三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

日本海岸最北の和風漁家、稚内・旧瀬戸邸

2015年06月22日 06時16分40秒 | Weblog


さて、週のはじめ、ふたたび住宅建築的な話題に復帰です。
なんですが、土曜日に弾丸日帰りで行ってきた稚内探訪での見学住居。
この「稚内・旧瀬戸邸」は、平成25年6月21日、国の登録有形文化財に
登録されています。(登録名称:旧瀬戸家住宅主屋)案内の概要は、
●昭和20年~40年代。稚内のまちは、底曳網漁の前線基地として、
国内各地から人が集まり、活気に満ちあふれていました。
そのさなかの昭和27年、「旧瀬戸邸」は、瀬戸常蔵という
底曳きの親方の住宅として建てられました。
建物の外観は、明治期から大正期に見られる旅館建築を彷彿とさせます。
屋根は、切妻形式で赤いトタン葺きと頂部の棟飾りが特徴的で、
外壁は分厚いモルタル掻き落とし仕上げが施されています。
戦後まもない昭和の建築物であり、稚内漁業の歴史を伝えています。●
というものであります。
多くの北海道西部海岸地域での「番屋」建築のような
出稼ぎ人と親方の共生空間という建築ではなく、
基本的には親方個人の住宅であり、多くの旅人を接遇するというのが
主要なテーマになった住宅建築なのだと思います。
印象としては、日本海交易や漁業文化の残照を伝えている最北の建築。
外観の印象が、寒冷地建築として瓦ではなく鉄板屋根になったり、
分厚いモルタル仕上げになったりして目がくらまされるけれど、
建て方のつくりようは和風建築であり、随所に「造作大工」の匠を感じます。
というか、本当はもっと絢和風に仕立てたかったけれど、
寒冷地だからこんなふうに「対応してみました」という大工の思いを感じます。
外観から受ける印象は、「あ、こんな家、よく見たなぁ」であります。
建築が昭和27年ということで、わたしの生まれた年。
戦後すぐの時期で、札幌などでもこうした様式のデザインがよくあった。
基本は和風なんだけど、表皮が寒冷地様式を取り入れている的な。
たぶん、トタン屋根とモルタル外壁に「寒冷地仕様」を任せて
内部空間では、思い切って「高級和風住宅」を追求しようとした。
そんな作られようが、見ていて面白いほどに伝わってきます。





きっとこの発注を受けた大工さんは
相当の資金規模を施主である瀬戸さんから受けていたのだろうと思います。
張り切って、随所に和風デザインを追求しています。
そういった意味合いからすると、小樽に遺っている青山別邸と類似する。
さすがに稚内では、小樽青山別邸のように
思い切って外観まで純和風にはできなかった、というようなイメージ。
内部デザインに使われたディテールからは、繊細な感受性が伝わってきます。
ほぼすべての部屋に床の間が設えられていて
主要な造作建材はすべて本州地区から移入してきた材のようで
そうした建材を自慢するという「文化」が健在だったのだろうと思います。
施主さんは大の相撲好きで、横綱の大鵬を泊めるために
わざわざ、1階に贅をこらした部屋を作ったりもしています。
展示の仕方がやや雑然としすぎていますが、
面白く雰囲気を楽しむことができた見学でした。

コメント
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