かの世界この世界:188
嵐の中、屋島を目指して進撃する義経軍を追うようにして西北西に進む。
右手に見えるのは鈍色の海と空。
ようやく背後から夜が明け始めているんだけど、治まりきらないきらない嵐の為に空と海の狭間は定かではなく、砕けた波しぶきが雨と混ざって頬を濡らしていく。
身に着けた衣類も背中の背嚢も水を含んでグッショリと重くまつわりつくようなのだが、不快には思わない。
小学校のプールでやった着衣泳、服を着たままプールに入るのが新鮮で、高揚したのを思い出す。
ムヘンでの冒険にも高揚感はあったけど、それとは違う。
異世界とはいえ、ここは日本だ。
自分の国の風土の中で冒険するというのは格別なのだろう……思うけれどもしまい込む。
一刻も早く、瀬戸内海を渡って本州の土を踏み黄泉の国を目指さなければならない。イザナミを連れ戻してイザナギとの国生みを完遂させなければ、この物語は破綻……いや、消滅してしまうかもしれない。
「嵐が収まったのか、対岸が見えるぞ」
ヴァルキリアの姫騎士には戦の嗅覚がるのだろう、疾走しながらも周囲の景色や状況が冷静に見られているようだ。
「あれは小豆島だよ。後にミカンの名産地になる」
「ミカン……オレンジのことですか?」
「ああ、オレンジよりも小振りだけども、味がいい」
「オレンジ以外にも懐かしい香りが……」
タングニョ-ストも、疾駆しながら余裕の観察。
「オリーブの栽培でも有名になるからね」
「美しい海だ。名前はなんと?」
「瀬戸の海、つづめて瀬戸内海とも」
「うん、やさしい響きだ」
「船に乗って嫁ぐ花嫁と島の分教場が似合う海だよ」
……ああ『瀬戸の花嫁』と『二十四の瞳』のことか。お祖母ちゃんが好きだったなあ。
「中国の役人が初めて瀬戸内海を通った時に『日本にも大きな川があるではないですか』と褒めたことがある」
「川だと?」
「晴れていれば、真ん中を通っても両岸が見える。大陸の感覚では黄河とか長江なんでしょうね」
「フフ、大きければいいというものでもないだろうに」
「あれは、なんですか?」
タングニョーストが、島に広がる緑の縞模様を指さした。
「中国の役人も同じことを聞いたよ。同行した日本の役人が、船のデッキから指さして答えた『段々畑です』。島の農民が撫でるようにして段々畑を営んでいることが、役人には嬉しい。誇るべき勤労の成果なんですね」
「それは分かる、ブァルキリアの北欧でも、少しの平坦地でも利用して畑を作っている」
「中国の役人は、こう記録しました『耕して天に至る』」
「大げさだなあ」
「続きがあります」
「「続き?」」
ヒルデとタングリスの声が揃う。
「『耕して天に至る、貧なるかな』と。島々の山の頂まで耕さなければならないのは、国が貧しいからだと憐れむんですね」
「失礼な役人ですね」
「フフ、面白い話だ」
タングニョーストは憤慨し、ヒルデは面白がる。イザナギが時空を超えて日本のあれこれを知っているのも床しいことだけど、ケイトは話に付いていけない。
「なんだか授業を受けているみたいだ(^_^;)」
わたしは、こういう会話が懐かしい。
いつか冴子と、こんな感じで話ができる日々が戻れば……思った頃に高松の町が臨める峠に着いた。
え!?
眼下に見えたと思った高松の家々から火の手が上がったかと思うと、ほんの数十秒で町全体を呑み込むような煙になった。
「フフフ……義経というやつ、なかなか面白いことをやるなあ……」
ヒルデが、同類を見つけたように笑った。
☆ 主な登場人物
―― この世界 ――
- 寺井光子 二年生 この長い物語の主人公
- 二宮冴子 二年生 不幸な事故で光子に殺される 回避しようとすれば逆に光子の命が無い
- 中臣美空 三年生 セミロングで『かの世部』部長
- 志村時美 三年生 ポニテの『かの世部』副部長
―― かの世界 ――
- テル(寺井光子) 二年生 今度の世界では小早川照姫
- ケイト(小山内健人) 今度の世界の小早川照姫の幼なじみ 異世界のペギーにケイトに変えられる
- ブリュンヒルデ 無辺街道でいっしょになった主神オーディンの娘の姫騎士
- タングリス トール元帥の副官 タングニョーストと共にラーテの搭乗員 ブリの世話係
- タングニョースト トール元帥の副官 タングリスと共にラーテの搭乗員 ノルデン鉄橋で辺境警備隊に転属
- ロキ ヴァイゼンハオスの孤児
- ポチ ロキたちが飼っていたシリンダーの幼体 82回目に1/6サイズの人形に擬態
- ペギー 荒れ地の万屋
- イザナギ 始まりの男神
- イザナミ 始まりの女神