クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

詫び状

2016年06月16日 | 日記
 先日、妻宛に1通の封書が届きました。差出し人は妻が習い事の講座でご一緒している方ですが、特別に親しくして戴いている関係ではないようです。それだけに妻はかなりの不安の中で開封していました。しかし、その内容は妻の不安とは全く関係なく私に対するお詫びに終始していました。もう、1年ほども前になると思いますが、ある件でその方は30分間くらいに亘って強烈な憂さ晴らしを私にされました。私には全く関係ないことでです。その事はご自身でも分かりすぎるくらい分かっておられた、と思います。ですが、にもかかわらず感情むき出しでした。私はただ、聞くだけにしていました。私は別にそのことに腹も立ちませんでしたし、その後もその方に対しての悪い感情も湧きませんでした。ただ、そういう事実があったことだけが記憶に残っただけでした。今回の詫び状で、その方自身が激しい後悔と私に対する申し訳なさにずっと、今日まで悩み続けてこられたことが分かりました。80歳を超えられた女性ですが、当時は、それまでの生活の中で溜まり溜まっていた、ある人に対するどうにもならない腹立ち、鬱憤を誰かに、何処かで発散しなければ収まらないまでに陥っておられたのだと想像します。今回のことは結局は、ご自身で自分を更に苦しめることに導かれた、のだと思います。