私魚人(あいうおんちゅ)~定年親父の魚三昧:タナゴ仕掛けとガサで出会った魚たち~

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『翡翠』 俳句ポスト365 結果はトホホ!

2020-07-02 18:46:01 | 俳句
2020年7月2日(木)

今日は、愛媛県松山市主催、夏井いつき選者「俳句ポスト365」の「人・並」入選発表日。

兼題は『翡翠(かわせみ・せうびん)』

淡水域でのフィールドワークはもう40年を優に越え
何度も何度もカワセミは目にしてきたケド・・・

一度たりともまともに撮影できたこともなく・・・

先日も、とある支流で見かけて、撮った写真はコレ。


こんなんどこにおるのやら・・・・・・

かといって、現場主義の私は、頭でっかちな句をつくる気にもなれず・・・

結局、昔々の思い出の場面から。

まだ若いカワセミが、浅瀬に突き出した木の枝から何度も何度も魚を獲ろうとして失敗をくり返してたのを思い出し

かわせみやとれぬのかまたとれぬのか



で、投句した。

※ この日本画、「蚤の市」にて100円で手に入れたお気に入り。


さてさて、結果は、『並』選。

最近、人・人・人・人・並・人ときて、再び『並』へとランクダウン!

ま、若いカワセミの魚捕獲率も、ある論文によれば50%いくかいかないか。

まだ、私の方がマシではないか!

そして、つけ加えれば
私へも、カワセミの写真を「撮れぬのかまだ撮れぬのか」という意味を含めてることは伝わっておらぬやろし。

類想類句(過去に詠まれてたり、誰もが思いつくような句)だとしても
自分の実体験だから、それはそれでいい。

常に新たな発想を、人と違う感覚を、なんてやってたら、どんどんえぐくならんのんかなあ?
というど素人・不勉強のまんまの戯言なのであります。


さてさて、「清流の宝石」なんてな扱いをされたりするカワセミ。

それは、大きな誤解だと思う。

エサの小魚さえいれば、汚いため池にだって普通にいる小鳥だ。

「減ってるじゃないか!環境破壊や豊かな自然がなくなったのが原因だ!」
と、思っておられる方もけっこうおられるのかもしれない。

が、そうではない!(と思うぞ)

巣をつくる土手(土のまんまの)がなくなってることが、私たちの生活から姿を減らしてる大きな理由。

土手をコンクリートで固めさえしなければ、清流でなくても見られる身近な鳥なのだ。

そんな配慮をした工法で、再びカワセミが戻ってきたなんてな話はたくさんある。

見た目のキレイさが生んだカワセミの「清流伝説」なのかなあ?

これが、シックなヤマセミの話なら、また全然違ってくるんだけどね。


ついでに書いとくと、かみさんも『並』選。

低いレベルでの引き分けだけど、連続入選さえとぎれなきゃそれはそれでいい。

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2 コメント

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Unknown (gai6969)
2020-07-03 15:53:35
カワセミの清流伝説の話、メダカやタナゴにも当てはまりそうですね。「広い意味」での環境破壊が原因なんでしょう。見栄えを気にして土とか植物をコンクリで埋めてしまえば、そりゃ大抵の生き物は居なくなりますよね。僕の親もタナゴはキレイな川にしか居ないものだと思ってましたよ。
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Unknown (私魚人)
2020-07-03 16:59:36
「知る」ということが、何であれ大切なんでしょうね。
知った上で、「どうするか?」はそれぞれの立場で判断すればいいと思うのです。
野菜につく厄介な虫たちだっていなくなってしまえば人類は滅亡するやもしれません。
身近な自然をどんどん知って、名前が間違っていてもブログに記していこうと思ってます。
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