怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

リスも忙しい秋の収穫

2016年10月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
夫撮影の動画。


市街地に行くとリスをよく見かけるが、最近は特に頻繁になってきた。
越冬のための食糧を溜め込む仕事が忙しいのだろうか。
ここに住むリスたちは頬袋がない様子なので、果たしてそうなのかどうかよくわからない。
ともかく、忙しそうだ。
二匹で追いかけっこをして遊んでいる様子も見られるが、それは遊んでいるのではなくえさを奪い合っているのだ、という夫の意見。
あーあ、夢を壊さないでぇ・・・
いや、実際のところ、リスたちも真剣勝負、きっと一個のドングリに闘争中だったんだ!?
明日のご飯のために、さあ今日もせっせと働こうっと。


ゴミ箱のすぐ後ろでなく、そのまた後ろの木で、リスの追いかけっこを観察できた。
撮影するにはかなり距離があったので諦めた。

珍しく寝込む

2016年10月19日 | カテゴリー分けするのに飽き
風邪を引いた。
いろいろな約束のキャンセルのメールを書き、電話をして寝込む準備をした。
私が何もしなくても、この家のすべての物事は義両親が支配して片付けている。夫など金を稼ぐことしかやっていない。(その稼いでくる金の量が問題で、少なすぎるからこのように居候していて、もし、もっと稼いでいて別の住居に住んでいたりすると、私も寝込んでいられないだろう)

寝込み準備に枕元に用意した特別な物資。

吸い飲みはこうした緊急事態を想定して、帰省時に買っておいたものだ。
風邪を引いているときには食べずに水分摂取、というアドバイスを受けたものの、布団から起き上がってカップで水を飲む気力も無いときに、これは本当に便利だ。
もちろん、健康時でも起き上がって飲むのが面倒なときにとてもよろしい・・・
某愛用航空会社の袋は、防水加工されている嘔吐用のもの。
頭痛で嘔吐することがたまにある私、枕元にはビニール袋を普段から用意してあったのだ。どうも、事後、中身が見えるのは自分で生産したものでも手に取るのがおっくうになるので、帰省のたびにちょいとづつ集めている。
すでに何年も吐くことがないので、結構たまっている。

義母が「鶏のスープを作りました。食べますか」と寝室まで来て尋ねた。
まったく食欲が無いので断っても、しぶとく尋ねるので(ドイツ人には断っても承諾するまで尋ね続ける人が何人かいる)仕方なく、食べると答えてフラフラしながら台所に下りていった。
案の定、アブラがたっぷり浮いていた。食べた後のもたれ感は最高で、吐きそうだった。
おおっ、集めておいたあの袋が役立つな、と期待したのだけれど、幸いなことに使わずに済んだ。

PCに向かう気にもなれなかったのでかなり激しい体力消耗だった昨日までの私だ。
今日は無事に復活し、りすぱわーを発揮している。


村木真寿美さんの講演会

2016年10月18日 | カテゴリー分けするのに飽き
ニュルンベルク在住筑紫俊子さんのお友だちの講演会のお知らせ。
村木真寿美さんだ。
日本在住の方々でも、村木さんはたくさんの著書があるのでご存知の方は多いことだろう。

ニュルンベルクで開催される。
留学、たまたまドイツを旅行中の方々にもお勧めしたい。

詳細はこちら。 ノンフィクション作家 村木真寿美氏 講演会


出来合いケーキもおいしい

2016年10月17日 | カテゴリー分けするのに飽き
某会合に集まった軽食。
出席者がそれぞれ持ち寄ったものだ。

中央のは私のおにぎり。ほぼ全員が人生初のおにぎり体験だった様子だ。
「これは寿司ですか」という質問や、
「夫に食べさせてみたいです、持って帰って良いですか」という発言もあった。

休憩時間をとらず、勝手に立ち上がって取りにいける気楽さ。
このプンパニッケルを使った、見目麗しいフィンガーフードは目を楽しませてくれた。

このケーキはとてもおいしく感じたので、褒めたら、買ってきたものだと知った。
ちょいと気まずく思ったのは間違いだろうか。
自家製ケーキを最上と思い込んでいる私の意識の問題かな。

私の皿。
プンパニッケルのこれは一つだけ食べて、終わりにしておいた。


こうした会合に出席するのがたびたびになると、その会で性質による頻繁に使われる語彙でなんとなく内容がわかってくるような印象がある。
だとしても、付き合いで出席している私としては、まだなかなか辛いものがある。
そのうち、その段階を脱して、なんとかついていけるように期待はしている。
今のところは、皆が持ち寄る食べ物目当てにせっせと通う私。


アレヴィー派アシュレ(Aşure)の日

2016年10月16日 | カテゴリー分けするのに飽き
数年前からトルコ人知人に招かれていて、やっと参加できた催し物。

イスラムの一派であるとされるアレヴィー派の集会場(いや、祈祷所?モスク?)に行った。
イスラム教各派にある「アシュレの日」なんだ。
 
アシュレについての解説は、日本語で検索するとたくさん出てくるし、レシピさえあるので試してみて欲しい。
ここ、アレヴィー派の集会場の台所の隅でアシュレが作られていた。
「どうぞ、撮影してください」
頭巾の女性は誇らしげにしている。この頭巾の被り方はあきらかに他のイスラムのそれとはかなり違い、単なる髪をまとめる道具となっている。

驚いたことに、祈祷シーンまで撮影許可してくれた。
二人のイマームによる短いお祈り。

鍋の前の紙ごみが気になるのは日本人な私だけ・・・
祈祷の様子は、まるでキリスト教のそれを彷彿させるようだった。
顔の前で手を交差させるしぐさは、十字を切っているようにも見えたんだ。
 
午前10時過ぎに開始され、お祈りのあとはアシュレと朝食を食べた。
器に入ったアシュレ、他のサイトのものと比較すると明らかに質素にみえる。
ナッツ各種と麦類が入っていた。砂糖たっぷり、この器の一人分もたっぷり。日本在住日本人女性には食べきるのが難しいだろう。
水や調味料も加えて12種の材料からできているのが重要だそう。
「キリスト教徒でも12使徒がいるでしょう、私たちも12人のイマームがいるの。これが他のイスラムと違うところよ」
会場には二人の知人がいて、交互に教えてくれた。
孫の世話で忙しいE子さんの娘さんの旦那さんはフランス人だそう。
フランスにはドイツよりさらに多くの外国人が古くから住んでいるから、同じ宗教の人と予想した。
「彼はカトリック教徒よ。私たちは、自分たちの宗教を強制しません。たとえ、家族でも」
「経典?コーランよ。何度も読んでいるけれど、あれは私には合わないと思っています」
耳を疑う発言を次々と聞かされ、ぶったまげていた私だ。

かなり広いこの講堂はさまざまな政党の集会などに貸したりするらしい。
広く自分たちの宗教と、その場を公開している大らかな人々だ。
こんなだから、当然、本格(?!)イスラムからは嫌がらせや虐殺が絶えない様子。

羽が血で汚れているカレンダーのイラストだ。

ドイツ各地にこのアレヴィー派の施設があるようなので、ドイツ在住の方々は来年のアシュレの日には訪ねてみたらいかがだろう。
部外者歓迎、厚くもてなされること間違いなし。
毎年10日ほどづつ早くなるので、2017年アシュレの日は10月上旬になる。


古本に囲まれて。

2016年10月15日 | カテゴリー分けするのに飽き
古本屋の店番のような仕事をときどきしている。
そこには凄まじく古い本がたくさんあるんだ。
 
見た目も古いけれど、開いた1ページ目に書かれた年が凄まじい。1925年?
蔵書印という習慣が無いのか、持ち主の名前が書かれてあることがときどきあるんだ。
 
これは発行年なのか、出版社が創立した年なのか、考えてしまった。

昔の書籍はどれも表紙が質素ねぇ。
 
1915年って・・・ひゃ、百年前の本?
誰かに尋ねてみたいけれど、私のようなろくにドイツ語が話せない人物を使うくらい逼迫した状況なので、いつも私しかいないんだ。

ひょえー。1899年!その本には1905年と記載が。
 
こんな風に、ぞろぞろ揃っている。
 
先祖が残したものを持っていた高齢者が亡くなって、処分に困ってここに持ち込まれたのかな、と想像。

私の祖父母やその親など、読書という習慣を持っていたかどうかも怪しい。
ドイツだって、おそらく同じようなものだと思う。
書籍は今の感覚より高価だったろう。きっと、お金持ちの所有物だったのだろうな。
現在90歳近い東京に住む知人女性が、
「子供の頃、将来は本に囲まれた生活をしたいと思ったものよ」
と言っていたのを思い出す。神戸の貿易商で比較的恵まれた家庭に育った彼女の発言だった。

日本の生活でここまで古い本を手にとって見たことはない。
日本の多湿な環境で、本のように装丁されている物資は長期保存が難しいのかもしれない、と予想した。
いや、どこかにはちゃんとあるのかしら。

物乞いの増加

2016年10月15日 | カテゴリー分けするのに飽き
ドイツ生活でいやな物事に一つは、家を回って金品を要求する物乞いがいることだ。
道端に座り込んで黙って物乞いしている人々(黙っていなくて「ハロー、ハロー」と声をかける者もいるが!)と比較すると、人生物乞い生活やる気に満ちていて素晴らしいかもしれない。
最近は毎週のように土曜日の午後にやってくる。
たまたま玄関の近くに私がいると、窓から覗いて誰がいるか確かめる。
義両親たちに「呼び鈴が鳴ったら、すぐにドアを開けず、どんな人物がいるか確かめてからにしろ」と教育された結果だ。
インターホンが無い遅れた我家の生活の知恵だ。

先週末も窓から覗いたら明らかに物乞い風の顔立ちの女が立っていた。
肌色がドイツ人一般より濃い目なのと、顔の表情でそれとすぐに判別できる。
服装では、物乞いかどうか見分けがつかない。
特に貧しそうな服を着ているわけではない。いや、ここ周辺のドイツ人たちの服が物乞い並みなのか?
そういえば、シリアの様子をテレビで見ていたら、ドイツの有名スポーツブランドのシャツを着ていたりする人々がいたな。
ここで難民たちがそれらの製品を着ていても、全然不思議でないことがわかった。
窓から私を見た物乞い女は「ハロー」と言った。覗かれたことがばれたか。
急いで私は二階にあるカメラを取りに行った。
戻ってくると、義母が玄関あたりをうろついていた。
「物乞いが来ています!開けないで!」と私は説明した。
カメラを持っている私を見て、義母は撮影を制止しようとした。
ま、普通そうだよな。
こんなやり取りをしていたら、物乞い女は諦めたらしく、義母が窓から覗いたときにはすでにそこにいなかった。

ウチを出て行くところの物乞い女を撮った。

栄養状態は過剰そうな印象。
体格においては私の方が物乞い風さ!
彼らは一台の車に乗って、こんな田舎までやってくる。
家族で自動車を保有できるほどだったら物乞いをする可能性は低いだろう。
何か、物乞い組織があって彼らが方々を回って金を集めているのかな。

友人の一人には「彼らには一切金品を与えてはいけない、玄関も開けてはいけない」と言われている。
与えれば、さらに物乞い行為が普及するから。玄関を開けると、彼らは家の中を観察して盗れる物があるか観察し、ある日留守を狙ってお持ち帰りするらしい。

ここのところ、物乞いがとても増えたような印象だ。
街中の座り込んで物乞いしている人々の数は明らかに増加。
いい場所は許可を得ているような古参が占領し、「こんなとこで?」と感じる場所は新参者がいる。
車でしかいけないようなスーパーの前に物乞いがいたこともあった。
そのスーパーの従業員と思われる男たちが追い払った様子を見た。従業員の白くてでかい図体と、浅黒くて小さい男の対比がはっきりしていて、なぜか見ている私が惨めな気持ちになった。

何か印刷された紙を持って、街やスーパーが集まっている場所に出没し、金を集めている人々もいる。
一人は「耳が不自由です、お恵みを」という内容のものが書かれていた記憶がある。
無視したら、ちゃんと私に向かって罵倒の言葉を叫んでいた。
数週間前に遭遇した男が持っていた物には何が書かれてあるかわからず、撮影しようとしたら、
「何するんだ!」
と当然だけれど彼は怒りまくって行ってしまった。
ふ、馬鹿な奴、って私が手を振ったら、なぜか彼も私に手を振って挨拶していた。

世界のほとんどに物乞いは存在するのだろう。
これからも物乞い業は消滅する可能性は少ないと思われる。
彼らをどのように向き合っていくのかが、私の今後のドイツ生活の課題だ。
夫などは訪問物乞いは「帰ってください」とぴしゃり、とやる。
義母はそのときの気分で小銭を与えたりしている。
無視して、写真撮影、ではまるで消極的だ。

日本は訪問販売や訪問布教に悩まされたが、ここでは訪問物乞い。
なんだか、レベルが・・・おっと、止めておこう!

アフガニスタン人ドイツで受難

2016年10月14日 | カテゴリー分けするのに飽き
いつもはおしゃべりなアフガニスタン人男性Sさん、今日は違った雰囲気で黙り込んでいた。
「どうしたんですか」
気になって尋ねてみた。
「昨日、手紙が来て、来週中に今のアパートを出なければならないことになったのです」
そ、それは本当に深刻な問題だぞ。
よく聞いてみると、次の住まいは大屋さんが用意しているようで、とりあえず住むところは心配ないらしい。
「この四年間、小さい部屋だけれど、一人暮らしを楽しんでいました」
その前は四人部屋で、Sさん以外はみなタバコを吸う人たちで、非常に苦しい思いをしたのだそう。
次の住まいでは、また別の人と同室になったりするのではないか、と悩んでいるらしい。

出なくてはいけない住まいは、改修されて近所にある大会社A社の社員のために提供されるのだとか。
Sさんは労働許可が出ていない難民だ。彼を住まわせるよりA社社員を大屋さんは選んだのだろう。
それにしても、急な話だ。
同席していた若いドイツ人女性は「そういうのは少なくとも三ヶ月以上前に通達するのなのよ」と憤っていた。

難民たち、ずいぶん優遇されているイメージだが、実際の生活ではこんなことが容易に起こるのだろう。
稼いで自分の好きな住まいに住む自由はSさんにはまだ無い。今月下旬には滞在許可に関して裁判所に行かなければならない。
不安定な身分、母国は戦場。親兄弟はみな外国にちりぢりになっている淋しさ。

大変だろう。

アフガニスタン人女性S子さんとはすでに3,4年の付き合いだ。
あまりにも日本人女性的な顔立ちなので、私から話しかけたのがきっかけだった。ドイツでイスラム頭巾姿の日本人がいるのか、と興味があったんだ。

10歳と6歳の男児がいて、先月末にもう一人出産した。
子供たちは新しい赤ん坊の頬や額にキスしまくっていた。愛情表現豊かなアフガニスタン人男性はこうして育つのかしら。
彼ら一家の住まいはワンルーム。
五人が一部屋で暮している。台所は無く、数世帯で一つの共同台所を使う。
「何度ももう少し大きい住まいを申請しているんだけれど」
とS子さんが以前、言っていたのを思い出した。
旦那さんは仕事をしていない。労働許可が無いのか、仕事が無いのか。
命があるだけ幸運、という考え方もできるけれど、あの部屋でこれから何年も暮らすのは不可能なような気がする。


いったい、ドイツ政府はどういう考え方でいるのだろう。
ウチの集落の掲示板に、住居提供の呼びかけ文書が貼られていたなぁ。
なかなか難しいだろう。
ウチ周辺ではせっせとコンテナ住居を建設している。一家に二部屋の住まいはあるのかな。


ちょいと平和な写真。バス停の迷い猫探しポスター。
 
飼い主は失踪した愛猫を思って涙の日々だろうか。
もっと、きちんとテープを強めに貼ればいいものを・・・といつものドイツのテキトーさに共感して撮影した。
難民たちを受け入れたのはいいものの、その後はテキトーなのだろうか、うーむ・・・

欧州人の髪の量

2016年10月13日 | カテゴリー分けするのに飽き
最近親しくし始めたスペイン人S子さん。
在独二年、専業主婦。母国では化学関係の技術者として働いていたとか。
彼女の一つにまとめた髪の束が異様に太かったので尋ねた。
「髪がたくさんありますね」
すると彼女は、
「そうなの、いつも美容師を悩ませるのよ。ヨーロッパ人女性標準の五倍の量があるそうよ」
ご、五倍!
それは凄まじい。

義母が言っていた。
義母のお母さんは死ぬまで髪の量が多かったそうな。まとめた髪を片手で掴むと、掴みきれないほどだったそうな。
「抜け毛を防ぐには髪を洗い過ぎないことです」
と、義母は自分の母親の髪の手入れ方法を観察して、そういう結論になったらしい。
私は週に二度ほどシャンプーする。義母によると、それは多すぎるのだとか。
何度か週一シャンプーに挑戦してみたが、髪のべとべと感の不快感に堪えられない。
そこを通り過ぎると、違ってくるのだろうけれど。


結ってまとめた太さを撮影したかったのだけれど、S子さんは自分の豊かな髪を自慢したかったのかもしれない。
さっとほどいて後姿を撮らせてくれた。
彼女がどの程度シャンプーするのか尋ね損ねた。

S子さんはマドリッド出身だ。
10月のドイツの気温はマドリッドの一番寒いときのものだそうだ。
寒がりを自称する彼女、欧州人にしては珍しく、物凄い厚着で外出する。
それでも、先週は風邪を引いたらしく、会う約束をキャンセルしていた。

嬉しい知らせを聞かされた。かいにーん!
卵巣の手術を数ヶ月前にしたばかりで、しかも医師に妊娠を諦めることを宣言されていたそうだから喜びはひとしおだろう。
「来週から実家に戻ります」
と言った。
マドリッドで出産するようだ。
おいおい、ダンナはどうする?
「彼は仕事ばかりしているし、私はここで日中一人で淋しいし、とにかく、ここの気候は寒いし」
それだけもっともな理由が揃っていれば、せめて妊娠期間中は実家で楽しく暮らした方が胎教にもいいだろう。
スペインは医療保険に入っていなくても、妊娠・出産には費用がかからないという利点も利用する様子。
スペイン人の旦那さんはここで長期を一人で暮らさなくてはならない。
しかも、彼はほとんどドイツ語ができないそうな。
職場は英語が使われているという某企業には、そういう男性が複数いることを私は知っている。

彼らの新婚旅行先は東京だったそうな。
「普通はリゾート地に行くのだろうけれど、私たちは印象に残る旅行にしたのよ」
ですって。

では、今回の別居状態で夫婦仲に亀裂が入らないよう、充分気をつけてね、S子さん!

庭に石を敷く計画

2016年10月12日 | カテゴリー分けするのに飽き
将来、庭をどうするかということを真剣に考えると気が滅入ってくる。
夫も義姉も義両親の熱心な庭仕事ぶりを見て育ったはずなのに、ほとんど関心がないのはどういうわけだろう。
人は必ずしも育った環境に影響されるわけではないいい例だな。

在独日本人仲間からのアドバイスがあった。
野菜や花を植えるより、芝生や石を敷きつめるほうが楽だ、と。
芝生は定期的に刈らなくてはならないけれど、石はもっと簡単だそうな。
石は安くないらしいが、それでも手入れにかかる時間などのコストを考えるといいらしい。
そういえば、事業所の建物の周辺などは石が敷きつめられていることが多い。
防犯で家の周囲に石を敷きつめるという話は実家生活で聞いたことがある。
ここで、この写真の石の上を歩いていても、音はほとんどしなかったぞー。
 
土がむき出しだと雑草が生えるし、芝だと刈る手間がかかる。
石でも少しは手入れが必要だ、というシーンも発見。

日本だったら事務やっている従業員に「ちょいと抜いてくれ」と頼むことができるのだろうが、
ここは難しいのかもしれない。
「アタシは庭師ではありません」とか言うのかなぁ。
彼女は自宅の庭の手入れはせっせとするに違いないが。

私が買い物などでときどき訪れるこの地域は多くの企業が集まる場所だ。
はっきり言って、空気も臭い。
ここに居住している人もいるんだ。ドイツでもみんなが環境問題に熱心でないということがよくわかる。

飯時に外を歩いている男性たちが着用しているのは、だいたいジーンズだ。
男性のスーツや工場作業用の制服姿もほとんど見られない。
パン工場もある。食品工場の作業着で外出するのは不可能だろうな。

庭のこと、家屋のことなどが実際の問題になるのはもう少し先になるだろう。
ヨメの私がひどく気にしてもどうにもならない。
黙って、義両親の庭仕事ぶりを観察しておくことにしよう。






室内暖房は28度

2016年10月12日 | 家屋
外気温は急に下がった。
最低が0度、最高が10度前後の日々が続いている。北海道旭川市と同じくらいだな。
いつもなら、台所が一番初めに暖房が入るのに、今回はなぜか冷えたままだ。
義両親たちは家の中で凄まじく着込んでいる。ブーツのような室内履きを履いている。
いよいよ灯油をもっと節約するようになったのだろうか、と戦々恐々の私だ。

浴室だけは贅沢に暖房をしている。

夫が勝手に暖房を入れるだけなのだけれど。
  
冷えた台所やりす部屋から浴室に来ると幸せな気分になる。
東京辺りではウチのこの浴室程度の広さの部屋で暮している人々はたくさんいると思う。
そうだ!この部屋で暮そう、とか思っちゃう。


さて、友人宅。
室温はいつでも28度を下回ったことが無い。
それは上げ過ぎなのではなかろうか、と思って提案するのだが、
「これ以上下げると、夫が帰ってきて寒がるので」
という答えが返ってきた。
私だったら、日中は20度くらいに下げ、ダンナが戻る少し前に暖房を強くするだろう。
ああ、私も義両親に負けないくらい節約に熱心なのかもっ
彼女は家の中で素足で過ごしている。義母のブーツ室内履きの様子と比較すると雲泥の差だ。

植物たちも年中暖かくて幸せだろうな。
 
もっとも、彼女の住まいは集合住宅だ。
一戸建てより簡単に暖かくなる様子。一戸建ての暖房コストは凄まじい。

こうして窓を少し開けて換気するのだけれど、暖気が逃げてもったいないな。
いや、必要なのだろうけれどぉ・・・

彼女の家から戻るとき、途中からウチまでを徒歩で歩いてみた。
羊がいた。
畑もどんどん利用方法が変わっていくものだな、たまに観察に歩かなくてはならないな。
 
歩いているうちにだんだん暖かくなって、とうとうジャケットが暑く感じるようになってしまった。
家の中でせっせと働いている義両親たちは暖房無しでも身体が暖まるのだろうか、とふと怠惰な自分に気付いた。

四日以内に金が入るか実験

2016年10月11日 | カテゴリー分けするのに飽き
こんなメッセージをもらった。

今月10月は土曜日が5回、日曜日が5回、月曜日が5回あります。

これは823年に1度しかありません。これは風水でお金の袋と言われてます。

この事を少なくても5人の方に伝えると4日以内にお金が舞い込んでくると言われてます。


チェーンメールっぽいので、きっとラインやメールでひとりひとりにコピーペイストして送るのが正しい方法なのだろう。
はっきり言って、この文章を送ってくれたC子さんにイラッとしたのは確かだ。
でも、そのいやな気分を長く自分の思考の中に収めておくのは人生において損失だけ。
こうして、公開して、すっきりさせよう。
少なくとも、私のブログは毎日5人以上読んでくれているから効果は絶大のはずだ。
C子さん、イラッとしてごめんね。大丈夫、もう気分は晴れているんだ。


午前中、ちょいと出かけたついでにいつも気になっていた新しいスーパー内にある、ちょいとおしゃれなパン屋のカフェに行ってみた。
きちんとした食器にゆったりとくつろげる椅子で快適だった。
ちょうど昼食時で、近辺の事業所に勤務の人々が大勢いて人間観察も楽しかった。
家で義両親たちと昼食を摂らなかったのもラッキー。極簡単な昼食だ。たまにはこんなのでも良いだろう。

アブラを入れ忘れたマフィンはおいしい

2016年10月10日 | カテゴリー分けするのに飽き
マフィンを焼くのを手伝った。
冷凍保存しといたプラムを小さく切った。義母がそばで生地を混ぜていた。
「スプーンで型に入れなさい」
「上にプラムを載せるのよ」
「ああ、だめだめ、こぼさないように!」
いつものようにうるさい。
生地を型に半分ほど入れたところで、義母が叫んだ。
「ああっ!油を入れるのを忘れたわ!」
計量カップに200ミリリットルほどの油が残っていた。
私は「やった!」と心の中で叫んだ。
油抜き焼き菓子もおいしくなることが多いんだ。

義母は油を瓶に戻しながら「まあ、なんとかなるでしょう」と自分を慰めていた。

焼きあがったところを食べてみると、とてもおいしかった。
盛大に義母を褒めておいた。
次回もアブラを入れ忘れてね!
いつもなら1個で胃が重くなるのに、アブラ抜きマフィンはいくらでも食べられそうだった。
12個焼いたのがすぐに半分ほどになった。
写真のマフィンにはプラムが全然見えない。下に沈んでいる。

さて、夫は残りを夕食として食べようとした。
「うっ、何これ!甘すぎる」
顔をしかめて言う彼に、私は「でもこれはアブラ抜きで健康的です」と説明した。
夫にとっては油脂より砂糖の方が危険物資だ。
すでに私の味覚は狂っている。基本的に甘いものは大好だ。日本のお菓子は砂糖不足。
夫は二つほど食べて、止めていた。

お義母さんよ、アブラ抜き、砂糖控えめで焼いてくれ。面倒な息子とヨメに付き合ってくれ。


会議出席は無理

2016年10月09日 | カテゴリー分けするのに飽き
フィリピン人女性四人と一緒に軽食レストランへ行った。
ウチの近所に住むR子さんと私はすでに食事を済ませていたので、飲み物だけ注文した。
 
なんだかおいしそうなスープやカレーのようなものだな。

基本、外食は避けている私だ。まあ、その主義を貫くのも悪くない。
彼女らの会話はタガログ語と英語が混ざっている。フィリピンに英語が広く普及していることがよくわかった。
シンガポール人なども、英語が混ざるのだろうか。混ざらずに英語だけの可能性もあるぞ。
ウチの街にもたくさんのシンガポール人女性がいるらしいので、いつかその様子を観察することができるかもしれない。

食事のあとにみんなで行ったのは移民女性のための会合だ。

私はR子さんにしぶとく誘われて、いささかしぶしぶ出席を承諾したんだ。

一番多かったのはフィリピン人。タイ人、南アフリカ人、イラン人の女性もいた。
ドイツで外国人が集まると、会話はドイツ語だ。在住国の公用語が使われるのは当然だな。
予想していた通り、私にはほとんど聞き取り不能だった。
いや、内容がわかったとしてもつまらないと思っただろう。
二時間半が苦痛だった。
みな、どうしてあんなに小難しい単語を知っているのか不思議でならない。
電子辞書を操作しながら会話を適当に聞いた。

小さな喜びはこれだった。
誰かが作ってきたバナナの葉に包んだもち米料理。
 
確か、マレーシアにも似た様な料理があったと思う。
懐かしい味がした。


消防団の訓練模様

2016年10月09日 | カテゴリー分けするのに飽き
日が暮れた19時過ぎ頃、ウチの前の公道が妙に騒がしいかった。
りす部屋窓から覗いてみたら、何やら消防車が数台停まって煌々とあたりを照らしていた。
事故か、火事か!?
慌てて階段を下りると、義父が「りす、早く来なさい。消防訓練だぞ!」
階段を降りきらないうちにまた二階に上がってカメラを掴んだっ

きゃー、何度も見ている消防車内部だけれど、いつ見てもかっこいい。
暗いので、なかなかきれいに撮影できないのが難点。
 ←クリックで拡大。でも盛大なピンボケ、注意。
消防署の訓練ではなく、ここの集落の消防団の訓練だそうだ。
つまり、プロ集団ではないってことだな。
放水訓練のよたついている具合をみると、なるほど、普段は別のことをしている人たちだと想像できた。


凄い水圧だろうから、ちゃんと持っているのは至難のワザなのだろう。
うん、私なんか、吹っ飛んじゃうかな!
高校生の頃、日本史の先生が地元の消防団に属していて、その話をしてくれた覚えがある。
こうした訓練をしたのだろうか、具体的な話を思い出せないのが悔しい。
当時、その先生は40歳代くらいだっただろう。
ここで、この日に見た訓練している男性たちは(女性はいなかった。消防署の職員は適性があれば女性でも採用されるそう。かなりの体力が要求されるらしい)皆20歳代くらいだった。

義母と熱心に話しこんでいた制服姿の男性と記念撮影。
まったくのバイエルン方言で、何を会話しているのかほとんどわからなかった。

ドイツ全土の小さい集落にもそれぞれ存在する消防団は、100年を超える伝統を誇るものも多いらしい。
記念写真集などが古本屋にあったりするんだ。(持っていても仕方がね、と手放すのだろうな、フフッ)
ウチの集落も、何かと消防団の行事があって、案内が来る。
そうそう、春先には新しい消防車のお披露目式があったな。私は行かなかったけれど、村の広報に記事が載っていた。
神父が消防車に向かって何か祈祷のようなものをしていたシーンがあって、びっくりした。
なんだかひどく世俗的で好ましく思えるぞ。

そういうわけで、消防団の若者たちもますますトレーニングに精を出していることだろう。
うん、火事、起こらないで訓練だけにしておこうね。