怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

白砂糖まみれの我家の食生活

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
義母が昼食の準備を済ませて、外出した。
コンロの上に置かれた鍋の一つはこれだ。私が嫌いな献立。
小麦粉を練って棒状にして短く切り、バターで炒めたあと、卵を入れて絡ませる。味付けは砂糖。

それに自家製スグリのシロップ漬けを添えて食べるんだ。


世の中は、白砂糖の摂取しすぎを警告していると思ったが、それは日本だけの現象なのか。
ドイツは相変わらず砂糖満載生活だ。まさか、ウチだけか?
義母も健康情報には敏感で、そうした記事をきちんと読んでいるはず。
いや、彼女の場合、気に入らない記事だと「それは私の意見と違う」と却下するもんね。
ドイツ人を洗脳するのは難しいかもしれない。

義母が帰ってきたら昼食だろう。
私はスープだけにして、この甘い料理を避ける予定だ。

難民のバス運転手

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
最寄のバス停から乗ったバスは、某大企業A社午後出社社員のために運行されているが、一般市民も利用していい。
乗り込むと、運転手が「A社行きですよ、いいですか?」とわざわざ一人ひとりの乗客に確認していたので、こいつは勤務初日なのかとちょいと不安になった。
「私は『工業地帯前』で下車します」と答えたら、彼は聞き返すので、もう一度言い直した。
まだわかっていなかった様子なので「降りる手前で声をかけます」とゆっくり言った。
「機械が壊れているものでね」
運転手はそういって、真っ暗な画面の機器を指差した。可愛そうに、初日に故障なんて、運が悪すぎる。
でもね、ここはドイツ、何でも故障するのよ~。自動扉が閉まらないことなんてしょっちゅうなのよ、直せる?
浅黒い肌の彼は、もしかしたら難民かもしれない。
事業所各所で難民を雇用しなければならない義務があるらしく、知人友人にその様子を聞いている。
ほとんどドイツ語ができないのにスーパーのレジに配置された難民がいて、そこで働いていた知人は即行退職した。
大企業A社では200人の難民雇用のため、それまで働いていた200人を解雇した、とも聞いている。
どこまで本当の話なのか疑わしいが(こうした話をする人は難民を毛嫌いしているから)どこかで難民を働かせなくてはならないのは実情だろう。

さて、あと数百メートルで下車するバス停、というところで運転手に声をかけた。
「次のバス停で下車します」
すると、なんと、彼はバスを停車させて私に聞き返した。
「なんですって?」
驚いたのは私だ、どうしてバス停でも信号でもない場所で車を停車させる!?
「ここではありません!」
そしてさらにゆっくり、
「わたしは つぎの ばすていで おり ます」
という具合で言った。

運転手には外国人が多く、すでに私も慣れている。
携帯電話でどこかの言葉で楽しそうに会話しながら運転する人も多い。(すげーっ)
たまに、バイエルン方言丸出しの運転手もいたりするが、とても珍しいので感心したりする。

バスターミナルの有人バスチケット販売所が閉鎖された。
 
ベニヤ板でいささか乱暴に閉じているのが、侘しい印象だ。
 
その侘しい印象をさらに増長させる、きれいな身なりの高齢婦人のゴミ漁り。
難民らしき人がゴミ漁り(デポジットつきのペットボトルやガラス瓶集め)をしているのを見たことがない矛盾。


好かれていない神父

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
八日に東京へ出発する女性のお母さんとはドイツ語教室で知り合ってかれこれ5年の付き合いだ。
数ヶ月に一度程度、招かれて一緒に彼女の手料理をごちそうになっている。
小さい街に住む私たちだ。共通の知人がどんどん現れてくるのはあまり驚かない。
今回知ったのは、義父と親しくしている卓球仲間の一人が、彼女の知人だったことだ。
「ちょっと待って、彼のことかしら」
と20年ほど前の写真を持ち出してきて、私に見せた。

「あら、若い!」
と私が驚いた。
彼はここの地域のポーランド人のためにポーランド語で説教をする神父だ。

「彼の説法はポーランド語で聞いても外国語のように全然わからないのよ」
「神父を家庭の食卓に招いたりするのだけれど、彼を招く気にはならないの」
要するに、嫌われているらしい。

その神父は、ウチにも出入りしている。
週に一度程度、義父と卓球の練習をしているんだ。
「ああ、参った!説教めいた話になっちゃったよ」
とときどき義父がこぼしている。
義母は「彼は狂信的なのよ」とちょいと避けているようで、いつも正午に練習を終える彼を一度も昼食に招いたことは無い。

要するに、ウチでもあまり好かれていない。
つまり、この神父はあまり、人気が無い・・・多くの人々に避けられている、とも言える。

私は彼とは直接の接触はあまりないけれど、なんとなく孤立している印象はあった。
神父という特殊な仕事だから、と思っていた。
拝み屋の一種である神父(こんな風に表現するとすでに存在してその歴史が長い彼らに失礼だが!)が人に好かれないというのは大きなマイナスだ。

「彼はきょうだいが四人いるのだけれど、一人を除いた三人が皆、神父なのよ」
ひえー、そ、それは熱心なキリスト教徒の家庭に生まれたのだろうな。

義母にこの話を伝えると、いつもの通り、彼女のこの神父に対する感じ方を一方的に話し始めた。
一度で良いから「あら、それは面白い偶然ね」とか何とか私の話を面白がってくれよ・・・

すでに高齢なこの神父。
何かきっかけで、もっと親しみやすい人物に変化する可能性は少ないかもしれない。
熱心な信仰心で、彼は彼なりに幸せなのかしら。
誰か、彼を食卓に招いてやってくれ、と思った。