飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

思いつきとひらめき

2013年07月28日 11時41分22秒 | 教育論
思いつきとひらめき、この言葉は似ているようで似ていない。
思いつきは、考えに経験や知識と言った根がなく、薄っぺらなハリボテのようなもので、ちょっと揺すったり、押したりすると壊れたり倒れたりするもの。
それに対して、ひらめきは、思考の奥深く無意識の連続した中から出てきるアイディアである。
その証拠に、思いつきは実現不可能だが、ひらめきは革新的で、実現可能な考えである。

意識の植えで、経験と知識を総動員して、考えて、考えて、考え抜いて、無意識の中までもアイディアを醸成させ、再び意識の中に出てくる。
これがひらめきである。

saitani
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