はさぞかし大変であろう。これで、佐渡島に存続する高校は、両津高校、佐渡高校、佐渡総合高校(畑野)、羽茂高校の4校だけになった。だが、高校だけではなく、市立の博物館の統廃合も進んでいる。既に両津郷土博物館と新穂の民族資料館の閉館が決まっており、それらは佐渡市が運営する資料館に衣替えする(資料館とは常設展示はなく、要望があれば随時開館し見学を可能とする施設を意味する)。八幡にある佐度博物館は新潟交通の所有であったが、一時閉館後佐渡市立に衣替えする予定になっている。筆者はかつて、「新穂の民族資料博物館は必要であろうか?」とブログで疑問を呈した事があったが、無駄な箱物はどんどん潰してスリム化するのが筋であり、そうした行政路線を取る佐渡市は全く正しいと思う。赤泊の郷土資料館も、ほとんどが丹下左膳の作者「林不亡」の記念館のような様相を呈しており、ここも閉館して収蔵庫へと変貌するのは時間の問題かもしれない。

花の話が随分と横道に逸れたが、佐渡にはこの画像のような家庭花壇がそこかしこにあり、4月以後の草木が芽吹く頃には地元民はもとより、観光客の目を楽しませてくれる。

9月26日の日記:カメラやパソコンや自動車などの耐久消費商品を購入すると、1年間のメーカー保証が付く。これは、「正しい使用方法にも関わらず商品が故障した場合、メーカーが保証規定内で無償修理を行う」と言う修理保険のような制度である。だが、購入から一年を過ぎて故障した場合は有償修理となる。ところが各家電量販店では、メーカーの保証期間を過ぎて故障した場合でも「メーカー保証に準じた修理を、購入から5年間何回でも行える」長期保証制度を有償で提供している。この制度に加入すると、自己の過失に寄って商品を傷つけたり、全てを消失した場合でも、購入から1年以内に限り、新品と交換して貰える全損保証特典が付く。筆者は、ソニーα99とツアイスレンズ並びにキャノンEOS-1DXと標準・望遠レンズを購入した際は、この長期保証制度を付けてもらった。こんな高級カメラを落としたり紛失したりする可能性はほとんどゼロに近いが、正しく使用しても故障する確率は購入後から5年以内にゼロには出来ないので、筆者は安心料として、毎回5000円程度の長期保証料を支払っている。

島内写真ブロガー達の中には、中古のカメラレンズを購入している人々がいるが、もし修理が必要になった場合は、新品購入の場合よりも高くなるリスクが伴う。彼らは、それを承知で購入しているのであろうが、筆者は、カメラにせよ自動車にせよ、中古品は絶対に購入しない主義である。何故なら買う時は女同様新品に優るものはないからだ。

道路から写した花壇

花壇の右手

花壇の左手

枕崎沖の鰹のカルパッチョ


湖南料理「華湘」(東武百貨店内スパイス)   投稿者:佐渡の翼

2014年09月25日 04時05分54秒 | 国内高級ホテルレストラン・料亭食べ歩記

8月3日は最高気温が35度を超える猛暑日となった。さすがにこれだけ暑いと電車での移動でもかなり体力を消耗するし、暑いホームと冷房の効いた車内との往復を繰り返すと、その温度差で体調を崩しかねない。従って、夏は極力新宿近辺でランチを食べるようにしているが、この日は久しぶりに池袋へ行ってみた。池袋は、同じ繁華街でも新宿や渋谷と比べどこか垢抜けなくて田舎っぽい。洒落たお店も少ないし、食べ物屋もチェーン店ばかりで面白みに欠ける上、西口にはいかがわしい店なども多い。だが、東武百貨店と西武百貨店には時々可愛い靴下を置いてある事があり、筆者は数か月に一度は両百貨店をチェックするようにしている。この日も靴下チェックが目的で二つの百貨店を訪ねてみたが、ニッパチのデパートには欲しいアイテムなどは皆無で、またぞろお金を使う機会を逃し、昼飯時を迎えてしまった。どこへ行こうかと散々悩んだが、ホテルメトロポリタンは遠いし暑いしで、結局東武百貨店のレストラン街「スパイス」へ行く事にした。最上階の15階には、フレンチの「パリの朝市」や京料理の美濃吉などがあり、比較的高級そうな店が軒を連ねている。この階に、確か海鮮中華のお店があったはずだと思い出し、湖南料理の「華湘(かしょう)」を訪ねてみた。午前11時半丁度にお店にお邪魔したら、待っている客などは皆無で、会計担当のスタッフもいない。店内からのさんざめきも聞こえて来ないし、何だか嫌な予感がした。得てして嫌な予感ほどよく当たるもので、この日は大当たりだった。ほどなくしておばさんスタッフが現れたので一人客である旨を告げると、入口にほど近い二人掛け席をあてがわれた。二人掛け席は7席ほどあったが、既に先客で埋まっており、全員が女性客だった。何しろ店内が暗く、客の会話もぼそぼそと言う感じで、高級ホテルのような華やかさが一切ない!スタッフは「ありがたざいました」などと中国訛りの日本語でしゃべるので、中国人が経営するお店かもしれない。

筆者は、豪華海鮮焼きそば(1728円)を単品で注文した。隣の母娘は、これと点心、杏仁豆腐がセットになったものを注文していたが、見た目は美味そうだった。ジャスミン茶のセットをバスケット籠に収納すると言う仰々しさだが、テーブルクロスはビニール製の安物である。7分ほどで焼きそばが出来上がった。硬めの焼きそばを汁で少し馴染ませてから、その上に海鮮の具を醤油味で煮込んだ物を乗せていた。具は、海老、たらば蟹(中身はスカスカ)、帆立、干し鮑、ブロッコリー、白菜、きくらげなどだが、普通の醤油味だ。不味くはないが美味いと言うほどでもない。30分ほどで食べ終え会計へと向かったら、店の前には予約客らが列を成していた。この程度のお料理に予約するほどの手間など不要だろうに、そう思いつつ、はずれだったこの中華料理屋を後にした。

お店の入口にあるdisplay

その中で真ん中の段にある海鮮焼きそばを注文した。見た目は美味そうである。

入り口の扉

スタッフの姿は見えない

一応、蓮華と箸が置いてあった

ジャスミン茶のセット

暗い店内

こちらは明るい席

卵と野菜のスープ付き

この靴下を見た女性の5人中5人は「それって西瓜柄ですか?」と問うが、「牛さん柄」なのだそうだ。ま、夏っぽい靴下ではある。


パリを離れフランクフルト経由で羽田へ:9月22日(月)

2014年09月23日 15時35分48秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

9月22日はゆっくりと目覚めた後に50ユーロ也の優雅な朝食を食べる。そして午前10時にチェックアウトし、タクシーでシャルルドゴール国際空港に向かう。空港には午前10時半に到着するため、フランクフルト行のLH1037便(席は2A)の出発時刻である15:30分まで5時間近くもあるが、これくらいの余裕を持って空港に到着していた方が安全である。搭乗予定のフライトが何かの都合で欠航になり他社便へ振り替えなどと言う事態が発生しても充分対処出来るからだ。久しぶりのシャルルドゴールだが、空港内を歩き回り、Priority loungeなどで過ごしていたら5時間何てあっと言う間だろう。LH1037便は、16:45分にフランクフルト空港に到着予定だ。羽田へ向かうLH716便の出発時刻は18:20分なので1時間35分の待ち時間がある。パリからフランクフルトへの便は国内線扱いのため、出国審査はフランクフルトで行われる。ユーロ圏内の主要国では日本の消費税に当たる付加価値税を導入しており、ユーロ圏以外に住む外国人がそれらの国で175ユーロ以上の買い物をし、現地で税を支払った場合、その還付を受けられる。買い物をしたお店のTax refundカウンターへ行き必要書類を貰い必要事項を記入した上で、ユーロ圏の最終出国地の空港の税関で、購入した品物を提示した上で書類にスタンプを押してもらい、それを封筒に入れて投函すれば手続きは完了する。あるいはTax refund checkの発行を受けていれば、空港で直接現金での還付を受けられる。筆者の場合は、フランクフルト空港でその手続きをする事になるが、土産物は買わないし、高額な買い物の予定もないので、Detax作業は不要な予定だ。従って、フランクフルト空港では出国審査を受けた後はルフトハンザのビジネスラウンジへ直行し、パソコン作業に勤しむ事になる。午後5時20分になったら搭乗ゲートに向かう。LH716便はボーイング747-400の機材を使用している。そのため通常ならファーストクラス用の機首部分もビジネスクラスになっており、座席は3Aを指定してある。この機材はジャンボ機なのでファーストクラスはアッパーデッキに設置されている。この便のビジネスクラスは旧型のため、フルフラットのリクライニングではなさそうで、JAL並みのビジネスクラスのようである。翌日の午後12:15分に羽田に到着するが、飛行時間は約11時間であり、一眠りすれば目覚める頃にはロシアの東端ウラジオストック付近に到達しているだろう。

以上で、今回の欧州三都市周遊の旅のシミュレーションは終了するが、これはあくまでも予定であり、予定以上の場所を訪ねる余裕が出来るかもしれないし、あるいはその逆に、雨などにたたられ、予定の半分も消化できない旅になるかもしれない。何が起こるか分からないのが旅であり、それは筆者の日常と全く同じである。正に、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」である。ちなみに、世界の月間天気予報に寄れば、9月19日の午後のパリが「おそらくにわか雨」の予報である以外は、曇りか晴れあるいは「所に寄り晴れ」の予報で、旅行予定の期間中は雨マークは無い。欧米の大陸の天気予報は、前線の流れが規則的で安定しているため、予報は極めて正確である。筆者はこの事実を米国留学時に学んでいたので、どうやら旅行中はお天気に恵まれそうである。

筆者は、一日あたりの交通費と昼食代と食事時のチップ代として3万円を見積もったので、27万円をユーロに両替したが、多分羽田到着時には使いきれずに相当余っていると思う。旅行案内本には、「宿泊費、昼と夕の食事代、交通費、入場料などを含め、一日15,000円を目安にしろ」と書かれているので、いくらタクシーを多用するとは言え、宿泊費抜きでの1日3万の出費見積もりは多過ぎると思われるかもしれない。だが、どこでどんな出費があるか分からないのでけちけちしてはいけない。余れば、来年も欧州旅行に出かける予定なのでその際に使用すればいいだけの話である。猶、欧州旅行記が当ブログに掲載されるのは12月下旬頃の予定であり、それまで楽しみにお待ち頂ければと思う。予定通りにスケジュールをこなせたら本日の午後には無事に日本に帰国しているはずである。

海外旅行日記:9月22日にフランクフルト空港を定刻より15分遅れで出発したLH715便は、定刻通りに本日午後12時15分羽田空港に無事着陸し筆者は午後1時半に自宅に戻りました。本日のルフトハンザ便は、エコノミー、ビジネス共に満席であった!この10日間の海外旅行では全てお天気に恵まれた。初日のベルリンで午前10時まで雨だった事と、21日のパリ滞在時の午後12時半頃に5分間程度雨が降った事を除けば、それ以外は全て晴れと言う驚異的なお天気環境が続き、写真撮影にはばっちりの天候であった。この10日間に消費した現金額は、たったの10万円で、ユーロが17万円分も余ってしまったが、来年もパリに滞在予定なのでその時に使用する積りである。




夜の時鐘楼(佐渡市相川)   投稿者:佐渡の翼

2014年09月22日 06時00分23秒 | EOS-1DXで撮影した国内・海外の夜景

5月3日、両津の椎崎にある諏訪神社で今年初めて開催された天領薪能を見学した後、筆者は夜の国道をひた走り、佐和田を経由して相川へと向った。佐和田相川間の県道沿いには街灯などはなく、暗い夜道をヘッドライトだけを頼りに走る。ライトをハイビームにし、対向車とすれ違う際はロービームに変える。これの繰り返しだが、夜間に曲がりくねった道路を走るのは非常に怖い!街灯で煌々と照らされた都道しか走行経験のない筆者に取り、佐渡の県道の夜間走行は命懸けである。ようやく相川の街中に出て、相川金山へと向う道の途中にある相川病院の駐車場に車を停めた。目的は相川の京町通りの夜景撮影であった。相川病院の隣は佐渡版画村美術館だが、その塀の部分に掲示されている版画がやけに明るいのに気付いた。夜間にこの地区を訪ねるのは今回が初めてなので、最初は街灯の明るさのせいかと思った。だが、よくよく見たら、塀の下方部分に照明器具のようなものがあり、これでライトアップしているのに気付いた。更にそのライトアップは旧相川地裁の塀部分まで続いており、その終末端付近にある時鐘楼のライトアップへと続いていた。このライトアップ、ゴールデンウイークなどの観光シーズン限定かなと思ったが、翌朝、このライトアップの仕掛けを見て通年でのライトアップである事が分かった。ライトアップ光源の所々に小型のソーラーパネルがあり、太陽光をエネルギー源とした照明のため電力消費の必要がなく、自前で電力を賄える仕組みになっていたからだ。だが 、日照量が低下する冬場のライトアップは厳しそうで、光量の低下は免れまい。従って、ライトアップ撮影が目的ならば、日照量が豊富な4月から10月までに訪ねるのをお勧めしたいと思う。光量が低下する冬場には補助電源でライトアップ光量を維持する仕組みになっているのならばクりスマスの頃も楽しめるのかもしれない。このソーラーパネルを電源としたライトアップを思い付いた人は誰だか知らないが、エコアイランド佐渡をPRするための格好の舞台装置となったのではないだろうか。

時鐘楼付近が通年でライトアップされているのを知る島民や観光客は少ないらしく、ゴールデンウイーク期間中でも人影は皆無であった。照明の色を変化させたり、間歇的な照明にしたりするなどの工夫があれば更に人気が増すスポットになるであろう。

旧相川地裁から見た時鐘楼

翌朝撮影した時鐘楼

時鐘楼の側面

時鐘楼から見た旧相川地裁のレンガ塀

翌朝撮影

長坂への降り口

翌朝撮影

版画村美術館のレンガ塀のライトアップ

ライトアップされた版画塀

同版画塀

翌朝撮影

プロチダのラ・スイート&スパのスイートルーム付属のテラス席

夜の、スミュールアンオーソワの宿泊ホテル「ホテル・デラ・コート・ドール」

夜の、スミュールアンオーソワのライトアップされた古城。西と洋ではこんなに雰囲気が違う!


旅の最後は花のパリで五つ★の更にその上を行く超高級ホテルのスイートルーム:9月21日(日)

2014年09月21日 12時52分34秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

翌朝はホテルでゆっくり朝食を食べた後に、午前8時半頃にチェックアウトする。タクシーを呼んでもらい、モンバールまで行き、モンバール発10時7分の普通列車に乗りパリのリヨン駅へと向う。リヨン到着は12時22分でリヨンまでの所要時間は2時間15分である。リヨンからはタクシーで今夜の宿である「パークハイアット・パリ・ヴァンドーム」に乗りつける予定だ。Bookinng.comに寄れば「Park Hyatt Paris Vendômeは、パリの有名なヴァンドーム広場のそばにある豪華な5つ星パレスホテルです。オペラ座から徒歩2分で、広さ250m²のスパ、レストラン3軒、サマーテラスを併設しています。Park Hyatt Paris Vendômeの客室はエレガントなスタイルで、通りまたは中庭を望む床から天井までの窓、バスルーム(バスローブ、バスタブ、レインシャワー付)が備わります。朝食はコンチネンタル、ビュッフェ式、またはアメリカンの中から選択できます(料金は異なります)。ミシュランの星1つを獲得したグルメレストランLe Pur’にはオープンキッチンがあり、The Chef‘s Tableでは斬新な料理、Les Orchidéesでは朝食、ブランチ、ランチを用意しています。バーでのクリエイティブなカクテル、La Cheminéeでのアフタヌーンティーも楽しめます。」だそうだ。筆者は、旅の最後の夜を楽しむために、このホテルのスイートルーム(一泊1040ユーロ:148,310円)を予約すると言う大盤振る舞いをした。一泊15万近くもする部屋とはどんな部屋なのか?ヨーロッパでその滞在費用が最も多額になる都市はパリだそうで、パリは何でも高くつくと考えていた方がいい。

ホテルに到着したら、荷物を預けた後にホテル内レストランで昼食を食べる。その後は徒歩で3分ほどの所にあるオペラ座を訪ねた後。パリ通りを南下し、ヴァンドーム広場を過ぎたあたりで左折しサントノレ通り経由でパレ・ロワイヤルに至り、リヴォリ通り、ルーブル通りを経てサンジェルマン・ロクセロワ教会に到達。次いでポンヌフ橋を渡り、シテ島に入る。コンシェルジュリ、サント・シャペルを見学後、ノートルダム大聖堂を見学した後、再び橋を渡りパリ市庁舎を見学後ルーブル通りに戻る。この道路を北上し、モンマルトル通り経由でレオミュール通りに入りここを西へと進むとオペラ座前の七差路に戻る。次いでパリ通りを南下しホテルへと戻る順路だ。夕食をホテルで済ませた後、再び外出し、夜のルーブルやノートルダム大聖堂などのパリ市内の夜景を撮影する予定だ。旅の最後の夜である、夜のカフェにも立ち寄って、思い切り夜更かしをするとしよう。明日は午前10時にチェックアウト予定なので心行くまで夜のパリを楽しめる!

海外旅行記」本日、スミュールアンオーソワから列車でパリへ向かい、「パークハイアット・パリ・ヴァンドーム」に到着の予定。、


世界で最も美しい街の一つ「スミュール・アン・オーソワ」:9月20日(土)

2014年09月19日 17時28分57秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

今回の旅の目的は、世界で最も美しい街ベスト10のうちの三都市を訪ねる事である。最初はドイツにある世界遺産の街「クベトリンブルク」で次がイタリアのプロチダであった。これらの都市は観光案内本ではわずか2~3ページ程度しか紹介されていない。つまり海外旅行を計画する人々の間ではマイナーな観光地なのだが、旅のプロの間ではメジャーな観光地だ。日本人で溢れ返っていないのが何よりである。そしてどの都市も半日程度歩けば充分観光可能なコンパクトさである。この日訪ねる予定の「スミュール・アン・オーソワ」はこれと言った観光スポットなどは何もない単なる田舎町だ。お土産屋もなければ洒落たお店などもない!あるのは中世の佇まいを残した絵本のような可愛い街並みだけ!筆者がこの街への訪問を旅の最後に選んだのはそれが理由である。

9月20日はホテル・ル・ムーリスで超お高いアメリカンブレックファストをゆっくり食べた後、午前8時にチェックアウトし、タクシーでリヨン駅へ向かう。恐らくホテルからリヨン駅までは10分程度と思われる。リヨン発8:53分のTGV:6747号(モンバール着9:57分)のファーストクラスを予約しておいたので、切符売場で並ぶ必要はない。フランス版新幹線であるTGVの座席指定券は、二ヶ月前から「レールヨーロッパ」と言う日本のウエブサイトで予約できる。1500円の手数料を取られるが、混雑する観光シーズンの土日祝日にパリを出発するTGVに乗車する際は予約しておいた方が無難である。パリからモンバールまでは1時間程度だが、料金は80ユーロと、日本の新幹線の倍以上もする。パリからディジョンへ向うTGVでモンバールに停車する列車は一日7本しか出ていないので尚更である。ヨーロッパの列車のファーストクラスはコンパートメントタイプを除けば、横2-1の配列で、東北新幹線のグランクラスと同じ広さである。この日乗車予定のTGVは、2号車で座席番号は31である。印刷された電子チケットでは文字が重なり合っているため判読しづらいが、2号車に間違いない。色々調べてみたら、この座席番号は二階席のようである。モンバールからスミュール・アン・オーソワまではタクシーで20分ほどの行程であり、午前10時半頃には今夜の宿である「ロジホテル・ドゥラ・コート・ドール」(郵便局舎を改装したホテルで、料金は一泊朝食無しで127ユーロ:18061円)に到着出来るので、荷物を預けた後に、このお伽の国を存分に楽しめる。ホテルの眼の前に観光案内所があるので、ここでマップを貰ってから市内を散策しよう。夕食をホテルで食べた後は恒例の夜景撮影に出かける。どんな写真が撮れるのか今から楽しみである。ホテルはシングルルームを予約しておいたが朝食料金は12ユーロである。

スミュール・アン・オーソワは、フランス人でさえ知らない可愛い田舎町であり、ウエブを調べてもこの街に関する情報は驚くほど少ない。

スミュール・アン・オーソワとはこんな可愛い

絵本のような街らしい。以上2枚の画像の出典はこちらのブログです。

TGVの座席指定券

9月16日、クベトリンブルクを午前6時に出発し、陸路、空路、海路と乗り継ぎ、午後8時にイタリアのプロチダ島に到着した。画像は宿泊した「カーサ・ボルミオーリ」のスイートルーム。

ベッドはこんなに可愛い!

いい味出してました

こちらはリビングルーム

かなりオーナーの個性が強く出ているホテルです

追記:9月19日、パリ行の飛行機を待つ間にナポリ空港から送信!


EOS-1DXでの佐渡の夜景撮影    投稿者:佐渡の翼

2014年09月18日 06時00分27秒 | EOS-1DXで撮影した国内・海外の夜景

佐渡の夜は概して暗い!閉店時間が早いお店が多い上、民家から漏れて来る明かりもさほど多くはないせいであろう。多くのスナックが建ち並ぶ両津の夷地区の飲食店街でも相当に暗い。ネオンサインだけの光量ではさすがのEOS-1DXを持ってしても綺麗で明るく鮮明な写真は撮影しにくい。それに比較し、都心の夜のビル群の夜景は暗いようでもけっこうな光量があるようで、明る過ぎるくらいに良く撮れる。今回、佐渡にEOS-1DXを持ち込んで撮影した経験では、夜の佐渡の集落風景は手持ちで何とか撮影可能であったが、ISOが極限状態にまで高まるために画像のザラツキ感が生じた。安物デジイチで三脚使用で長時間露光で撮影した方がよっぽどメリハリの効いたシャープな写真に仕上がりそうなので、次回は三脚使用でISOを少し抑えて撮影してみようかなと思ったくらいだ。

EOS-1DXはその高感度ゆえに、ネオン看板そのものの撮影には不向きである。不向きと言うよりも明る過ぎて色が飛ぶため、まともにネオン看板の文字が撮影できないのだ。このネオン看板の光量のほどは、ネオン看板のあるお店から道路を挟んで真向かいにある真っ暗な建物の壁の文字をEOS-1DXで写し出せるくらいの高さである。

佐渡のライトアップスポットと言えば、季節限定では、桜の頃の相川金山周辺、真野公園、羽茂の法乗坊の種蒔き桜とイベント時の北沢浮遊選鉱所、そして8月のお盆の頃の尖閣湾(海上の漁船から岩に向けてライトを当てる)が有名で、通年でのライトアップスポットは、相川の時鐘楼、旧相川地裁のレンガ塀、、版画美術館村の塀だけである。一方で夜の神社仏閣は、拝殿部分の門灯が点灯されていれば、どこでも撮影は可能である。更に夏場以外は危険だが、小佐渡丘陵からの佐和田やドンデンスカイラインからの両津の街並みの夜景撮影も一興であるし、カーフェリーの夜間便の甲板から、点滅する沢崎灯台を撮影するのも面白いかもしれない。一般的に灯台の夜間撮影では、近距離からならばEOS-1DXでも何とか手持ちでの撮影は可能かと思う。真野の人面岩も車のヘッドライトで自家製ライトアップを施せば星座と岩のツーショット撮影は可能かもしれない。その他、大規模ホテルや佐渡汽船両津港ターミナルなどの夜景ならば光量が充分なので綺麗に明るく撮れる。夜の宿根木集落なども三脚無しでの撮影は可能である。

夜祭は、提灯行列やぼんぼりに囲まれての舞い姿ならばいとも簡単に綺麗な写真が撮れるし、夜の神輿の宮入などの撮影もおちゃのこさいさいである。今回の佐渡訪問では雨のため夜祭の撮影機会を逃したが、来年はそれらの撮影を試みる予定である。

トップ画像は夜の両津やまきホテルである。部屋の中の人物までくっきり写っている。

薄暮のホテル東宝

車のヘッドライトビームでライトアップされた両津教会

佐渡グランドホテル

ホテル志い屋

薄暮の加茂湖から見た、ホテル花月、吉田家とホテル東宝

外城橋付近で見かけた、とある民家

食堂「多花野」。EOS-1DXはネオン看板の文字撮影は不得意。

両津のセーブオンの駐車場から見たスーパーキングやファンタオやエネオス

両津のくすりの「コダマ」の真向いにある標柱だが、肉眼では真っ暗で文字など見えない

同じような位置にある蔵元の壁。肉眼ではその文字の判読は不可能!

セーブオンの駐車場から見た、両津やまきホテル。菊池仏壇店などと言う文字は肉眼では見えません。

やまきホテルへと向かう登り坂の途中にあるライトアップスポット

これは既に散っているが桜の木であろう

佐渡では珍しい夜紅葉の画像!

ちなみにこちらは昼の画像

夜のやまきホテルの全貌

両津やまきホテルの駐車場から見た加茂湖と夷地区のホテル街の夜景。左から佐渡グランドホテル、ホテル吉田家、ホテル東宝の順である。5月4日に撮影したが、三ホテル共ほぼ満館状態なのが分かる。

早朝の加茂湖




プロチダからパリへの移動:9月19日(金)   投稿者:佐渡の翼

2014年09月17日 06時00分51秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

9月19日の午前7時にタクシーを手配しておくようフロントに依頼しておく。そして午前7時半発のSNAVの高速船に乗り、8時15分にモロ・ベベレッロ埠頭に到着する。ここでタクシーに乗り、ナポリ国際空港に向かう。遅くとも8時45分頃までには空港に到着出来るので、12時45分発パリ行のアリタリアの7338便に充分間に合う。プロチダ発9時15分のフェリーボートでも(車の積載は不可)何とか間に合うのだが、ナポリへは10時15分にカラータ・ディ・マッサと言う港に到着する。だが、ここにはタクシーは待機しておらず、タクシー乗り場があるモロ・ベベレッロ埠頭までスーツケースを引きずりながら10分ほど歩かねばならず、タクシーに乗ると空港到着は11時頃になる。これでは気持ちにゆとりがなくなるので、筆者はあえて出発4時間前に空港に到着する予定を組んだ。

AZ7338便はエールフランスとのコードシエア便で、エールフランスが運航するため、エールフランスのカウンターでチェックイン。アリタリアの運航ではないため、空港内ではアリタリアのラウンジはあったとしても使用できない。そこで20ユーロを支払ってVIPラウンジに入る予定だ。朝食を食べたり空港内を見学していれば10時頃になるので、2時間近くをこのラウンジで過ごす積りだ。ナポリ発のエールフランス機は15:05分にパリのシャルルドゴール空港に到着する。パリに入国したらリムジンバスではなくタクシーに乗り、直接今夜の宿である「ホテル ル・ムーリス」に乗りつける予定だ。タクシー料金は55ユーロで所要時間は約30分。ル・ムーリスでは奮発して、一泊800ユーロ(114,085円)のクラシックダブルルームを予約しておいた。朝食代が58ユーロ(約8000円)と言う目の玉が飛び出るような高さだから貧乏人が泊まれるようなホテルではない。チュイルリー公園の目の前にあり、ルーブル美術館まで600mの近さである。チェックイン後は、まずルーブル美術館へ行く。金曜日は午後10時まで開館しているので、事前購入しておいた二日間有効のミュージアムパス(6100円)で並ばずに入場できる。ルーブルを見学後は、一旦ホテルに戻りホテル内レストランで夕食を食べる。夕食後はコンコルド広場からマドレーヌ寺院を経て、シャンゼリゼ通りを西へ進み、凱旋門に到着。272段の階段を登り凱旋門の展望台へ上がり、ここからシャンゼリゼ通りの夜景を撮影する予定だ。展望台への入場にはミュージアムパスが使えるのでチケット販売所で並ぶ事無く入場出来る。シャンゼリゼ通りの夜景を撮影しながらホテルに戻り、今度はタクシーを呼んでもらう。エッフェル塔とサクレ・クール寺院の夜景を撮影するためである。貧乏人なら地下鉄で移動するところだが、重いEOS-1DXを携えての移動は疲れるだけなので、タクシーを利用する積りだ。はっきり言ってパリは夜景撮影が目的なので、昼間の建物撮影写真にはさほど興味はない。その種の写真は旅ブログを見れば嫌ほど掲載されているからだ。誰も見た事がないような景色を見た人の事を旅人と言うのだよ。

ミュージアムパス表面

パスの裏面。一旦記入したら訂正は不可のため、使用開始日付は使用日直前に記入するのが良い。


プロチダ島三日目:9月18日(木)   投稿者:佐渡の翼

2014年09月15日 06時00分03秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

この日も終日プロチダに滞在する。滞在三日目ともなると、ほぼ島の隅々が頭の中に入って来るので、島の南東部にあるキャイオレッラの浜へ行く。二か所ほどビューポイントがあるのでここからの撮影は逃せない。ランチはグランデ港まで戻ってあの有名なファンミベントで食べるとしよう。午後は一旦ホテルに戻って休憩した後、サレッテ通りに出て西海岸へ行ってみよう。そして夕闇迫る頃に島の北側の通りをそぞろ歩いて夜景を撮影する予定だ。グーグルストリートビューのお蔭で、島の主要な道路沿いの様子は事前に画像で確認出来ているので、街灯が整備されている通りを歩きさえすれば難なく夜景は撮影出来るし、道に迷う心配もない。

テッラ・ムラータ地区の砲台の手前のビューポイントからプロチダの夜景を撮影してブログ記事に掲載した日本人はいる。しかしいかんせん携帯カメラかコンデジ写真がほとんどのため、見るに耐えない代物ばかりだ。だが、観光目的で海外に出かける人の大半は軽くて持ち運びに便利なデジカメ持参である。フルサイズでもせいぜいがミラーレスデジイチである。写真撮影を生業とする人以外で、キャノンEOS-1DXなどと言うモンスターカメラを海外で持ち歩く酔狂な日本人観光客はいたとしても数名にしか過ぎまい。大都市のパリやロンドンでも遭遇する確率はほぼゼロに近いので、いわんやプロチダ島などと言う知られざる観光地では、そんなカメラを持ち歩くのは筆者一人だけであろう。

海外へ出かける日本人観光客の大半は、事前に観光案内本を買い込み、出来るだけ多くの観光スポットを巡ろうと企てるのだが、欲張った計画を立てるとどんどんと深見にはまり込み、飛行機に乗り遅れなどという悲劇に遭いかねない。見過ごした観光スポットがあれば次回訪問時の楽しみに取っておくくらいの余裕のある観光スケジュールを組むのが肝要である。ブログ記事のネタにするためにと、あそこへも行きたい、ここへも行きたいと総花的な観光計画を立てるのが最も良くない。貧乏人ほど安い予算であちこち回ろうとするものだが、公共交通機関での移動に拘泥すれば返って時間がかかるため非効率極まりない結果になる。学生時代のバックパッカー旅行ならいざ知らず、ある程度の経済的な余裕が出来れば、高くても移動はタクシーでスムーズにが基本であるし、安宿での宿泊を続けているといつまでも旅の疲れを引きずって、体調を崩しかねない。訪問予定地に関する事前リサーチは充分行うべきだが、調べすぎないようにする事も重要である。何故なら驚く楽しみを取っておかねばならないからだ。ウエブ等で旅行記を読み漁り現地情報を完璧に調べ上げてしまう人がいるが、それをやると旅行の楽しみは返って半減する。日本で購入した観光案内本の持参は不要であり、現地の観光案内所で手に入れるマップが最も役に立つ。後は道を尋ねたりするための語学力さえあれば優雅なヨーロッパ一人旅は遅滞なく進められるし、万が一トラブルに巻き込まれても自力で解決できるはずだ。


プロチダ島二日目:9月17日(水)   投稿者:佐渡の翼

2014年09月13日 02時29分08秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

「カーサ・ボルミオーリ」は、一泊朝食付きで210ユーロ(29,855円)のスイートルームを予約しておいた。スイートにしては随分と安い値段である。2フロア構成の広々としたタイルフロアのスイートだそうだ。チェックイン後は、コッリチェッラの浜辺へ出かけ、映画の「イル・ポスティーノ」でお馴染みのレストラン「ラ・ロカンダ・デル・ポスティーノ」へ行く予定だ。浜辺に出る前に、聖マリア・デラ・グラツイエ教会の所を左折し登り坂を登るとヴアスチェッロ城とサンミケーレ修道院に至るが、砲台の手前に絶好のビューポイントがある。しかもコンクリート製の壁のような物が道路の端に設置されているため、ここをカメラの三脚代わりに使用できるのでプロチダの夜景がばっちりと撮影出来るだろう。勿論そんな事をしなくてもEOS-1DXならば手持ちで楽々撮影可能なのだが。コッリチェッラの浜辺の夜景撮影を充分楽しんだ後にホテルへ戻る。翌日の9月17日はホテルでゆっくり朝食を食べた後、観光案内所を訪ねてマップを貰う。そしてマイクロタクシーを呼んでもらい、今夜の宿である「ラ・スイートホテル&スパ」へ向かう。荷物を預けた後に、フラビオ・ジョイア通りを北上し、チェザレ・パッティスティ通りからレジーナ・エレナ通りを経てリベルタ通りに入り、グランデ港に向かう。ここのSNAVの切符売り場で、明後日(9月19日)の午前7時半発の高速船のチケットを購入する。次いで、グランデ港前のローマ通りを東へと向かい突き当りまで行ってからUターンし、「カーサ・ボルミオーリ」を経て、砲台の手前のビューポイントで昼間のコッリチェッラの浜辺を撮影する。撮影後はヴアスチェッロ城とサンミケーレ修道院などがあるテッラ・ムラータ地区を見学し、再びコッリチェッラの浜辺周辺を散策した後にどこかでランチタイム。午後は、ジョバンニ・ダ・プロチダ通り、サンタ・マルゲリータ通りを経て入島が規制されている、ヴイバーラ島の手前まで行ってみる。帰りはシモーネ・スキアノ通り、ソルキアロ通り、ラヴァテラ通りを経てヴイットリオ・エマニュエル通りに戻り、フラビオジョイア通りを経てホテルに戻る予定だ。ホテルでしばし休憩した後、夕闇迫る頃に再びマルチェロ・スコッテイ通りとサン・ロッコ通りを経てテッラ・ムラータ地区へ行く。

プロチダ島にはヴアスチェッロ城とサンミケーレ修道院以外にはこれと言った見どころはないが、島の全周は20キロほどなので徒歩でも5時間あれば島を一周出来てしまう。路地裏を歩き回ればきっと思わぬ風景に出合うであろう。そして薄暮の頃に再び砲台前のビューポイントに行き夜景を撮影しておこう。そしてコッリチェッラの浜辺の夕暮れ時の撮影も忘れずに。この日の夕食はホテルで食べよう。

La Suite Hotel & SPAは、貴婦人Filomena Minichiniの邸宅だった18世紀の建物を改装した宿泊施設で、スパ、広さ5000㎡の庭園(無料のスイミングプール付)、豪華な客室とスイート(薄型衛星テレビ、無料Wi-Fi付)を提供する5つ星ホテルであり、プロチダでは最高級のホテルだ。筆者は、一泊朝食付きで500ユーロ(71,107円)のスイートルームを予約しておいた。カーサ・ボルミオーリの約二倍以上の値段であるからして、当然、客室にはモダンな家具、バルコニー、プライベートガーデンがある。スイートには専用テラス(家具付)が備わり、部屋からは海の景色を眺めることができる。リラックスできるガーデンテラスではビュッフェ式朝食を満喫できるし、エレガントなLe Caféバーには、幅広く取り揃えたワインリスト、カクテル、コーヒーなどが用意され、併設レストランでは地元産の食材を使った地中海料理を満喫できる。部屋数はわずかに15部屋で、ゆったりゴージャスな滞在を希望する人には最適なホテルである。


世界で最も美しい街ベスト10の一つイタリア・プロチダ島:9月16日(火)  

2014年09月11日 05時41分54秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

9月16日は空路と高速船を乗り継いで、ベルリンからイタリア南部のプロチダ島まで移動する。午前6時の早朝出発なので、フロントはまだ開いておらず、前日に宿泊料金を支払っておく事になるし、当然朝食が不要である事も伝えておかねばならない。クベトリンブルク発6時33分の列車に乗り、マクデブルグに7時45分に到着する。ここでベルリン中央駅行の列車(8時08分発)に乗り換えると、ベルリン到着は9時50分頃になる。到着後はタクシーに乗り30分ほどでテーゲル国際空港に到着する。10時30分頃に空港に到着する予定なので、12時50分発のミュンヘン行のLH2037便に悠々間に合う。空港内で昼食を食べた後は、テーゲルのLHのビジネスラウンジで休憩の予定だが、混雑していればPriority passを使ってpriority loungeで休憩する積りだ。ベルリンから1時間10分ほどの飛行時間で14:00にミュンヘンに到着する。ここでナポリ行のLH1928(出発予定時刻は15時35分)便に乗り継ぐが、ミュンヘンにはLHのビジネスラウンジはあると思うので1時間35分の待ち時間をここで過ごす。ナポリへは1時間35分の飛行時間で、17時10分にナポリのカポディキーノ国際空港に到着する。入国審査後スーツケースを受け取り、通関を経てタクシー乗り場まで辿り着くのに30分は必要。空港からプロチダ島行の高速船が出航するモロ・ベヴェレッロ(ベヴェレッロ埠頭)まではタクシーで20~30分の行程だから、埠頭に到着するのは18時00分頃である。プロチダ行の高速船(水中翼船)はCAREMARとSNAV社の二社が運航しており、前者は18時15分発で後者は19時00分発なので、どちらかに間に合う計算だ。プロチダまでの所要時間は約40分で料金は20ユーロ程度である。高速船やカーフェリーが到着するプロチダ港は北に面しており、島内の主要交通機関であるバスや三輪自動車を改造した「ape」と呼ばれるマイクロタクシーはここに待機しているので、タクシー利用で宿まで行けるはずだが、午後7時前後までタクシーが待機しているかどうか定かではない。観光シーズンだから多分数台のタクシーがいると思われるが、万が一いなかった場合は今夜の宿である「カーサ・ボルミオーリ」まで徒歩でも7分程度で行けるので、夜のプロチダを楽しみながら歩いて行こう。海外のしかも初めて訪ねる土地での宿泊に際しては、明るいうちに宿に着くのが鉄則なのだが、筆者はあえて夜がとっぷり暮れた頃のチェックインを選んだ。プロチダ島はイタリアの中では比較的治安のいい所との情報を得ていたし、グーグルストリートビューのお蔭で、ホテルまでの道順は容易に把握出来ていたからだ。

船着き場に降り立ったら、まずは海を背にしてポルト・グランデの夜景を撮影する。次いで、ローマ通りを左手方向(東)へ向かいSNAV社の船着き場を過ぎると、真正面に「Cantinone」と言うレストランがある。ここで道が二手に分かれているが、右側のショートカット道路に入る。すると右手にT字路があり、T字路に向かって右手に「Emporio L’ ANGOLO」と言うブテイックがあり、左手にジェラート屋があり、その向こうに「ファンミベント」と言う有名なレストランがある。この通りが「ヴイットリオ・エマニュエル通り」である。ここを北上すると、右手にコダックや「IGNIS」「MACELLERIA,35」の看板が見え、それを過ぎたあたりに手前に薬局、教会、そのはす向かいにタバコ屋があるT字路に至る。「サンミケーレ教会」を示す標識が立っているので迷う事はない。ここを左折すると「プリンチペ・ウンベルト通り」に入る。Philcoと言う電機屋が右手にあり、その向こうの左手に「レジデンス・ラ・シボラ」が見える。更に進んで66番地辺りの左手に「バルトロメーオ・パガーニ通り」へ向かう入口が見えて来る。ここに6Pと落書きされたピンク色の壁をした建物(キリストの絵画もある)が見えるが、これが見えたらホテルまではあと少しである。やがて右手に二本の路地裏へと至る道があり、その真向いが86番地で、そこがホテルの所在地だ。ホテルの右隣は「ITALMEC」と言うミニマーケットになっている。ホテルの入口には緑のドアがあるだけで看板などは一切なく、正に隠れ家ホテルであり、ツアー客などには絶対に辿り着けない場所にあるホテルだ。相当旅慣れた人でもイタリア人以外には到達不可能なホテルかもしれない。昼間でも相当難しいし、夜なら辿り着くのは奇跡に近いだろう。街灯だけを頼りにEOS-1DXで要所要所を撮影しながらホテルへ向かう。ホテルへは予め到着時刻は午後8時頃とメールで知らせておいたので、ゆっくり歩きながら夜のプロチダを楽しめそうだ。


世界遺産の街「クベトリンブルク」へ:9月15日(月)    投稿者:佐渡の翼

2014年09月09日 04時56分13秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年


一人旅の利点は何と言ってもその自由度の高さだ。ツアーに参加すると、やれ「何時に部屋の前にスーツケースを出しておけ」「何時にロビー集合」だのと拘束度が高くなり息が詰まる。その分、手配の手間が不要で、万が一予定便が欠航したり乗り遅れたりするようなアクシデントがあったとしても旅行社側が何とかしてくれるので安心できるメリットがある。だから皆さん、ヨーロッパ旅行は例え一人旅でも旅行社経由で申し込むのだろう。筆者のような旅慣れた旅の上級者は、日本人観光客が溢れかえるような観光地は出来る限り避けて行動する。早い話が、ドイツへ行く観光客はフランクフルト、ミュンヘン、ハイデルベルクなどを目指すに違いないが、筆者はあえてドイツの首都ベルリンを選んだ。多分ベルリンでも多くの日本人に遭遇するだろうが、今日訪れるクベトリンブルクには日本人などまずほとんどいないと思う。ヨーロッパは、国全体が世界遺産と言ってもいいくらいの国(イタリアなど)があるくらいだから、例え世界遺産に認定されたとしても、どこかの国のように世界遺産ブランドを観光振興や街起こしに利用したがる風潮にはならない。それどころか、インフラ整備に格別お金をかけたりせずに自然体で遺跡を保存しようとする。だから、木組みの街並みで有名な「クベトリンブルク」の駅舎などはその地下道は荒れ放題だそうだ。

9月15日は、午前7時にホテルでゆっくり朝食を食べた後、午前8時にチェックアウトをする。ベルリン中央駅(ベルリンHbf)まで地下鉄で二駅ほどだから、タクシーなら10分程度の距離であり、移動は勿論タクシーだ。駅に到着したら、窓口でクベトリンブルクまでの往復チケットを購入する。ベルリン発9時11分のマクデブルク行きの列車(DRE)に乗るが、マクデブルクが終点なので乗り過ごす心配はない。マクデブルクへは10時50分に到着する。マクデブルクから私鉄のHarz Elbe Express(HEX)に乗り換えてクベトリンブルクに向かうが、マクデブルク発は11時10分で、12時23分にクベトリンブルクに到着する。クベトリンブルク到着後、駅前ロータリーを出たら正面に延びているバーンホーフ通りを5分ほど歩き、トゥルン通りを越えたところでT字路に達するのでそこを左折しハイリゲガイスト通りに入り道なりに更に5分ほど進むと右手にマルクト広場が見えて来る。ここに市庁舎があり、その真向いに今夜の宿である「リングホテルテオファノ」(一泊朝食付きで85ユーロ(12,088円)がある。画像のように木組みの可愛いホテルである。例に寄って荷物を預けた後、昼食を食べねばならぬが、このホテルのレストランは日・月は休業日のため、近くのレストランを利用する事になる。市庁舎の右隣に観光案内所があるので、ここで市内散策用のマップを貰ってから出かける。このクベトリンブルクで見逃せないのが市の南西部にある、12世紀に建てられた女子修道院付属の聖セルヴアティウス教会(内部撮影は禁止)と城博物館、そして木組みの家博物館である。

牛肉ときのこの秋煮

懐石弁当


ベルリン市内観光:9月14日(日)    投稿者:佐渡の翼

2014年09月07日 05時01分52秒 | ドイツ・イタリア・フランス旅行2014年

ホテルに到着したら、チェックインの時間までスーツケースとコンピューターの入ったバックパックを預かってもらい、EOS-1DXだけを携えて、いよいよベルリン市内観光に出発である。まずはベルリン観光の拠点たる、女神と馬車の像を乗せた「ブランデンブルク門」に行くが、ここはアドロンケンピンスキーとは目と鼻の先にある。そこから右奥に行くとドイツ連邦国会議事堂や共和国広場、首相府などが見える。ブランデンブルク門のすぐそばに観光案内所があるのでここで市内の観光マップを貰う。次いで、ベルリンの目抜き通りであるウンター・デン・リンデン通りを東へと進む。左手にフリードリッヒ騎馬像、右手に焚書広場(Bebelplaz)、ベルリン国立歌劇場などを見ながら20分ほど歩くとベルリン大聖堂に至る。この聖堂の内部見学が開始されるのは午後12時からなので、それまでは、博物館島を見学する。博物館島には新旧の博物館、ベルガモン博物館、ボーデ博物館などがあるが、内部見学などをしていたら日が暮れてしまうので、外観だけを撮影した後、シュプレー川に架かるリープクネヒト橋を渡り、次の交差点を左折し、ハッケッシャー・マルクト駅近くにある隠れ家ショッピングスポットたるハッケッシャー・ヘーフェへ行く。ヘーフェとはドイツ語で中庭の意味で、原宿の同潤会的なお店が幾つもあり必見スポットだ。次いでベルリン発祥の地とされるニコライ地区に向かう。ここではテレビ塔、聖マリエン教会、ニコライ教会、赤の市庁舎などの見学がはずせない。次いで、ゲルトラウデン通りを南西方向に歩くとライピツィヒ通りに繋がる。この通りを西へと移動すると、南北方向に走るフリードリヒ通りと交差するが、その手前の道を北上すると、中央にコンサートハウスを挟み、同じような外観の大聖堂が左右に見えて来る。右手がドイツ大聖堂、左手がフランス大聖堂で、ここがベルリンで一番美しい広場である「ジャンダルメン広場」だ。ここを見学した後は、フリードリヒ通りを南下し、コッホ通りとの交差点に向かう。その途中にチェックポイントチャーリー(東ドイツ時代の検問所)とベルリンの壁博物館がある。次いでコッホ通りを西へ進むと突き当りに「トポグラフイーオブテラー」がある。ここはゲシュタポ(国際秘密警察)とその親衛隊の本部があった所である。ここを出た後は、連邦財務省の建物を左手に見ながらウイルヘルム通りを北上し、ライピツィヒ通りとの交差点に出たら左折して西へ真っ直ぐ進むとポツダム宣言が行われた近郊都市ポツダムにちなんで名付けられたポツダム広場に出る。ここは東西ベルリンの壁際にあったことから開発が遅れていた地域だが現在では有名建築家が建設した高層ビル群が立ち並んでいる。ここからエバート通りを真っ直ぐ北上すると、ナチスに虐殺されたユダヤ人の魂を弔う無数のコンクリート製の墓地群、つまりホロコースト慰霊碑が右手に見える。慰霊碑を過ぎるとブランデンブルク門に戻る。筆者は以上の過程を全て徒歩で巡る予定で、所要時間は8時間ほどなので、午後6時頃にはホテルに戻れる計算だ。ホテルレストランで夕食を食べた後は、夜のベルリンを撮影しまくる予定である。昼間に歩き周り、ある程度道勘のあるウンター・デン・リンデン通りとライピツィヒ通り沿いのライトアップされた大聖堂、市庁舎、教会、ハッケッシャー・ヘーフェの中庭などが主な被写体になる。日本広しと言えども、EOS-1DXで撮影したヨーロッパの綺麗な夜景写真を掲載出来るブログは恐らく当ブログだけであろう。

夜のベルリン大聖堂。

夜のブランデンブルク門。以上2枚の画像の出典は、こちらのブログです。


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

ブログの記事内容について

「佐渡の翼」の記事内容は、調査スタッフ個人の、お店や宿泊施設に対する感想や意見を記述したものです。これらは、すべての読者が感じる内容とは必ずしも一致しません。「佐渡の翼」に掲載された記事を参照した後、読者ご自身の判断で行動した結果、生じた損害・損失について、当ブログは一切責任を負いかねますのでご注意下さい。更に、お店の外観写真やメニューはあくまでも取材時点でのものであり、最新情報とは必ずしも合致しておりません、重ねてご注意下さい。佐渡島内の焼肉屋と焼き鳥屋は調査の対象外です。これらのお店に関する情報をお求めの方は「佐渡なび」(http://www.sadonavi.net/)にアクセスしてお調べ下さい。なお、当ブログで紹介後に営業を休止したり廃業した飲食店は、宿根木の日本料理の名店「菜の花」(2013年4月に東京上野桜木で再オープン。電話番号:03-3827-3511)、小木の新保屋食堂」、佐和田の居酒屋「侍」、佐和田の中華料理「潤采」と「洛陽」、佐和田のラーメン大学「かねふく」、佐和田のラーメン店「燕人」、佐和田の喫茶店「トムキャット」、佐和田のイタリアン「バール・フェリチータ」、佐和田の「石川食堂」、佐和田のラーメン屋「げんき家」、佐和田のキャバクラ「パレス」、八幡のスナック「メンソーレ」(カラオケ、ココルに変身)、二見のラーメン屋「二見食堂」、真野の「寿司正」(後継は洋風のお店になる模様)、相川の「りき寿司」、相川ののら犬カフェ、金井の蟹料理専門店「かにっこ」、金井の食堂「ランチ@さとにわ」(佐和田へ移転)、金井のスナック「花音」(スナックyy'78に変身)とスナック「リバーサイド」(居酒屋兼食堂:クッチーナに変身)、畑野の食堂「菜花村」、両津の喫茶&レストラン「アン」、両津のファーストフードの店「マックス」、両津の「彩花停」(海結に変身)です。なお、紹介後に閉館したホテルは小木の「ニュー喜八屋」、佐和田の「シルバービレッジ」(改装され、ホテル浦島東館として再スタート)、相川のホテル「さどや」、えにしの宿「新ふじ」、相川やまきホテル。廃業した旅館は、小木の「ごんざや旅館」と相川の「中山旅館」です。 2018年8月10日現在の情報に基づいています。

佐渡の翼管理人

当ブログは著作権法により保護されています。当ブログ内で提案された「アイデア」の借用、具現化、実行等には何らの制限もありませんのでどうぞご自由にご利用下さい。当ブログの記事内容を著作権者の許諾なしに「引用」することは、その必然性があれば著作権法上は合法です。しかし著作権法第32条では、「引用は、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」と定められています。「正当な範囲内で」 とは「 引用しすぎてはいけない」という事であり、質的にも量的にも、自身の文章が「主」、引用部分が「従」という関係にある(最高裁判例)事が求められています。なお、アクセス状況は2009年2月1日からの累計です。 Copyright © 2009 Wing of Sado All Rights Reserved