脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

過保護

2020年08月11日 | 昔話
私が見習いに行った会社は、町工場にありがちな親子経営でした。
(親子経営を否定する話ではありません。念のため)

当時、社長は65歳になるかどうか。
息子(専務)は30歳手前だったと思います。
周囲から「遅くできた子」と言われていました。
(今では驚かない年齢ですけど、時代ですね)

わざわざ「遅くできた子」と言われる理由。
それは、周囲の誰もが感じる「過保護」だったからです。
例えば、今日のような猛暑の日。
息子には、炎天下の作業、力仕事はさせません。
(そもそも、技術的な問題もありましたが)
ある施設で、屋外の作業があったのですが、元々は専務と私が作業する予定でした。
が、当日、猛暑になった途端、60代の職人と交代しました。
その60代の職人に、ハッキリと「〇〇(息子の名前)が炎天下じゃキツイだろうから」と、交代理由を伝えたのには驚きました。
オカシイと思っていなかったのですね。

「技術的な問題」と書きましたが、これも過保護だからこそ、なんです。
難しい仕事はやらせない、単独で現場には行かせない。
刃物の砥ぎすらできないのです。
(同業者なら分かると思いますが、我々にとって致命的)
一回り年下の私が、1ヶ月程度で追い越せてしまう技術しか「持たせてもらえなかった」のです。

私、子を持つ親になって思うのが「過保護」は、親のエゴだという事です。
全て親が庇ってあげるのは簡単ですが、「何もチャレンジさせてもらえない」という人に育ってしまうのです。

と、ここまでは過去に書いた事もありましたが、やはり歳をとったのか、違った気づきがありました。

続きます。
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