飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

技術を伝える

2022年11月06日 08時51分40秒 | 教師論
脳神経外科医 佐野公俊氏の言葉。

手を使った脳外科の手術に関しては、おそらく私達のところが最高で、これからは技術がどんどん落ちていって、何も治療してもらえない難民が出てくる可能性があります。
だから、細々とでいいから、しっかり手術のできる次世代の優秀な脳外科医を育てていかないと、大変なことになるんじゃないかと憂いているんです。

コロナ禍になって思うように進んではいませんが、私達が築いてきた手術をなんとしても次の世代に繋いでいく、これからも「努力をする者のみ神の啓示はある」の言葉を胸に、自分の力の限りを尽くしていきたいですね。

脳神経外科医 上山博康氏の言葉。

技術を伝えるのはもちろんですが、何よりも医者としての精神、心を繋ぐ人間を残しておきたいんですね。
やっぱり誰にも治せないなら、その患者さんの死に水を自分がとってやるというくらいの不屈の精神、たとえ刀折れ矢尽きても歯が残っているなら敵(病気)の喉元に食らいついていくほどの気合い、それがないと医者としては駄目ですよ。

教員採用試験の倍率の低下とともに教師の資質能力が問題となっている。
国の根底を担う教育という営みにはやはり優秀な人材が不可欠なのである。
優秀な人材とは、偏差値の高い大学をでたり、学生時代に様々な能力を発揮して日向を歩いてきたきた人を言うのではない。
人間が人間を教育するという、神にも似た行為を仕事とする自覚と責任もった人間かどうかということである。
働き方改革の名のもとに、勤務時間と仕事の効率化だけが先行し、定時退庁することだけが目的となっていることを危惧する。
そこには、教師のしても上達論の考え方もなければ、技術論もない。
本来学校がすべきではない業務は、思い切ってなくし、教師が本来の子供の学力を保証するにふさわしい時間と環境を整えるべきだ。

現代の学校という環境では、斎藤喜博や芦田恵之助、東井義雄といった教師は出てこないだろう。
また、有田和正、野口芳宏氏といった授業の名人も現れない。
私はそう感じている。

saitani
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