ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

バッハ:「我が心よ、おのれを潔めよ、我は自ら墓となりてイエスを迎えまつらん。」(マタイ受難曲より)

2011-03-22 | CDの試聴記
未曾有の大震災から、まる10日が過ぎた。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
また、一日も早い復興をお祈りしております。

そして、この10日間、私にとっても、あまりに多くのことがあった。
11日の大震災発生時は、ちょうど秋田で講演を行う直前だった。
当然のように講演会は中止になったが、「停電」「寒さ」「連絡がつかない」「情報がない」という4つの状況が重なったこともあり、
「世の中は、今どうなっているんだろう。またどうなるんだろう。そして、自分の家は? 家族は? いつ自宅に帰れるのだろうか?」等々、私は今まで感じたことのない大きな不安に襲われていた。
その後、避難所等に身を置きながら、奇跡的な経過を経て、大地震発生から2日後の夜、なんとか無事に自宅に帰りつくことができた。
お世話になった方、心配していただいたすべての方には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。
人の温かさ・優しさというものを、今回ほど強く感じたことはなかった。
日本も、決して捨てたもんじゃない。
大袈裟な言い方になるが、私の人生観が変わったような気がする。
このあたりは、いずれ詳しく書かせていただくつもりだ。

そして、少し平静を取り戻しかけた矢先に、出張の車中で父の死を聞かされた。
血のつながりはないものの、父は精一杯の愛情で私たちを包んでくれていた。
年末に脳出血で倒れてから危ない状態が続いていたので、いつかこの日が来るとは思っていたが、
現実のものとなると、やはり心の中に大きな穴がぽっかりと穴が開いたような気がする。
「永い間、本当にありがとうございました。安らかにお休みください。」

原曲の意味合いとはいささか異なるが、今の私には、この曲しか考えられないという音楽がある。
それは、バッハの「マタイ受難曲」の中で、最後にバスによって歌われる「我が心よ、おのれを潔めよ・・・」で始まるアリアだ。
「悲しみよりも感謝」、「慟哭よりもすべてを超越した清らかさと安らかさ」を特徴とするこのアリアこそ、私はいま聴きたい。
リヒターの旧盤でこのアリアを歌うフィッシャー=ディースカウは、文字通り、神がかり的な名唱だと思う。
優しく包み込むような表情の向こうに、希望が見えるような気がする。
大地震で無残に倒れてしまった我が家の書架の中で、このリヒターのマタイは奇跡的に生き残ってくれた。
心より感謝します。

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244
<演奏>
■エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)
■ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)ほか
■カール・リヒター(指揮)
■ミュンヘン・バッハ合唱団
■ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほか
<録音>1958年6-8月、ミュンヘン、ヘルクレスザール


コメント (6)
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