飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

師弟関係

2024年06月19日 05時36分59秒 | 教育論
人を指導することが難しい時代になった。
指導される側のときにはそんなことは感じなかったが、思い切った指導というものができない。
それは出来のるのだが、やれないということ。
人間自体はいつの時代も同じだと思うが、家庭環境、社会規範、地域との関わり等がかわれば人はそれに大きく影響される。
子どもたちがまず大きな影響を受けるのは家庭である。
厳しい家庭に育ち、愛情もきちんと適切に注がれれば、どんな子も自立も自律もできる人間になっていく。
しかし、責任転嫁、履き違えた自由、他者依存、そんな甘えの中で育てば物事の原因を他に求めるような思考になることは必然的なことだ。

指導される者と指導する者。
人間の社会の中では上達論や成長論の中では普遍的な関係性がある。
それは教える側が上の立場があり、教えられる側は下の立場であるということ。
間違っても師弟関係が平等であるなんて考えている人はいないと思うが。
自分が身につけた技や技術は師から弟子へと受け継がれる。
当然、その過程においては挫折を味わい、突き放されるときもある。
でも、師を信じてついていく、その時間が貴重なのだ。

師資相承という言葉がある。
意味は、師から弟子へと道を次代に伝えていくこと。
考えてみれば、どのような分野であれ、伝統や技といわれるものは子弟の相承によって受け継がれてきた。
口伝であったり、書物であったり、直接の指導であれ、形は違えど師の技術を学ぶという点にはかわりはない。
ただし、前提事項がある。
それは伝えんとする師の熱量と受け止めんとする弟子の熱量が相対時していなかれば成り立たないということだ。
この前提が崩れているので、指導することが難しい時代になったと言ったのだ。

とくに受け取る側の熱量の問題。
もちろん教える側の熱量も大事なことは言うまでもない。
教える側に教えるに値する技術と力量がなければ、受け取る側も学ぶべきことはなにもないという結果になる。

渡部昇一氏の言葉。
「人は心底尊敬した人物から知らず知らずのうちに多くのものを学ぶ。
 学生でも偉い先生を心から尊敬しているものは器量がどんどん大きくなる。
 しかし、先生を批判したり表面的に奉っているだけだとなると、成長が止まる」

哲学森信三の言葉。
森信三は人間を形成する要素として3つをあげている。
一つは「先天的素質」、二つは「逆境による試練」、三つは「師匠運」。
人格を形成するには師匠運がもっとも大事であり、どういう師匠に出会うかで先の二つも影響されると述べ、こう結ばれている。
「尊敬する人がいなくなったとき、その人の進歩は止まる。
 尊敬する対象が年とともにはっきるするようでなければ、真の大成は期し難い」

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
 しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに」
この言葉は次のように続く。
「縁は求めざるには生ぜず。
 内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし」
「求める心」ありや否や。
 師資相承が成立する肝心要はここにあることを肝に銘じたい。

自分も終生、仰ぐ師をもち、その教えを相承していく人生を歩みたいと思う。

saitani


この記事についてブログを書く
« 水泳指導 1年生 1時間の流れ | トップ | 答えが出てからが本当の算数 »

教育論」カテゴリの最新記事