屋島寺の見学と展望台からの眺めを楽しんだ後、筆者は待たせてあったタクシーに乗った。有料の屋島ドライブウエィを下る際に、左手に源平合戦の古戦場が見えた。運転手さんがスピードを緩めてくれたのでタクシーの窓越しにそれを撮影しておいた。古戦場周辺には多数の塩田があったが現在ではかなり埋め立てが進んだため、平家物語に書かれている「扇の的と弓流し」の場所は跡形もなくなっている。
以下は、この物語に関するウイキペデイアからの引用改変文である。
夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦する。十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。
与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空に舞い上がった。しばらく春風に一もみ二もみされ、そしてさっと海に落ちた。『平家物語』の名場面、「扇の的」である。美しい夕日を後ろに、赤い日輪の扇は白波を浮きつ沈みつ漂い、沖の平氏は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いてどよめいた。これを見ていた平氏の武者が、興に乗って扇の竿の下で舞い始めた。義経はこれも射るように命じ、与一はこの武者も射抜いて船底にさかさに射倒した。平家の船は静まり返り、源氏は再び箙を叩いてどよめいた。あるものは「あ、射た」といい、あるものは「心無いことを」といった。
怒った平氏は再び攻めかかる。激しい合戦の最中に義経が海に落とした弓を敵の攻撃の中で拾い上げて帰り「こんな弱い弓を敵に拾われて、これが源氏の大将の弓かと嘲られては末代までの恥辱だ」と語った『平家物語』の「弓流し」のエピソードはこの際のことである。
琴電屋島駅
プラットフォーム
瓦町行きの電車が来た
瓦町は屋島からは六つ目の駅だ
河原町駅にあった那須与一のイラスト