怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

インゴルシュタットに無いもの

2016年10月08日 | カテゴリー分けするのに飽き
大都市に行くと、ウチの街では見られないさまざまな物資に感嘆する。
市内観光バス。
大都市はバスで移動するほどたくさんの見所があるんだろうな。

路面電車。
道路を走る電車って、ワクワクする。ウチの街にも欲しいっ

路面電車走行のための電線のようなものが上に張り巡らされている光景も、都会的に思える。


新聞自販機も都会ならではの風景。さまざまな場所にこうした販売機(きわめて原始的な構造みたいだが)が見られるミュンヘンだ。
インゴルシュタットには見当たらない。精肉の自販機はあるというのに(今のところ見かけたのは一台)、新聞のそれが無いなんて、まるで食べること優先の市民って印象になるか?

「インゴルシュタットには魅力がありません」
と19歳の頃からミュンヘンで暮している義姉が言った。
義母は黙ってそれを聞いていたけれど、義母もそう思っているんだ。
「近代的な建築物ばかりになってしまいました」
古い建築物を何とか外観を保ってそのまま使い続ける傾向が高い欧州人なのに、その例外の地域もあるんだ。
義姉にとっては素敵なカフェや雑貨店などが皆無、という点もつまらない様子。

インゴルシュタット在住のほかの街からやってきたドイツ人たちもつまらなさを嘆いている。
ケルン出身のE子さんは、とうとうそのつまらなさに負け、息子を連れて実家に戻ってしまった。
旦那の職場を替えるのは少々時間がかかるので、しばらく遠距離夫婦が続く模様。

知り合ったシリア人難民は、あまりにもヒマなこの街に愛想を尽かしてミュンヘンへ引っ越してしまった。
経済的に独立していないはずだから、別の難民住居に引っ越したのか?
難民の居住地域は制限されていないらしいドイツのおおらかさに驚いたものだ。

難民にまで魅力を感じさせないこの街だ。
経済的にはドイツでも上位に位置するので、ここに好んで住む人も多いし、ミュンヘンで気に入った住居が見つからないのでここから通勤している人々もたくさんいる。

私?
私の住み場所は、正確にはインゴルシュタットではない別の自治体に属しているし、さらに田舎なのであまり不自由を感じなくなってきてもいる。
欲を言えば、1時間程度の移動時間でミュンヘンのような大都市がある田舎に住みたいかな。


白砂糖まみれの我家の食生活

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
義母が昼食の準備を済ませて、外出した。
コンロの上に置かれた鍋の一つはこれだ。私が嫌いな献立。
小麦粉を練って棒状にして短く切り、バターで炒めたあと、卵を入れて絡ませる。味付けは砂糖。

それに自家製スグリのシロップ漬けを添えて食べるんだ。


世の中は、白砂糖の摂取しすぎを警告していると思ったが、それは日本だけの現象なのか。
ドイツは相変わらず砂糖満載生活だ。まさか、ウチだけか?
義母も健康情報には敏感で、そうした記事をきちんと読んでいるはず。
いや、彼女の場合、気に入らない記事だと「それは私の意見と違う」と却下するもんね。
ドイツ人を洗脳するのは難しいかもしれない。

義母が帰ってきたら昼食だろう。
私はスープだけにして、この甘い料理を避ける予定だ。

難民のバス運転手

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
最寄のバス停から乗ったバスは、某大企業A社午後出社社員のために運行されているが、一般市民も利用していい。
乗り込むと、運転手が「A社行きですよ、いいですか?」とわざわざ一人ひとりの乗客に確認していたので、こいつは勤務初日なのかとちょいと不安になった。
「私は『工業地帯前』で下車します」と答えたら、彼は聞き返すので、もう一度言い直した。
まだわかっていなかった様子なので「降りる手前で声をかけます」とゆっくり言った。
「機械が壊れているものでね」
運転手はそういって、真っ暗な画面の機器を指差した。可愛そうに、初日に故障なんて、運が悪すぎる。
でもね、ここはドイツ、何でも故障するのよ~。自動扉が閉まらないことなんてしょっちゅうなのよ、直せる?
浅黒い肌の彼は、もしかしたら難民かもしれない。
事業所各所で難民を雇用しなければならない義務があるらしく、知人友人にその様子を聞いている。
ほとんどドイツ語ができないのにスーパーのレジに配置された難民がいて、そこで働いていた知人は即行退職した。
大企業A社では200人の難民雇用のため、それまで働いていた200人を解雇した、とも聞いている。
どこまで本当の話なのか疑わしいが(こうした話をする人は難民を毛嫌いしているから)どこかで難民を働かせなくてはならないのは実情だろう。

さて、あと数百メートルで下車するバス停、というところで運転手に声をかけた。
「次のバス停で下車します」
すると、なんと、彼はバスを停車させて私に聞き返した。
「なんですって?」
驚いたのは私だ、どうしてバス停でも信号でもない場所で車を停車させる!?
「ここではありません!」
そしてさらにゆっくり、
「わたしは つぎの ばすていで おり ます」
という具合で言った。

運転手には外国人が多く、すでに私も慣れている。
携帯電話でどこかの言葉で楽しそうに会話しながら運転する人も多い。(すげーっ)
たまに、バイエルン方言丸出しの運転手もいたりするが、とても珍しいので感心したりする。

バスターミナルの有人バスチケット販売所が閉鎖された。
 
ベニヤ板でいささか乱暴に閉じているのが、侘しい印象だ。
 
その侘しい印象をさらに増長させる、きれいな身なりの高齢婦人のゴミ漁り。
難民らしき人がゴミ漁り(デポジットつきのペットボトルやガラス瓶集め)をしているのを見たことがない矛盾。


好かれていない神父

2016年10月07日 | カテゴリー分けするのに飽き
八日に東京へ出発する女性のお母さんとはドイツ語教室で知り合ってかれこれ5年の付き合いだ。
数ヶ月に一度程度、招かれて一緒に彼女の手料理をごちそうになっている。
小さい街に住む私たちだ。共通の知人がどんどん現れてくるのはあまり驚かない。
今回知ったのは、義父と親しくしている卓球仲間の一人が、彼女の知人だったことだ。
「ちょっと待って、彼のことかしら」
と20年ほど前の写真を持ち出してきて、私に見せた。

「あら、若い!」
と私が驚いた。
彼はここの地域のポーランド人のためにポーランド語で説教をする神父だ。

「彼の説法はポーランド語で聞いても外国語のように全然わからないのよ」
「神父を家庭の食卓に招いたりするのだけれど、彼を招く気にはならないの」
要するに、嫌われているらしい。

その神父は、ウチにも出入りしている。
週に一度程度、義父と卓球の練習をしているんだ。
「ああ、参った!説教めいた話になっちゃったよ」
とときどき義父がこぼしている。
義母は「彼は狂信的なのよ」とちょいと避けているようで、いつも正午に練習を終える彼を一度も昼食に招いたことは無い。

要するに、ウチでもあまり好かれていない。
つまり、この神父はあまり、人気が無い・・・多くの人々に避けられている、とも言える。

私は彼とは直接の接触はあまりないけれど、なんとなく孤立している印象はあった。
神父という特殊な仕事だから、と思っていた。
拝み屋の一種である神父(こんな風に表現するとすでに存在してその歴史が長い彼らに失礼だが!)が人に好かれないというのは大きなマイナスだ。

「彼はきょうだいが四人いるのだけれど、一人を除いた三人が皆、神父なのよ」
ひえー、そ、それは熱心なキリスト教徒の家庭に生まれたのだろうな。

義母にこの話を伝えると、いつもの通り、彼女のこの神父に対する感じ方を一方的に話し始めた。
一度で良いから「あら、それは面白い偶然ね」とか何とか私の話を面白がってくれよ・・・

すでに高齢なこの神父。
何かきっかけで、もっと親しみやすい人物に変化する可能性は少ないかもしれない。
熱心な信仰心で、彼は彼なりに幸せなのかしら。
誰か、彼を食卓に招いてやってくれ、と思った。

小さい街の人間関係

2016年10月06日 | カテゴリー分けするのに飽き
今週土曜日に東京へ出発するドイツ人女性のために地図を届けた。

この東京案内ドイツ語版は、私が羽田空港でドイツへ出発するとき10部づつもらってきたものだ。
昨今、日本旅行をしたいというドイツ人、在独外国人に溢れているので、多めに持ってきてよかった。
これが最後の二冊。
左に写りこんでいるのはポーランド製の上等なチーズケーキだ。
黒い部分は芥子の実。
とてもおいしかった。
「少し、お家へ持って行きますか」
と尋ねられて、承諾したのに、帰るころには二人ともすっかりそのことを忘れてしまった。
ちょいと残念。

彼女の昼食。クリームチーズをはさんだパンケーキ。
プラムソース添え。
 
前菜(!?)にチーズケーキを食べて、主料理が甘いもの・・・
ウチもそうだが、この家もこうした食事が平気なんだろうなぁ。

彼女の庭の見事に赤いリンゴ。
ウチはこんなに大事に育てない。


次に訪問した家で出されたケーキ。

甘いものでおなかが一杯になったところにまたケーキ・・・
もう、苦しいところを一生懸命に食べたけれど、完食できなかった。

ドイツに日本犬多し。

2016年10月05日 | カテゴリー分けするのに飽き
在独日本人仲間E子さんからかわいい写真が届いた。
後姿がかなりらぶりぃ~、前から見たいな・・・

次に来た写真でびっくり。日本の犬?

おお。りりしいその顔は秋田犬だそう。

オーストリアで生まれて、ドイツでE子さんの親族と一緒に暮らしているアーロンくんだ。
私よりドイツ語を理解できるのだろうな・・・
欧州で日本犬の交配が進んでいることを想像できる。
柴犬を目撃することも多い。2016年6月8日記事「人気の柴犬」
自動車やアニメだけでなく、犬まで日本のものが愛されるなんて嬉しいではないか。
「素朴・忠実・勇敢といった性質が日本犬らしい」ということで国内外で人気の日本犬ということらしい。

最近親しくしているエミリーちゃん。
日本犬と比較すると甘い顔立ちのゴールデンレトリバーだ。
これはこれでかわいいものね。
猫のように擦り寄ってきて、私の黒いパンツが白い毛だらけになってしまったぞ~。

姪と甥の夏休みアメリカ旅行

2016年10月04日 | カテゴリー分けするのに飽き
ちょいと遅れて姪のP子ちゃんのお誕生日会。
すでに15歳になるP子ちゃんだ。
こうしてジジババや変な東洋人オバがせっせとやってきて世間話をするのを嬉しいとは思っていないだろう。

それでも、嫌と言わずに付き合っているのだから、身内ながら偉いと思う。
ケーキはいつもの義母ケーキ。朝からガンガン焼いていたものね。

誰かからもらったバッグ。
私の目にも「欲しいな」と思わせた。
「友達の家に泊まりに行くときとかに使うの」
と言っていた。
その「友だち」は、まだ同性だろうな。


夏休みに三週間のアメリカ横断旅行をしてきたらしい。
 
現地で大きなキャンピングカーを借りて旅したそう。

義母が息子に「休暇旅行をしないのか」と尋ねたとき、夫はキッパリと、
「しないっ」
と答えたのが少々悲しかった私。
義姉と子供たちは毎年のように外国旅行するのに(2,3度のときもある)夫は全くしない。
私はとりあえず、帰省という休暇旅行があるのであまり不満は無いけれど、夫が仕事ばかりしているのはかなり心配になる。
「貧乏暇なし」
という言葉がぴったりの様子になってきているからだ。
あまりの激務で食事を摂る時間さえままならないらしく、頬がげっそりしてきた。
私には「もっと太れ」というのに、自分はミイラみたいなのが痛々しい。
いや、現代の貧乏人は肥満する傾向にあるのだから、彼自身が太らないように気をつけている結果かもしれないが、それにしてもひどすぎる。
ここ何ヶ月は週末も事務所に行って仕事をしている。
日本ではそういう働き方をする人々も多いので、私はほとんど気にならないが、義両親たちは心配している。
ドイツ人妻だったら、確実に夫婦関係は破綻するだろう。

P子ちゃんの誕生日から話がそれてしまった。
不思議なことに、彼女には反抗期が無いようだ。
義姉は13歳の頃から激しかったらしい。義母がちらっと漏らしていたことがあったんだ。
自然なヒトの精神の発達として、受け入れなければならないのだろうけれど、無い方がやはり楽だろうな。
P子ちゃんはしょっちゅう母親の腰に腕を絡ませたり、頬を寄せ合っていたりする。
このまま、過ぎてしまうのだろうか。それも、一人の人生だろう。
周囲はかなりラッキーかもしれないぞ。

それにもかかわらず、義母は別れ際にP子ちゃんにこんこんと言い聞かせていた。
「ちゃんと勉強するのよ。じゃあないと、ちゃんとした将来がないから」
とか何とか。
P子ちゃんもブチ切れることなく(私が本人だったらキレてるかも)ハイハイ、と言っていた。
もしかして、P子ちゃん、大物かもしれない。


「心は錦」を実践できる環境

2016年10月04日 | カテゴリー分けするのに飽き
急に寒くなった。
外出にはすでにコートが必要だ。この時期のための比較的薄地のお気に入りを出した。
すでに二年ほど前から気になっていた袖口。

生地が傷んできている。
充分な長さがあるので(いや、私の腕が短いので)この部分を一センチくらい内側に折って縫ってしまえばいいかと思って義母に相談した。
義母は私の言うことに大抵反対する。それを知っていてまた相談する私もバカだなぁ~。
縫い物に関しては義母は元プロだから、私は黙って聞くのみだ。
そんなに凝ったことをしなくても、単純に折って縫えば良いじゃあないか、と一度言ってみたけれど、彼女にとってはそんな下手な仕事をするのは屈辱なのだろう。
裏地との関係や、厚みでミシンが使えない可能性などを指摘していた。

「そのまま着なさい」
という義母の意見に従うことにした。
このコートは4年ほど前にもらったものだ。当時近所に住んでいたベトナム人女性のものだった。
「太ってしまったので、着られなくなったものがたくさんあります」
と家に呼ばれて、かなりの数の衣類をもらった。
着道楽のようで、私には縁のない高価そうな衣類を何枚も持っていた。
「いつも、店をよく見てまわって、安くなったときに買うのよ」
と、私にアドバイスをしてくれたものだ。

彼女からだけでなく、私の衣類は誰かからのお下がりばかりになってきた。
自由になる自分のお金は、ここでは入ってこないので(これを他人に話すと「ダンナが妻に生活費等を渡さないことで裁判ができる」という内容のアドバイスをくれる人がいるので、なかなかうっかり口に出していえない)しばらくは、手持ちのもらい物衣類で頑張るしかない。

そういうわけなので、この袖先が擦り切れたコートを愛用し続けよう。
日本だったら、惨めな気持ちになるだろうが、ここは日本ほど衣類に気合を入れている人はあまりいない。
(義母が気合入りまくりの人物なのだが!)
他人が私の袖先を指摘することなど、まず無いだろう。
袖以外は、まだまだ充分着られる上質な品だ。大事にしようっと。




男を大事にしよう

2016年10月03日 | カテゴリー分けするのに飽き
シリア人男性から送られてきた画像。

アラビア語の下にドイツ語訳と思われるものがある。
「女が私を産み、女が私を教え、女が私を愛した。そして、私はある女と結婚する。どうして女を大事にしないことができようか」
という意味のようだ。
イスラム教や、アラブ社会は女性を大事にしないと見聞きする。

どの程度本当なのか疑問に思う面もある。
知り合ったチュニジア人女性は「男は信用できないから」と言い切ったエンジニア。
エジプト人女性のエンジニアも「ダンナだけの収入では子を持つのは不安なので、私がきちんとしたところに就業できたら妊娠の計画を立てるの」と言っていた。
どちらも、女性が自主的に生きているように感じる。
育った環境が極端に女性を低く見下げる環境でもなかったように思えるんだ。
また、イスラム教徒の女性たちが、イスラム教の素晴らしさを説いているときに、彼女らが自分らの宗教で男性に不当に扱われているとは全く思っていない様子だし。
義父は「トルコ人は女性より先に歩く。これは男尊女卑だ」と私に何度も言っていたものだ。
先に歩いて安全確認って風習かもしれないぞ、などと揶揄したりしない私。

男性は基本的に女より強く賢くありたいと願っていて、そのために女性を自分より劣っているとしたくてたまらないように感じることがある。
ドイツと日本の男性の会話でそれを発見したんだ。
女性はいつも気をつけないといけない。
配偶者を、男のきょうだいを、男性クラスメイトを、その辺の男性を、大事にしなければならない。
彼らのプライドを傷つけるような言動をしないように気をつけなければならない。



私たちの結婚のきっかけの場

2016年10月03日 | カテゴリー分けするのに飽き
夫と出会うきっかけになったこの団体が設立されてから20年周年を迎えたのだそう。

考えてみると、そこで夫と出会ったのは四捨五入して20年ほど前だ。
お互いがここに出入りしていた偶然に感謝しなくては、と遠くから20周年を祝いたい。
日本語堪能な外国人スタッフたち、今でもその日本語力は素晴らしいと思うぞ。
私がここで小難しいことを話し合う外国人女性のための会議に出席しても、ついて行けなくて脱落するものね。
もっとも、日本語だったとしても脱落していたかもしれないから、もしかして私にとっては語学力の問題だけではないのかもしれない。
この集合写真には、コーカソイド種の人々は全くいない。
日本の公用語は日本語で、この団体でも外国人との会話は基本日本語でなされる、
一般的に、近い国からの人々の方がその滞在国の言葉を習得し易い傾向にあると感じる。
欧州人にとって、日本語は難しい言語の一つだろうから、日本人の集団と日本語で交流するのはハードルが高いのは容易に想像できる。
そんな中に夫はときどき来ていたのだから、よっぽど暇だったのか偶然中の偶然ともいえるかも知れない。

特に親しくしていた仲間たち。

右は中国人、左はタイ人だ。
日本のタイ人女性たちは、ここのタイ人よりきれいな人が多いように感じる。
タイにはさまざまな人種や肌色の人々がいるようだ。南部にはイスラム教徒も多いし。
ドイツは浅黒い肌色を好む男性も多く、お見合いで花嫁を迎えるときもそうした女性を選ぶ傾向があるのだろう。
ドイツでタイ人女性集会に行ったときに、さまざまな肌色の女性たちで溢れていたのを思い出す。
日本のタイ人女性の集まりに偶然出くわしたときは、もっと衝撃的だった。皆、凄い美人ばかりだったんだ。

写真のタイ人女性は、小柄だけれど日本人にはなかなか見られないきちんとした姿勢と体型をしている。
日本人好みの可愛らしい顔立ちだ。まるで年をとらないのはどういうわけだ!日本語力も抜群だぞ。

後ろ左端にちらりと見える男性も、20年前からいるぞ。
お元気そうで、なによりだ。


ウサギコスプレでバイク爆走

2016年10月02日 | カテゴリー分けするのに飽き
突然現れたピンクのウサギ衣装集団。
バイクで爆走中。何のイベントなのかさっぱりわからなかった私。

何かのキャンペーンだったのか。
ご機嫌そうなウサギライダーたちだった。



いつものとおり、何か変なものを食べたのか食べ過ぎたのか、腹痛とともに頭痛までした。
ちゃんとウサギたちの正体を確かめる気力と体力がなく、家路についてしまったんだ!
ブロガー失格・・・健康保持は何をするにも必要だよな。
主婦業さえ、調子悪いとまともにできないものね。





老いては子に従えよっ

2016年10月02日 | カテゴリー分けするのに飽き
新聞に工事による道路通行止めの知らせが掲載されていたらしく、義母はいやにしつこく私たちに警告していた。
私たちがよく使う道路であることは確かだ。
さて、その朝、私はかなり重い荷物を持って外出しなければならなかった。こういった時には夫の出勤ついでに、途中まで乗せてもらう。
義母にそれを言ったら彼女はいやにむきになって反対した。
「ハーゼは高速道路方向に走らなくてはなりません。りすを送るためには通行止めの場所を迂回しなくてはならないので無駄な走行になります」
というのが彼女の意見だ。
まあ、間違ってはいないので納得した私は夫にバスで行くことを伝えた。
すると、彼は一気に不機嫌になった。
「母に説明します」
一緒に出かける私たちを不満そうに義母は見送っていた。

迂回路は左右にある。
義母はなぜか一方向にしか発想ができなかったようだ。
夫が私を送るときはいろいろな道を使っていて、この通行止めの道が必ず必要なわけではないんだ。

誰でも思い込みが強くなり、一つのことにしか頭が働かないことがあるが、高齢になるとその傾向が激しくなる印象がある。
私たちが「いや、そうでなくても、こうできる」と提案しても、自説をなかなか曲げてくれない義両親たちには私だけでなく、夫も辟易している様子だ。

「老いては子に従え」という言葉は欧州にはないのだろうか。
義両親たちはいまだに子供(子という家族でのつながりの関係の呼び方で、すでに子供じゃあない我々!)の言うことに従わない。
いつまでも親が子を支配しようとしていると、子が萎縮してしまうのではないか、とも思える。
私は義両親の子じゃあないが、もう、萎縮しまくっているもんね。
家の中で自発的に何かをやってみようという気が失せてしまっている。
畑で何かを植えてみたい、といつも思っていたものだが、提案すると即行却下か、義母の計画によってそれが実行されてしまう。
すそ上げなど簡単な縫い物を自分でやろうとしても、ちょいと相談するとちゃっちゃと彼女が仕上げてしまうので、最近は、自分でやらないことに決めちゃった。

もっと深刻と思われるのは、義両親たちは自分の息子娘たちが自分たちの思うとおりになっていないといつも考えているように感じることだ。
息子の部屋の荒れようとか、働きすぎの様子とか、肉を食べないこととか、変な東洋人ヨメだとか、普段は口にしないのだが、ときどきポロリと「いつも問題ばかりだ」と義父がいうとびっくりさせられる。
こういう人たちは、満足することがないのかもしれない、と諦めるしかない。

欧州の親たちは子を支配する傾向が強いから、子供は早く独立したがるのか、とも想像している。
義姉などは大学進学時に家をでて、それから実家で暮したことは一度もない。
嫌だったのだろうなぁ、親に一挙一動をいろいろ言われるのが・・・と、私は彼女を理解できるぞ!
姪が就学前に全く読み書きができなかったことを義両親たちは嘆いていたものだ。
きっと、義姉もそれを知っていたに違いない。
彼女は彼女のやり方で子育てしてきて、実際、甥や姪はきちんと育っている。

私も今から気をつけている。
年齢だけでなく、新たにドイツに居住する日本人たちにも学ばされることがあったりする。
イスラム教徒の生活の仕方やものの考え方も面白い。
違うもの、新しいものにいつも気を配って、自分を固定化させないようにしたい。


ハエ取り紙設置とセモリナ粉粥の不味さ

2016年10月01日 | カテゴリー分けするのに飽き
義両親たちは屋根裏部屋のハエに悩んでいる。
義父は毎朝、窓を開けてハエを外に出しているらしい。
私は毎日掃除機で吸い込んでいる。今頃内部の紙パックはハエでパンパンだろう。想像するのも恐ろしいっ。
そうした努力をしても、どこからか新たにわいてくるようで、一向に減る気配がない。
義母は「ハエ取り紙をつけましょう」と提案した。
義父は猛反対した。「薬剤の臭いが臭い」と。
屋根裏部屋は卓球部屋にもなっていて、義父は毎朝のトレーニングを欠かさない。
「薬剤ではなく、接着剤の匂いですっ」
と義母は義父を説得していた。
いや、その接着剤もあまり健康によろしくない成分だと思うのだけれど・・・

義母の言うことは大抵通るので、早速吊り下げられた。

西側の窓に一本。

東側の窓に一本。
この光景は、実父の田舎の風景だな、と懐かしく思う。
ハエ取り紙がこんなに国際的に愛されているとは知らなかったぞ。
髪が絡まって危険なのだけれどねぇ。子供の頃の記憶を思い出す。こんな原始的なやり方をするからいけないんだ、とハエ取り紙のせいにしたものだ。
ミュンヘン在住のブログ読者から、自宅に自身で吊り下げたそれに髪を20本ほど奪われた、とコメントをいただいて、笑ってしまった。
私はそんなへまはやらないと、慎重に撮影に挑んだ。へへっ
吊り下げて数分も経たないのに、すでにわなに引っかかったハエが数匹みえるぞ。ばっかだなー。

ハエ駆除のあとは昼食だった。
自家製ズッキーニのスープ。タピオカ入りで、どろっとしていた。

主料理はセモリナ粉の粥。
セモリナ粉を牛乳で煮て、卵と砂糖を加えたもの。

これにさくらんぼのシロップ漬けやシナモンシュガーを添えて食べる。

もちろん、私には嫌いな献立。
食事には塩味のものを主にしたいと思うのは、おかしい感覚なのだろうか、と最近疑問に思ってくる。
思い出してみると、菓子パンを昼食にしていた中学、高校の頃があったもの。
ただし、夕食はきちんとしたものを食べていたからなぁ。
ここの食生活は、どちらかというと貧しげな印象だ。
急速な、更なる多民族国家化で、その悪しき伝統も変わっていくだろうけれどねぇ。
アフガニスタン料理など、とてもおいしいものばかりだぞ。ドイツ人、真似てくれ~