毎日新聞 2020年6月15日 東京夕刊 『コロナ共存「生命哲学」必要 感染拡大の中心地・NYで生物学者が考えた』掲載の生物学者の福岡伸一氏の記事に納得するところがたくさんありました。
(以下抄録) 「このウイルスが『新型』と名付けられたことによって、初めて出合う未知のウイルスという恐怖が先行しました。」 「ゲノム(全遺伝情報)の解析技術の進展によって、中国・武漢で検出されたウイルスの全構造がたちどころに判明し、これまで知られているコロナウイルスとは違うタイプだと分かりました。ただし、かなりの部分は類似していました。なので、コロナウイルスの『一種』と呼んでいれば、これほどの混乱は避けられたかもしれません。最初の患者が武漢でたまたま見つかっただけで、以前からどこかに潜んでいたウイルスが顕在化したに過ぎません」
日本は欧米諸国と比べて新型コロナの死亡率が低いが、「理由はまだわかりませんが、少なくとも『民度の差』ではないでしょう。ウイルス株の差異かもしれないし、宿主側の遺伝的背景かもしれない。BCGなど免疫経験の差かもしれない。これらが解明されるにはもう少しデータと時間が必要です」。
長期的にはインフルエンザと同様、このウイルスと共存する社会になると予見する。福岡さんが考える「共存」とは、ウイルスの存在により起こる一定のリスクを受け入れること。「例えばクルマ社会に生きる私たちは利便性を享受すると同時に、交通事故を起こす危険性も知っています。新型コロナもリスクを受け止めつつ、共存するものになると思います。」
長期的な共存には、ワクチンの開発や治療薬の確立が不可欠だ。「ただ、来夏に延期された東京オリンピックまでにワクチンや特効薬がすぐにも完成し、霧が晴れたようにコロナ問題が解消して、世界中が祝祭的なムードに包まれるということはないでしょう」。
氏はさらに、人類が生き残るには多様性こそが重要、と語っています。
コロナについて、恐ろしい未知のウイルス、というイメージが広がったことは確かです。武漢のロックダウン、そしてイタリア、ニューヨークの惨状が決定打になりました。たまたま武漢で発生しただけの、コロナの一種だった。しかも当初から死亡者は高齢・持病持ちが大半、ということがわかっていました。同じコロナの一種インフルエンザと違って、若年層や子どもはピンピンしている。どちらかといえば対処しやすいウイルスだったかもしれませんが、惨状を見てパニックになってしまった感があります。
日本だけでなくアジア諸国は死亡率が欧米の数十から百分の一以下、というのは不思議ですが、福岡氏の言う通り 『民度の差』 ではないでしょう。しかもアジアの中では日本はかなりの劣等生で、台湾や中国、韓国より悪い。ベトナムではいまだに死者ゼロだそうです。日本の対策が成功したなどというのは噴飯もの。そんな勘違いをしていては今後の対策を誤る可能性が高くなります。
新型コロナのリスクと共存するしかありません。それを小池知事のように 「ウィズ・コロナ」 などというスローガンにされると反感を持たざるを得ません。リスクをきちんと説明して国民の納得を得る、その努力をしないで、言葉だけ、スローガンだけではダメです。政府はもっと何もしない、デクノボウ集団です。
ワクチンの開発や治療薬について、福岡氏は楽観論を戒めています。ペニシリンのような劇的なことはもう起こらないのでしょう。50代以下にはたいして危険でないウイルスなのに、ワクチンで副作用が多くなっては本末転倒です。アメリカで開発中のワクチンを確保するため政府が交渉中とのことですが、慌てる乞食は何とやら、にならないようにしてほしい。無駄なアベノマスクは受取拒否でいいが、ワクチンや医薬品の副作用はそうはいかないのですから。
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