飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

褒める行為の間欠性

2022年10月25日 15時47分55秒 | 教育論
褒める行為は学級の中では重要な行為である。
叱るよりも、教育的効果は高い。
しかし、注意しなければならないこともある。

それは、ただ褒めれば全てうまくいくという勘違いである。
褒められると気持ちが高ぶり、やる気がでる。
しかし、この気持ちの高ぶりは、だんだん慣れてくるのも事実である。
1学期はとても効果的であったほめ言葉が少しずつ効き目が薄くなっていく。
慣れてしまってきているのだ。

では、どのようあ手を打つのか。
それば、変化させて褒めることである。
慣れた人物から同じように褒められるとなれてしまって、きかなくなる。
これはある意味自然なことだ。

これまで具体的な場面をとらえて褒めてきた。
「姿勢がいいね」「しっかりと目をむけてるね」「たくさん発表できたね」「チャレンジできたね」
ここでは、派手な褒め言葉よりも、共感、共有の褒め言葉をつかう。
具体的に言うと、「そ」のつくほめ言葉を使う。

「それいいね」「そうだよね」「そう思う」「そうか」
これは子どもに共感するほめ言葉である。
このようなほめ言葉を使うと、共感してくれた教師の言葉にも共感するようになる。

慣れを改善するもう一つの方法は、間欠性である。
慣れを感じ始めたら、間隔を徐々にあけていく。
これが間欠性である。
連発していたほめ言葉を一定の間隔を空けて言うように意識する。
決して褒めることをやめるのではなく、継続は最後までする。

saitani
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