怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

図書館の本返却でグローバル化を見た。

2016年10月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
明日が返却期限の書籍を持って図書館へ急いだ。
ところが、臨時の休館だった。
あわてることはない。数ヶ月前に設置された自動返却機を使えばいいんだ、と入り口すぐそばのそこへ行った。
あれれ?作動しないぞ。

画面をちらりと見ると、ぱっと目に入ったのは真ん中の日本語。

決して、日本人来館者が多いからこうなったのではないのは明らかだ。
この機械を作った会社が世界各国にこれを売り込んでいる様子がよくわかる。
ちょいと前だったら、ドイツ語だけの表示にするようにしただろうが、そんな手間をかけるよりどこでも売れるよう同じにしておいたほうが製造のコストが下がるのかな。
「システムは調整中です」
なんてちょっと回りくどいぞ。
ドイツ語のように「ただいま使えません」としても、外国に住む日本人には全然平気だ。

ここでは家電も説明書が各国語で書かれているものがついていて、分厚くなっている。
ドイツ語のページを探すのが一苦労だったりすることもあるぞ。
どうせなら、日本語も入っていればいいのに、どういうわけかないんだ!
日本メーカーの製品だったりすると特に悔しく思ったりする。

物もそうだが、人もあちこちへ転勤を命じられたり、自らが外国に就職を希望する時代になっていることを感じている。

さて、返却できなくて困った私。
仕方がない、明日、またここに来ることにしよう。
何しろ、期限を一日過ぎると、超過料金が発生するものね。
日本の公立図書館にも真似してもらいたいぞ。なにせ、グローバル化、グローバル化、と意地悪く思ってしまう悪いりす。

付かず離れずの関係

2016年10月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
アフリカ人のM子さんが私に買い物を頼んだことがあった。
「りすさんの日本の親族に笹葉茶を送ってもらうように頼めませんか?もちろん代金は支払います」
帰省前に、あるいは帰省中に私に買い物を頼む人は多いが、私の日本の親きょうだいを利用して日本の物資を手に入れようとする人に出くわしたのは初めてだ。
頭ごなしに断るのも失礼だと思ったので、アマゾン日本の英語ページで彼女の欲しいものが掲載されているページを見せたりした。
「こちらにも発送可能です。日本に在住するあなたのお友だちのところに送付して、彼女に送ってもらうののいい手です」
その後、連絡がないので放っておいた。
数週間前、久しぶりにメールが来た。
「今日の午後、お茶でもいかがですか」
こうした急なお招きは、特別な場合を除き、私はすぐに却下だ。
まったく、買い物や急な呼び出しって困るよな・・・と私は感じるのだけれど、彼女にしてみたら「どうも、りすに嫌われている様子だ」としか思えなかったらしい。
それは誤解であることを丁寧に説明し、私は容姿も性格もいいM子さんを大事にしたいと思っていることを伝えた。

そのまま掲載できないのが残念な写真だ。
10年ほど前だったらファッションモデル級だっただろう、M子さん。

インド人のJさんは私をひと目見るなり気に入ったようだ。
「お互い時間があるときにお茶しましょう」
こうした気軽なお招きは一応、はい、と答えるのが礼儀だろうと思ってそうしたが、彼はインド人。
一体、お互い既婚者の我々がそういうことをしていいのだろうか、ともお互いの文化背景を重ね合わせて考えてしまった。
日本ではどうだろう?既婚者の異性が、特別な目的でなく単に会話を楽しむために逢うことってあるのだろうか?
インドだと、なさそうな気がする・・・ドイツ人はあるそうな。
では、我々はその、ドイツ風の習慣でそういう約束をしているのか??よくわからない。
今のところ、Jさんは多忙で、とてもじゃあないけれど外でお茶する暇もないようだ。

「私の仕事が一息ついたら、ウチで食事はいかがですか?弟は料理が上手なのですよ。旦那さんと一緒にいらしてください。私の娘も喜ぶでしょう」
彼は妻子と弟と暮している様子。
一気に家族ぐるみでの交際を申し出てきたので一安心だ。
インドの家庭料理、おいしいのはここで何度も経験している。是非、招かれたい。

特別親しくないけれど、挨拶程度の付き合いができる知人友人が多くなってきていることに幸せを感じる昨今だ。
もちろん、お茶や食事に招かれるのも嬉しいぞ。

イスラム教徒のJさん。
私がおにぎりを勧めながら「これはハラール(イスラム教徒用肉抜きアルコール抜き食材を使った料理・食材)です」と言ったら、「あ、何でも構いませんよ。私はイスラム教徒だけれど、ここの生活ではあまり細かく気にしていませんから」
こういうイスラム教徒がいることを予想していたが、その実物は二度目だな。一人目はドイツ語コースの講師だった。奥さんは改宗していないドイツ人女性だった。